甘いマスクと鍛え上げられた肉体で
かつてセックスシンボルとなったブラッド・ピット。
その役者人生やプライベートなど、
ブラッド・ピットの経歴について調べてみました。
ブラット・ピットの経歴・プロフィール
クリスチャンの両親のもとで育つ

https://spur.hpplus.jp/celebrity/celeblitygallery/2016-01-09-JGFUmEU/page12/
生年月日:1963年12月18日
年齢:59歳(2023年9月現在)
出生地:アメリカ合衆国オクラホマ州シャウニー
アメリカのオクラホマ州ショーニーで誕生したブラッド・ピット。
- 父:トラック会社の経営者
- 母:高等学校のカウンセラー
- ブラッド・ピット
- 弟:ダグ(3歳下)
- 妹:ジュリー(6歳下)
このような家族構成です。
両親は敬虔なクリスチャンで、
保守的な家庭だったそうです。
6歳から聖歌隊に入り、
高校までコーラスを続けています。
実はこの時のコーチが、
演劇部のコーチになったために、
ブラピも演劇の道に進んだと言われています。
モテモテの学生時代

https://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-11354908015.html
中学校:バスケットボール部に所属し練習に明け暮れる
高校:テニス、野球、レスリング、水泳、バスケットボールに取り組む
このようにスポーツに没頭したという学生時代。
さらに生徒会、弁論大会出場、演劇活動などにも取り組む、
アクティブな学生だったそうです。
そして超イケメンで肉体美だったブラピ。

https://spur.hpplus.jp/celebrity/celeblitygallery/2016-01-09-JGFUmEU/page12/
運動も勉強もできてイケメンな彼は、
当然女の子からモテモテだったそうです。
小学生の頃からすでに、
かなりモテていたといいます。
しかしシャイだったブラピは、
自分から女の子にアプローチすることはなかったそうですよ。
大学卒業直前にロサンゼルスへ

https://memorylane-media.com/brad-pitt
ミズーリ大学コロンビア校に入学したブラピは、
ジャーナリズムを専攻します。
しかし大学卒業まであと2週間という時に、
俳優になるために中退。
ジャーナリズムの学位を取得するまでに、
残りたったの2単位だったそうです。
後にブラピはこの時を振り返り、
卒業が近づく頃になると、
友人たちはみんな就職に向けて頑張っていた。
しかし私はまだ準備ができていないと気付いた。
卒業の2週間前にふと思いついた。
もしここにチャンスがないのであれば、
チャンスのある場所に行けばいい。
すごくシンプルなことだ。
このような気持ちになり決心を固めた彼は、
325ドルだけを持って、
単身ロサンゼルスに向かったそうです。
下積み時代

Amazonより
俳優を目指してロサンゼルスにやってきたブラピ。
すぐに仕事があるわけではなく、
いくつものアルバイトを掛け持ちしながら、
演技の勉強をしたといいます。
やがて、
- テレビのゲスト出演
- 映画のエキストラ
- CM
などの仕事がもらえるようになったそうです。
さらに「リック」(1988年)では映画初主演を務めます。
「リック」はロケ地のユーゴスラビア内戦によりフィルムが紛失。
後にフィルムが発見され9年後に全米公開されています。
その後もドラマや映画で、
少しずつ演技の幅を広げていきます。
イケメン俳優として注目される

https://safarilounge.jp/online/culture/detail.php?id=11847
無名俳優だったブラピが注目された作品は、
スーザン・サランドンとジーナ・デイヴィス主演の
「テルマ&ルイーズ」(1991年)でしょう。
テルマと一夜を過ごすイケメンのヒッチハイカーという役どころ。
出演時間は少なかったのですが、
あのイケメン俳優は誰?
と話題になりました。

https://screenonline.jp/_ct/17301309/p2
さらに翌年の1992年には、
ロバート・レッドフォード監督の「リバー・ランズ・スルー・イット」で
メインキャストに大抜擢されます。
爽やかなイケメン全開の役を演じ、
女性ファンがさらに急増しました。
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」で大ブレイク

https://front-row.jp/_ct/17500907
トム・クルーズとブラッド・ピットが主演を務め、
美しくも切ないヴァンパイアの人生を描いた
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」。
すでにスター俳優であったトム・クルーズと、
若手俳優時代のブラピという夢のような作品です。
二人の美しすぎるヴァンパイア姿に
多くの映画ファンが熱狂。
ブラッド・ピットの名前が一気に広がりました。
様々な役に挑む

https://eiga.com/movie/53529/interview/
イケメン俳優、セックスシンボルとしての
地位を確立したブラピは、
その後実にさまざまな作品に挑戦します。
・「セブン」(1995年)
・「12モンキーズ」(1995年)
・「スリーパーズ」(1996年)
・「デビル」(1997年)
・「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(1997年)
・「ファイト・クラブ」(1999年)
・「スナッチ」(2000年)
・「オーシャンズ11」(2001年)
・「トロイ」(2004年)
・「Mr.&Mrs. スミス」(2005年)
・「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(2008年)
・「マネーボール」(2011年)
このように数多くの作品に出演し、
ヒットを飛ばし続けます。
また難しい役に挑戦することも増え、
イケメン俳優ではなく、
演技派俳優として認知されるようにもなりました。
念願のアカデミー賞を獲得

・「12モンキーズ」アカデミー助演男優賞ノミネート
・「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」アカデミー主演男優賞ノミネート
・「マネーボール」アカデミー主演男優賞ノミネート
このようにアカデミー賞ノミネートが続き、
2019年「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で
ついにアカデミー賞助演男優賞受賞します。
クエンティン・タランティーノ監督作品で、
ブラッド・ピットとレオナルドディカプリオが
初共演した作品として注目されていました。

https://front-row.jp/_ct/17339360
登壇する前、
ディカプリオはハグをして祝福していました。

女優たちとのロマンスと2度の結婚

https://www.elle.com/jp/culture/celebphotos/g37799340/bradpitt-twinlook-211002/
若手俳優時代から、
共演者とのロマンスの噂が絶えなかったブラピ。
- 「トゥルー・ブルース」で初共演したジュリエット・ルイスと交際
- 「セブン」で共演したグウィネス・パルトローと交際

https://spur.hpplus.jp/celebrity/celeblitygallery/2016-01-09-JGFUmEU/page9/
グウィネス・パルトローとは、
ブラピの猛アタックにより婚約までしましたが、
その後破局し、結婚には至りませんでした。
ジェニファー・アニストンと結婚

https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a34118781/bradpitt-jenniferaniston-fans-200923-hns/
グウィネスの後すぐに出会ったのが、
ドラマ「フレンズ」レイチェル役で大ブレイクした
ジェニファー・アニストンです。
もともと「フレンズ」の大ファンだったブラピが、
知人の紹介を通じて出会ったといいます。
極秘交際期間を経て2000年に結婚。
世界的大スター二人によるビックカップルを世界中が祝福し、
おしどり夫婦として知られるようになります。
しかし2005年に破局。

Amazonより
その原因は、
ブラピが「Mr.&Mrs. スミス」で共演した
アンジェリーナ・ジョリーと恋に落ちたから。
国民的人気を集めていたジェニファーに対し、
同情する声が多く上がりました。
アンジェリーナ・ジョリー

https://www.ellegirl.jp/celeb/g34502549/brad-pitt-angelina-jolie-red-carpet-photos-201028/
2005年に「Mr.&Mrs.スミス」で共演した
ブラピとアンジェリーナ・ジョリー。
熱愛関係になった二人は交際を開始。
長い交際期間を経て2014年に結婚。
養子、実子合わせて6人の子供をもうけます。
「ジョリー・ピット基金」を設立するなど、
夫婦で慈善活動にも熱心に取り組んできました。
しかし2016年には離婚が成立。
ブラピの飲酒や暴力などが原因だったと言われていますが、
暴力に関してはロサンゼルス市警によって否定されています。
仕事が忙しすぎたブラピが
家族に対応できなくなったことが
離婚の原因だったとも言われています。
ブラッド・ピットの現在は?
プロデュースが楽しい

Amazonより
ブラッド・ピットは俳優だけでなく、
プロデューサーでもあります。
2001年に立ち上げた制作会社「プランBエンターテインメント」は、
多くの作品を作ってきました。
そしてブラピがプロデュースした作品は、
非常に高く評価されてきました。
- 「ディパーテッド」(2006年):アカデミー賞 作品賞受賞
- 「マネーボール」(2011年):アカデミー作品賞ノミネート
- 「それでも夜は明ける」(2014年):アカデミー賞 作品賞受賞
- 「ムーンライト」(2016年):アカデミー賞 作品賞受賞
このようにプロデューサーとしても
大成功をおさめているブラッド・ピット。
アカデミー賞では一目置かれる存在になっています。
「インタビューマガジン」のインタビューでは、
カメラの前よりも後ろにいたいんだ
とも語っています。
インディーズ系の作品が多い

Amazonより
プランBエンターテインメントは、
創業当初は大作系を中心に手掛けていましたが、
2006年にブラピが単独オーナーになった後は、
インディーズ系の作品が多くなりました。
俳優としてはメジャー作品に主演することが多いブラピですが、
本当に手掛けたい作品は、
芸術性の高い映画なのかもしれませんね。
敏腕プロデューサーとしての、
今後のブラピの活躍にも注目したいですね。
現在子供は6人

https://www.ellegirl.jp/celeb/g34502549/brad-pitt-angelina-jolie-red-carpet-photos-201028/
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー
との間には6人の子供がいます。
マドックス・ジョリー=ピット(息子、養子)

https://front-row.jp/_ct/17062449
生年月日:2001年8月5日
出身地:カンボジア
2002年にアンジーと当時の夫ビリー・ボブ・ソーントンの養子となりました。
ブラッド・ピットは2006年に養子にしています。
パックス・ジョリー=ピット(息子、養子)

生年月日:2003年11月29日
出身地:ベトナム
3歳の時に、
ブラピ&アンジー夫妻の養子として迎えられました。
ザハラ・ジョリー=ピット(娘、養子)

https://www.cinematoday.jp/news/N0041261
生年月日 :2005年1月8日
出身地:エチオピア
生後6ヶ月の時に、
ブラピ&アンジー夫妻の養子として迎えられました。
シャイロ・ジョリー=ピット(娘、実子)

https://www.crank-in.net/news/38938/1
生年月日 :2006年5月27日
出身地:ナミビア
ブラピ&アンジー夫妻の間に生まれた
1人目の子供です。
写真中央がシャイロ。
この頃は男の子の服装に憧れていたそうです。
最近のシャイロはこちら。

https://www.elle.com/jp/culture/maman/g38455342/angelina-jolie-brad-pitt-shiloh-stylefile-211208/
ドレス姿も素敵です。
ご両親の美しさをしっかり受け継いでいますね。
ノックス・ジョリー=ピット(息子、実子、双子)

https://www.celebtimes.net/archives/50321
生年月日:2008年7月12日
出身地:フランス・ニース
ブラピ&アンジー夫妻の間に生まれた双子。
ヴィヴィアン・ジョリー=ピット(娘、実子、双子)

https://www.cinemacafe.net/article/2014/07/24/24852.html
生年月日:2008年7月12日
出身地:フランス・ニース
ブラピ&アンジー夫妻の間に生まれた双子。
アンジー主演「マレフィセント」で
幼少期のオーロラ姫を演じて話題になりました。
5人の子供の共同親権を持つ

マドックスはすでに成人であるため、
ブラピは他の5人の子供に対し、
ブラピとアンジーは共同親権を持っています。
離婚裁判の時には、
泥沼化と報じられた時期もありましたが、
2019年以降は、
アンジーと子供たちが暮らす自宅をブラピが訪れるなど、
良い関係を築いているという報道がありました。
俳優引退の噂があった?

https://www.daily.co.jp/gossip/foreign_topics/2023/01/10/0015953475.shtml
2022年アメリカ版「GQ」のインタビューで、
引退を考えていると報じられ、
世界中の映画ファンが衝撃を受けました。
しかしその後、
ブラピは公の場でこれを釈明。
子どもからヤングアダルト、
ヤングアダルトからミドルエイジと捉えており、
僕はミドルエイジを過ぎたから、
最後の時間をどう過ごすか考えたいという意味だった
とのこと。
引退を考えているのではなく、
俳優としての「最後の時期」の過ごし方を
具体的に考えていきたい
ということだったそうです。
言い回しには気をつけないと
と反省した様子だったというブラピ。
引退する予定はないとのことで、
多くの映画ファンが安心したようです。
まとめ
今回はブラッド・ピットの経歴について調べてきました。
若手時代の苦労から敏腕プロデューサーとなった現在まで、
興味深い経歴があったことがわかりました。
引退の予定もないということですので、
これからも大いに活躍していただきたいですね。