元宝塚歌劇団月組のトップスターで、
現在は女優として活躍されている天海祐希さん。
これまで様々な伝説を残されてきた方です。
この記事では宝塚の面接やファン対応など、
天海祐希さんの伝説10エピソードをまとめていきます。
天海祐希の伝説10エピソードまとめ!
1つ目:宝塚音楽学校にトップ合格

https://trendnews.tokyo/?p=9551
もともと女優志望だったという天海さんは、
中学校で演劇部に所属していました。
宝塚を目指したきっかけは、
宝塚ファンだった担任の先生が、
宝塚に入れたらどうですか
と、三者面談で母親に勧めたことだったそうです。
宝塚だったら芸事の色々なことが学べる
と入団を志望することにした天海さん。
そして高校2年生が終わった時に宝塚を受験。
その時の倍率は20倍近くだったそうですが、
難関を突破し見事合格。
しかもトップ合格でした。
その後の天海さんの活躍を見れば当然のことですが、
トップ合格を告げられた天海さんは、非常に驚かれたそうです。
「よくぞ産んでくださった」

天海さんの宝塚試験に関して、
こんなエピソードがあります。
天海さんが入試会場に現れた時、
宝塚歌劇団の演出家植田紳爾さんは、
お母さん、よくぞ産んでくださった
と言ったそうです。
きっとずば抜けた存在感があったようですね。
天海さんの伝説は、
宝塚入試の時点からすでに始まっていたようです。
2つ目:面接で「もう二度と来ません」発言

https://aikru.com/archives/3856
見事トップで合格した天海さんですが、
面接ではちょっといじわるな質問を受けたそうです。
面接官から
今年落ちたらどうしますか?
という質問を受け、
もう二度と来ません
とキッパリ答えたそうです。
かっこよすぎる強気な発言ですね。
この発言も天海さんの伝説エピソードの1つです。
緊張して言い方を間違えた?

しかしこの「もう二度と来ません」発言の裏には、
伝説とは言えない理由があったようです。
天海さんは「今年1回だけ」という約束で、
ご両親から宝塚受験を許してもらっていました。
天海さんはそれを伝えたかっただけのようです。
「めざまし8」に出演されこの話題になった時には、

「来年は来ません」って言えば良かったのに、
緊張してたのか「もう二度と来ません」って言ってしまって。
と苦笑いされていました。
3つ目:10ヶ月で新人公演の主演に抜擢

https://www.tca-pictures.net/skystage/Prgm/Detail/1390.html
宝塚歌劇団に入団した天海さんは、
入団から10ヶ月の時に新人公演の主演を務めています。
新人公演の主演は7年目に近い生徒が抜擢されることが多く、
現在のトップスターでも4~6年目に初主演しています。
そんな新人公演に、
天海さんは入団1年目にして抜擢されたのです。
この快挙を成し遂げた方は天海さんだけなのだそうです。
トップ合格しただけでもすごいですが、
さらに先輩たちも飛び越えるような実力があったのですね。
4つ目:異例の速さでトップスターに就任

https://twitter.com/moonpi__/status/1255642325344116736/photo/1
天海さんの伝説の中でも特に有名なのが、
宝塚入団7年目(正確には6年半)という
史上最速でトップスターに就任したことです。
普通7年目は新人から卒業する段階。
その事すでにトップスターになるのは物凄いことです。
この記録は現在も破られていません。
そのトップスター就任は入団10年目~15年目が多く、
あの大地真央さんでも9年かかっています。
伝説として語り継がれるのも納得ですね。
男役を作り込む必要がなかったから?

https://twitter.com/moonpi__/status/1255642325344116736/photo/4
宝塚では「男役になるまでには10年かかる」と言われています。
違和感なく男性のしぐさや振る舞いができるようになるためには、
長い年月をかけて努力を重ねる必要があるのです。
しかし天海さんはたった7年でトップスターになれた。
その理由は天海さんは男役を作り込む必要がなかったから
と言われています。
天海さんの男役は、
- 作り込まれた感じがない
- 良い意味で宝塚の男役っぽくない
- 「いかにも男役」という感じがない
などと言われるそうです。
もちろん相当な努力をされたのだと思いますが、
それとは別に「素のかっこよさ」を持っていたため、
異例のスピードで昇進したのでしょうね。
5つ目:トップスター2年で退団

https://twitter.com/yuri__akari/status/945548564708462592/photo/3
伝説的な宝塚トップスターとして語り継がれている天海さんですが、
実は在任期間は2年半という短さでした。
3~4年は在任される方がほとんどだったため、
天海さんの退団が決まった時には、
ワイドショーなどでも大きく報じられました。
絶大な人気を誇っていた天海さんに対し、
当然劇団側は退団延期を望んだそうですが、
天海さんの気持ちは変わらなかったようです。
女優を見据えて早期退団を決めた?

天海さんの退団が報じられた時には、
異例の速さでトップスターになったことで、
上級生や、そのファンからいじめを受けたのでは…
などと憶測が飛び交いました。
しかし実際にそのような事はなかったようです。
天海さんはもともと女優になるために宝塚に入っています。
女優になることを見据えた上で、
早期退団を決断されたと言われています。
6つ目:退団公演で羽を背負わなかった

https://twitter.com/yuri__akari/status/945548564708462592/photo/1
フィナーレでトップスターが背負う大きな羽根は
宝塚の象徴と言えますよね。
しかし天海さんは、
この仰々しい羽根を背負うのが嫌だったため、
小さな羽根にしてもらっていたといいます。
そして退団公演では羽根を背負わずに、
大階段から降りてきてしまいました。
天海祐希は特別なタカラジェンヌだった?

https://mayutan.com/?p=7257
実はこれも天海さんだからできたことなのだそうです。
基本的に劇団の力は絶対的なので、
トップスターであっても、
要望を通すことはできないのだそうです。
羽根が嫌だから背負わない
という要望を通せたのは天海さんだったから
とファンの間では言われているそうです。
7つ目:学校の規則を変えた

あまりに厳しい規則があることで有名な宝塚音楽学校。
天海さんはそんな学校の規則を
一部変えたことがあったそうです。
2017年「ウチのガヤがすいません!」に天海さんが出演された時に、
ある伝説について言及されました。

元男役の彩羽真矢さんが、
天海さん「予科ピン」の規則を廃止させた
という伝説を明かしています。
男役の生徒は髪の毛が短いため、
ピンピンはねないように、
ヘアピンを何十本もつけて固める
「予科ピン」という規則があったそうです。
天海さんはこの「予科ピン」を
「あまりにも外を歩くのが恥ずかしかったから」
という理由で廃止したそうです。
これにより男役の生徒たちは、
髪の毛をガチガチに固める必要がなくなりました。

ところが天海さんはこれに対して、

同期みんなで話し合って決めた
と仰っています。
実際は天海さんお一人が学校に異議を唱えたのではなく、
同期みんなで話し合う中で決めた規則変更だったようです。
しかし後輩たちには、
天海さん伝説の1つとして語り継がれているのですね。
8つ目:ファンにも説教

http://queenbee888.doorblog.jp/archives/8263059.html
宝塚ではファンとの交流イベントとして「お茶会」が開催されています。
その時に天海さんがファンに説教をしたという伝説があります。
ちょっとネガティブな内容に聞こえますが、
実際は違ったようです。
お茶会でモタモタしていたファンに向かって、
動きが悪いと一括した天海さん。
その理由は、
ファンとゆっくり話す時間を取りたいから、
モタモタしないで早く動いて
ということだったようです。
ファンとの交流を大事にするための愛のある説教だったのですね。
天海さんからかっこよく一括されたら、
ファンの方々も喜んでテキパキ動いたでしょうね。
9つ目:どんなファンに対しても平等
多くのファンクラブには、
古いファンほど特典が得やすいという格差がありますよね。
宝塚ファンにも格差があるそうです。
しかし天海さんは、
どんなファンにも平等に対応することを心掛けていたそうです。
退団する時には、
ファンクラブ全員にワイングラスを送っています。
この心意気も伝説として語り継がれています。
父から影響を受けていた

https://ameblo.jp/misuzunchi710/entry-12707046975.html
この天海さんの考え方はお父様の影響だったようです。
2021年「A-Studio+」に出演された天海さんは、
亡くなられたお父様について語っていました。
天海さんはお父様から、
100万円の何かをくださる方と10円の飴をくれる方と
お前を思う気持ちは一緒だから区別をしてはいけない
と言われたそうです。
とても素敵な言葉ですね。
天海さんは外見だけでなく
内面の強さや美しさをお持ちの方です。
それはお父様の影響もあったのでしょうね。
10こ目:宝塚退団後すぐに女優として活躍

https://www.ntv.co.jp/jyoou/static/story.html
宝塚の男役スターが女優に転身する場合、
長い年月をかけて身に着けてきた男役のイメージを、
また長い年月かけて脱ぎ捨てなくてはならないといいます。
そのためすぐに女優として活躍するのは難しい方が多いそうです。
しかし天海さんは宝塚退団後、
すぐに女優として活躍されました。
ミュージカルの仕事のオファーが多い中、
あえてドラマや映画のオファーを受けたそうです。

出典元:Amazon
退団の翌年に公開された「クリスマス黙示録」(1996年)では、
日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。
その後は、
「女王の教室」「BOSS」など、
人気女優として大活躍され、
新たな伝説を作り続けています。
まとめ
今回は元宝塚歌劇団月組のトップスターの
天海祐希さんの伝説をまとめました。
数多くの伝説を持つ凄い方であることが改めてわかりました。
これからのご活躍にも期待したいと思います。