ここ最近の日本のバスケはNBAに挑戦する日本人が続々と増えてきています。
そのうちの1人が現役日本代表の比江島慎選手です。
比江島選手はNBAの登竜門とされているサマーリーグに参加しました。
比江島ステップと呼ばれる独特な動きを武器としている比江島選手ですが、
一体どのようなキャリアを送ってきたのでしょうか。
今回は比江島慎選手のキャリアを紹介していきたいと思います。

比江島慎の経歴
3年次の全国中学校(全中)で3位となる
- 1年から3年までレギュラー
- 3年連続ウインターカップ3連覇
2.3年時の全日本大学選手権で2連覇
- プロ1年目:ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞
- 2016年:FIBA男子オリンピック世界最終予選
- 17-18:レギュラーシーズンMVPを受賞
比江島慎はバスケの超名門百道中学校へ入学

比江島慎選手は福岡県古賀市出身で、
小学6年生の頃に所属していたミニバスケットボールチームで全国優勝を果たします。
小学校卒業後は、
古賀市からかなり離れている福岡市立百道中学校(公立)に入学します。
そこで比江島選手はエースとしてチームを引っ張り、
全国中学バスケットボール大会で優勝に導きます。
そして都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会を、
福岡県代表としてメンバーに選抜されるとその大会でも全国制覇を成し遂げます。
高校はスーパー名門の洛南高校に入学

中学校を卒業してからは、京都にあるバスケットボール強豪校の洛南高校に入学します。
そこでも比江島選手は1年生からレギュラーメンバー入りをし、
ウインターカップ3連覇を果たします。
男子では当時、
大会史上2校目となるウインターカップ3連覇の立役者になりました。
大学は青山学院大学へ進学
高校卒業後は数々の日本代表を輩出している名門である
青山学院大学に進学を決意します。
青山学院大学は大学で一番練習がしんどいと言われる大学です。
当時の比江島選手もとても苦労したようです。
比江島選手の大学バスケットボールでの成績です。
- 全日本大学バスケットボール選手権大会通称インカレで2度の優勝
- 関東大学バスケットボールリーグ大会では3度の優勝
- その大会でMVPに選ばれる
その活躍もあり、大学在学中に日本代表に選出されました。
以上紹介したように比江島選手の学生キャリアは絵に描いたような輝かしいキャリアでした。
比江島選手のプロ入り後キャリア

大学を卒業した比江島選手は、
アイシンシーホース三河(現:シーホース三河)に入団します。
プロ入り後は1年目は実力を発揮して新人賞を獲得しました。
そして試合で見られる比江島選手の独特なステップは、
比江島ステップと呼ばれるようになりました。
それを武器として比江島選手は、
その後も実力は劣ることなくシーズンを通してのMVPにも選ばれました。
比江島選手の海外挑戦

比江島選手は日本のプロで得た経験を糧に海外挑戦を決意しました。
そして選んだ行き先はオーストラリアです。
そして比江島選手はオーストラリアリーグNBLのチーム、
ブリスベン・ブレッツでプレイすることになりました。
しかしわずか5ヶ月で解雇を言い渡され退団を余儀なくされてしまいます。
理由としては、
海外選手を相手とした比江島選手のフィジカル面やシュート力の弱さが原因と言われています。
その後はサマーリーグに挑戦

その経験を元に比江島選手はNBAサマーリーグへの挑戦を決意します。
サマーリーグとはNBAの登竜門で、
比江島選手はニューオーリンズペリカンズでプレーすることになります。
残念ながらNBAの本契約には至ることは出来ませんでした。
比江島選手のシュートに対する積極性がないからという理由でした。
しかしもっと自信をつけて積極性が磨かれればNBAの可能性があると思います。
そして現在はBリーグ宇都宮ブレックスでプレーしています。
サマーリーグとは

サマーリーグとは、シーズンオフに行われるトーナメント戦です。
各チームで世界中から招待し実際にチームと本契約をするかどうか決めるものです。
- 前シーズンのレギュラー選手以外の新人
- 若い控えの選手
- NBA実績のない選手
学生バスケットボールからNBAへの移行を確認できるため、
このような選手達にとっては絶好のアピールチャンスとなっています。
日本からは富樫選手や田伏選手が招待されたことがあります。
まとめ
比江島選手は現在でも日本を代表するバスケットボールプレーヤーとして日々活躍しています。
そんな選手でも海外でプレーすることは本当に難しいことなのです。
しかしこれからも多くの海外選手相手の試合を経験することになると思います。
そこでめげずにいつかまた海外リーグに挑戦して、
世界でさらに活躍する比江島選手が見れるのを楽しみにしたいと思います。