1月17日ドカベンの作者水島先生が死去されました。
今一度ドカベンの魅力が見直されていますが、皆さんは
ドカベンが最初は柔道漫画だったことをご存じですか?
連載初期に描かれた中学時代では山田、岩鬼、山田の妹サチ子の3人が中心となり、
鷹丘中学を舞台とした柔道漫画だったのです。
「ドカベン」が柔道漫画だったのはなぜ?

当時『週刊少年サンデー』(小学館)でご自身が野球漫画
『男どアホウ甲子園』を連載していたため、それが終わるまで配慮したんです。
このことからわかるように、
もともと柔道部に入る前の山田太郎は野球少年でありました。
(野球漫画へ移行する準備はされていましたね。)
ドカベン以前にも野球漫画を連載していた

まず小学館の少年サンデーで佐々木守原作の「男どアホウ甲子園」を連載しています。
そのときに秋田書店の少年チャンピオンで「ドカベン」開始しました。
「男どアホウ甲子園」が終わるまでの間、「ドカベン」を柔道漫画として続けています。
他紙でも野球漫画を連載していたため、
1人の漫画家が2作野球漫画を出すことをためらったのですね。
水島先生は他にも「男どアホウ甲子園」「一球さん」
「野球狂の詩」「球道くん」と野球漫画を描かれています。
柔道部時代のドカベン
「柔道編」時代の山田太郎は、カバンの中はバカでかい弁当箱(ドカ弁)のみ。
手のひらに妹のサチ子を乗せて町内を闊歩するなど、
のちの彼からは想像もできない“奇行”を見せてくれるのも読んで欲しいポイントです。
柔道漫画というかスポーツ漫画全体の先駆け的存在である『イガグリくん』(福井英一→有川旭一)が、時を経て柔道界の重鎮・伊賀谷栗助(いがや・くりすけ)としてそのまま登場。ミイラ怪人軍団(正体は米国柔道選手)との対決や、空手家・幽鬼鉄山との異種格闘技決闘など、野球時代しか印象にない読者からすると、かなり驚きの山田太郎の姿が見られる。
スポーツグラフィックより引用
ストーリーとしては、山田太郎は小学生のとき相撲をしており、その後野球を始めます。
しかし中学2年で野球から柔道に移り、中学3年で野球に戻りました。
アニメ版ではほぼカットされています。
まとめ
『ドカベン』は週刊少年チャンピオン連載初期は柔道漫画だったことから、
野球漫画の代名詞でありつつも、
秋田書店から販売される全48巻の単行本は「野球コミックス」ではなく「学園コミックス」とされています。
知られざるドカベンの秘密がわかったところでまた再復習をしてみるのも良いでしょう。