ベトちゃんドクちゃんは、下半身がY字につながった
結合双生児としてベトナムで有名になった双子の男の子です。
そんな双子の分離術は日本人医師が携わっていたというのです。
日本人医師で現在わかっている医師は次の3名でした。
- 近衛忠煇(日赤名誉会長)
- S医師(麻酔科医)
- 入山圭二医師(日本での手術担当)
ベトちゃんドクちゃんの執刀医は日本人もいた
ベトちゃんの危篤によりベトナムの赤十字より緊急援助要請が入る

1981年にベトナム戦争で枯れ葉剤が散布された村で生まれた双子のベトちゃんとドクちゃん。
農業地域に住んでいたお母さんが、
枯れ葉剤を含んだ井戸水を飲んだことが原因だったようです。
病院に預けられた2人は、医師や看護師の愛情を存分に受けて育ったものの、
不衛生な病院で耳をネズミにかじられたりしてしまったそうです。
当時のトゥーズー病院には抗生剤、殺菌剤、手術の糸すらない状況だったとか。
もちろん結合双生児の分離手術を単独で行う技術力はありませんでした。
2人が5歳の頃に兄ベトちゃんが脳炎で危篤状態になり、
ベトナム赤十字社から緊急援助の要請が日本の赤十字に届きました。
日本の赤十字に緊急援助要請が届く

緊急要請が来たものの、日本の赤十字はかなり慎重な動きでした。
理由は日赤の中立的立場を揺るがすものになるリスクがあったためです。
- 枯葉剤との因果関係がわからない
- この支援が反米運動に利用されたら、赤十字の中立性が危うくなる
しかし、2人の様子が報じられると日本でも支援の声や金銭的な支援活動も広がっていきました。
日赤の名誉会長で社長も務められていた近衛忠煇医師とあと3名の医師は
600kg以上の医療機器や材料を積んでベトナムへ発つのでした。
直行便のなかったベトナムから羽田まで、JALがチャーター機を用意して、
日本国内で緊急手術を行う予定でした。
4名の医師は誰だった?

2年後の1988年にトゥーズー病院の故ズオン・クアン・チュン医師は、
ベトナム人医師70名の大医師団を編成。
理由は、ベトちゃんがついにベトちゃんがトゥーズー病院で昏睡状態に陥ってしまったからです。
すなわりベトナム国内で緊急分離手術を行う以外選択肢はないというギリギリの状態。
2年前、ベトちゃんドクちゃんの担当医だった日本人医師4名をベトナムに呼び戻します。
現在ネットで名前が挙がっている医師は2名。
- 近衛忠煇(現日本赤十字名誉会長)
- 麻酔科医S医師(同じ飛行機に乗り合わせた乗客の証言)
後の2名は名前が挙げられていません。
あの日手術に参加した医師らは、既に亡くなってしまった人もいる
とVIET JOで記載がありました。
ベトナムの医師は次のとおりです。
- バン・タン氏
- チャン・タイン・チャイ氏
- ボー・バン・タイン氏、レ・キン氏
- ブー・タム・ティン氏、
- グエン氏
- バン・ヒエップ氏
難易度が高すぎる手術に世界中が注目

2人の分離手術というのは、前例がなく医師たちもシミュレーションを繰り返しました。
2人を骨盤の中央部分から切り離し、神経系統の分割を行う手術に世界中が注目していました。
手術は17時間もかかり、この手術はギネスブックにも掲載されました。
平成7年には三重県で昨日開腹手術が行われる

平成7年には三重大学病院にて2人の機能回復手術が行われました。
その際に担当した医師が三重県桑名市にある病院の名誉院長である入山圭二医師でした。
手術後も親交は続き、ドクくんの結婚式には招待されベトナムに行かれたそうです。


まとめ
ベトナムの下半身が繋がったまま出産されたベトちゃんとドクちゃん。
この2人の分離手術には、日本人医師が立ち会っています。
現在わかっている医師は次の3名でした。
- 近衛忠煇(日赤名誉会長)
- S医師(麻酔科医)
- 入山圭二医師(日本での手術担当)
その恩もありドクちゃんは今でも日本との架け橋になろうとしてくれています。
大手術を万全の状態でない中成功させた日本人医師団は本当にすごいですね。