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【2023最新】ベトちゃんドクちゃんの現在は?ベトちゃんは死亡/ドクちゃんは日本との交流を続けていた!

【2023最新】ベトちゃんドクちゃんの現在はベトちゃんは死亡ドクちゃんは日本との交流を続けていた!

双子の兄であるベトちゃんと弟のドクちゃんは

1981年2月25日に生まれ、下半身が結成された双子として世界中で話題になりました。

原因はベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害の可能性が高いそうです。

双子の男の子は今現在どうなっているのでしょうか。

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ドクちゃんが死亡した説はデマ!

【2023現在】ドクちゃんはベトナムのコンピューター関連会社で働いている

なんとドクちゃんは、現在双子のお父さんになっていました。

また、職業訓練を受けて医療事務でお仕事をされています。

2021年にはホーチミン市に日本風の飲食店を開業

なんと、ベトちゃんは2021年にベトナムに日本食の店をオープンしていました。

店名は「Duc Nihon(ドク ニホン)」。

日本からの旅行客が訪れる名所になりつつあるそうです。

日本人としては嬉しいですよね。

日本とベトナムの交流は、新型コロナ禍で縮小を余儀なくされました。

しかしドクちゃんの体調不良があったためお店は1ヶ月で閉店しています。

分離術で日本との交流が始まる

分離手術などで支援を受けた日本への思いは強く、

日本人に特別な思いを抱いていたようです。

Y字に繋がったベトちゃんとの体を別々にする分離術。

昭和63年に日本赤十字社の医師4名の立ち会いの下

ホーチミン市ツーズー産婦人科病院で行われています。

平成7年には三重大学病院にて機能回復手術が行われました。

手術後も三重県桑名市にいる入山医師との親交は続き、
ドクくんの結婚式には招待されベトナムに行かれたそうです。

兄弟は、腹部と生殖器、肛門部分がつながっており、2本の脚と1本の短い脚しかついていなかったそうです。

子どもたちの名前も男の子は「フー・シー(富士)」、女の子は「アイン・ダオ(桜)」と命名されています。

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日本との交流も引き続き行なっている

新型コロナ前より旅行会社と提携し、日本からの修学旅行生や観光客、在越日本人向けに、

交流会や講演会を実施してきたドクちゃん。

日本を40回以上訪問、枯れ葉剤被害などを説明してきたドクちゃん。

ドクちゃんのラーメン屋には日本から訪ねてくる人も多く

交流の拠点をつくりたい

と考えているそうです。

今後も更なる見本との交流が期待できます。

ベトナムの平和村にて2人は生活していく


2人が生活していたツーズー病院の中には「平和村」という障がい児が暮らす施設があります。

そこでドクちゃんはボランティアスタッフとして働いていました。

平和村のスタッフとなり、2006年12月に結婚。

ドクさんの結婚式を主催したのは、彼の人生に命を与えた「おじいちゃん」「おばあちゃん」こと、手術に参加した医師たちだったそうです。

兄のベトちゃんは長い間寝たきりで亡くなっていた

https://murasan33.exblog.jp/

1988年にベトナムで分離手術を受けた後、

兄のベトちゃんは長く寝たきりの状態が続き、残念ながら2007年に平和村にて亡くなっていました。

手術後19年目だったようです。

死因は腎不全と肺炎の併発だったようです。

ベトさんは急性脳症のため痙攣の発作を起こすようになり、やがて昏迷状態に陥って植物状態となってしまっていました。

分離手術の前後は当然のこと、

その後も腎臓や尿管などの病気で手術や入院を繰り返してきた二人。

体には大きな負担がかかっていたようです。

2007年のベトちゃんの訃報から、

ドクちゃんが亡くなったのでは

とネットの検索画面に表示されてしまったりと憶測が飛び交いましたが、

兄のベトちゃんが亡くなっていたのですね。

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まとめ

ベトナムの双子であるベトちゃんとドクちゃん。

兄であるベトちゃんは分離手術後寝たきりとなり2007年に腎不全と肺炎で亡くなってしまいました。

そのため弟であるドクちゃんも亡くなったと言われましたが、

現在ベトナムでお店を営んだり、医療事務の仕事をしながら

双子のお父さんになられていました。

今後ベトちゃんの意思を継いでドクちゃんの想いが伝わっていくといいですね。

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