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フジコヘミングの経歴や家族は?東京藝大卒業するも貧乏に悩まされた日々

フジコヘミングの経歴や家族は?東京藝大卒業するも貧乏に悩まされた日々
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2022年12月で90歳を迎える現役ピアニストのフジコヘミング。

時代や国境を越え愛される伝説的なアーティスト

フジコヘミングの経歴や半生についてご紹介したいと思います。

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目次

フジコヘミングのプロフィール

ロシア系スウェーデン人父親と日本人の母親のもと生まれる

フジコヘミングは父母弟の4人家族でベルリンで生まれます。

父親はロシア系スウェーデン人で、幼少期には母親の母国である日本に移り住みます。

幼い記憶ながらもフジコヘミングは日本に来てから、よく両親のケンカを見ていたそう。

日本の生活にも馴染めなかった父親は家族を3人を残してスウェーデンに帰国してしまったのです。

それからが彼女の人生とも言えるピアノとの出会いにつながります。

母の指導の元ピアノをはじめ天才少女と呼ばれる

フジコヘミングの母親はピアニスト大月投網子(おおつきとあこ)で、

父親が帰国した5歳ごろからピアノを習い始めます。

プロのピアニストということもあり、母親の指導はとてつもないスパルタな練習方法だったようです。

厳しいながらも全身全霊を込めて熱心にフジコヘミングへのピアノレッスンをしました。

その甲斐もあってか、

小学校3年生の時にはラジオの生出演で

演奏を行い“天才少女”と注目を浴びたそうです。

その後10歳からは父親の友人で、

母親のピアノを師事したレオニード・クロイツァーに

本格的なピアノ指導を受けることとなります。

28歳でドイツへ留学

学生時代もピアノを続け、17歳でデビューコンサートを果たしました。

その後も東京藝術大学在学中には

NHK毎日コンクール入選、文化放送音楽賞など多くの賞を受賞しました。

東京藝術大学卒業後は本格的にピアニストの道を

歩んでいき、日本フィルハーモニー交響楽団など

日本を代表するオーケストラと共演することとなります。

日本での活躍を機に、

さらに高みを目指そうを思ったフジコヘミングはドイツへのピアノ留学を進めます

しかし、パスポートの申請時にスウェーデン国籍が消失しており

無国籍状態だったことが発覚し留学を断念せざるを得ない状況となります。

国籍を取得できないまま悶々とした日々を過ごす中、

27歳の時に大きな転機が訪れます。

東京で開いたあるコンサートに駐日ドイツ大使が観客として来ており、

フジコヘミングの才能に魅了され助力することとなります。

赤十字難民に認定され、

28歳でついに国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)への留学を果たします。

ドイツ留学時にはアジア人差別を受ける

国立ベルリン音楽大学では、優秀な成績を残していたものの

ドイツ人からは「東洋人」として見られアジア人差別を受けます。

幼少期から日本でも「異人」としていじめられていたフジコヘミングは

この地球上に私の居場所はどこにもない…
天国に行けば私の居場所はきっとある

と自分に言い聞かせていたと言います。

聴力を失いストックホルムへ移住

国立ベルリン音楽大学卒業後は、オーストリアの首都ウィーンで極貧生活を送りつつ

有名な音楽家とのつながりをもつ機会をうかがっていました。

なけなしのお金で、世界的な音楽家バーンスタインの演奏会チケットを購入し、

関わりを持つことに成功しました。

ついに大舞台でのリサイタルを開催することとなった直前に悲劇がおそいます。

風邪をこじらせ、聴力を失ってしまったのです。

栄光をつかむことができませんでした。

もともと16歳の頃に中耳炎で右耳の聴力を失っていましたが

この時、左耳の聴力も失い治療に専念することになります。

そして、スウェーデンのストックホルムでの療養生活が始まりました。

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日本に帰国してから大ブレイクし今は「奇蹟のピアニスト」

母親が亡くなったことをきっかけに、

30年以上ぶりに日本へ帰国することとなります。

帰国後も精力的に音楽活動を行う中で、

1999年あるテレビ番組でフィーチャーされます。

NHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」。

この放送をきっかけにフジコヘミングの名は一躍有名となり、

発売されたCD『奇蹟のカンパネラ』は発売3ヶ月で30万枚の大ヒットとなりました。

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