雨の日の子熊の様子が描かれた童謡「あめふりくまのこ」。
Eテレなどで流れる可愛らしい曲ですよね。
しかし同時になぜか泣ける曲としても有名です。
可愛い子熊の微笑ましい曲なのに、
泣けるのはどうしてなのでしょうか。
歌詞の意味や背景から、
泣ける理由を深堀りしたいと思います。


あめふりくまの子が泣ける理由7つ
1つ目:くまの子の孤独感

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くまの子は、
雨でできた小川を見て、
ずっとひとりぼっちで、
魚がいないかと待ち続けています。
しかもたくさんの雨が降り続ける中です。
くまの子の孤独感が感じられますよね。
この歌詞を見て、
このくまの子は一体いつまでここにひとりでいるんだろう
もしかしてずっとこのままこの場所で待ち続けるんだろうか
迎えに来てくれる母親はいないんだろうか
このような不安な気持ちになり、
もの悲しさを感じるのでしょう。
2つ目:くまの子の空腹感

第二連の歌詞は、
いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてまし
さかなが いるかと みてました
となっており、
ただ「魚を見つけて遊びたいのかな」
という感じがしますよね。
しかし第三連の
なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました
この歌詞を見ると、
魚を探しているのはお腹がすいているから。
でも魚がいないから水を飲んで空腹をしのいでいる。
という意味にもとれます。
このように解釈すると、
第四連の
それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました
この歌詞は、
お腹がすいて必死で魚を探しているくまの子
という解釈ができるでしょう。
このようにこの曲の歌詞は、
お腹をすかせたくまの子の姿が浮かび、
その健気な姿に涙してしまうのでしょう。
3つ目:雨の悲しい雰囲気
この曲が涙を誘うのは、
雨の日の設定だからとも言えます。
歌詞の中で使われる「雨」は、
・悲しさ
・寂しさ
・孤独
・絶望
などの気持ちを表現されることが多いですよね。
この曲は「あめふりくまのこ」とあるように、
雨をテーマにした曲です。
しかも第1連では、
あとから あとから ふってきて
最後の第5連では、
なかなか やまない あめでした
という歌詞があり、
はじめから最後まで
ずっと雨が降り続けています。
悲しい雰囲気に包まれたまま終わるので、
ひとりぼっちのくまの子が
より一層切なく見えてしまい、
涙してしまうのではないでしょうか。
4つ目:自分の子どもを思い出すから

子どもは雨の日の水たまりが大好きです。
水の中にいる生物を探してみたり、
川筋を広げて水がよく流れるようにしたり、
長靴で水を跳ね上げて遊んだり…。
くまの子が雨と戯れる描写は
そんな人間の子どもの雨の日の行動を
非常に巧く表現しています。
だからくまの子の歌詞を聞くと、
うちの子もそうだったな…
と、つい思い出してしまうのでしょう。
子育てが落ち着いた親の心に響く

この曲は子育て中の親よりも、
少し子どもが大きくなってから聞いて、
久しぶりに聞いて泣いた
という方が多いようです。
くまの子の無邪気な姿から、
我が子の幼い頃を思い出し、
あの可愛らしい時はあっという間に過ぎ去ってしまったな
と胸が熱くなるのかもしれませんね。
5つ目:子育てへの後悔を感じるから

前述したように、
くまの子が雨の日に遊ぶ姿から、
我が子の幼い頃を思い出し涙する方は多いようです。
そしてさらに深堀りすると、
その涙の理由は、
子育てへの後悔を感じるから
とも考えられます。
くまの子は雨の日でたったひとりで遊んでいます。
その孤独な姿を、
幼き日の我が子と重ねてしまうのかもしれません。
もっと遊んであげれば良かったな

子育て中はとにかく忙しく、
子どもが静かにひとり遊びをしていると
ついつい放っておいてしまうもの。
そう、雨の日のくまの子のように。
くまの子の歌詞を聞くと、
ちょこんと座ってひとり遊びをしていた子どもの姿を思い出し、
あの時もっと一緒に遊んであげれば良かったな
という子育てへの後悔が感じられ、
涙してしまうのかもしれません。
6つ目:父親目線の歌詞だから

「あめりふりくまのこ」を作詞したのは、
作者の鶴見正夫さんです。
この曲の歌詞は、
鶴見さんが息子さんを想う気持ちが
反映されているそうです。

http://www.k-yoshizawa.com/blog/?p=2095
雨の日に自宅の2階からふと庭を見ると、
傘をさしている息子さんの姿が。
雨が降ってできた水の流れを、
ずっと見ていたそうです。
この姿が、
魚でもいないか待っているように見えたため、
くまの子の歌詞が生まれたといいます。
この歌詞は、
父親が親の目線で書いた歌詞だから、
愛情の深さが感じられ、
胸を打つのかもしれませんね。
「かさでもかぶって」の言い回しの秘密は?

第5連の歌詞に
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました
という歌詞があります。
ふつう傘は「かぶる」のではなく「さす」と表現しますよね。
このちょっと謎な言い回しにした理由は、
鶴見さんが傘をさした息子さんを2階から見た時に、
傘をかぶっているように見えたから
ではないでしょうか。
小さな子どもが傘をさすと上半身がすっぽり覆われてしまい、
「さす」よりも「かぶる」という感じがしますよね。
くまの子の歌詞には、
そんな小さな息子さんの姿が反映されているのだと思います。
7つ目:作者の心情が込められているから

「あめりふりくまのこ」は、
作詞した作者の鶴見正夫さんの
心情が込められていると言われています。
当時鶴見さんは、
会社員からフリーに転身した時だったそうです。
しかし思い切ってフリーになったものの、
家族を養っていけるか不安を抱えていたといいます。
息子の姿に自分を重ねた

そんな時ふと目にしたのが、
雨のなか水の流れをじーっと見ている息子さんの姿でした。
その姿が、
良い事が起きないかなと思いながら過ごしている自分自身
と重なったそうです。
この曲がなぜかもの悲しく感じられるのは、
魚を待ってもなかなかこないくまの子を通して、
仕事に対する鶴見さんの不安が
感じられるからかもしれませんね。
ちなみに、
1961年に「あめふりくまのこ」を作詞した鶴見さんは
1962年にNHK「うたのえほん」で放送されました後、
日本童謡賞、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されています。
作家として大成功をおさめられたのですね。
まとめ
今回は「あめふりくまのこ」の歌詞の意味から
泣ける理由を考察してきました。
くまの子の孤独さや空腹感や雨の雰囲気、
さらにくまの子に我が子を重ねてしまうことが
涙する理由と言えそうです。
さらに作詞者の息子さんへの愛情や
当時の心情が込められていることも
胸に響く理由と言えるでしょう。
この曲を聴くときには、
このような理由を考えて聴いてみてくださいね。