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比嘉和子の経歴!フィリピンで32人の男性と共同生活女性の秘密

比嘉和子の経歴!フィリピンで32人の男性と共同生活した唯一の魅力的な女性
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比嘉(ひが)和子さんという女性をご存知でしょうか。

フィリピンのマリアナ諸島にあるアナタハン島。

戦後この島で32人の日本人男性と奇妙な共同生活をしていた女性です。

後にこの島での出来事は「アナタハンの女王事件」と呼ばれ世間を賑わせました。

今回はこの奇妙な出来事の真相に迫りたいと思います。

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目次

比嘉和子のアナタハンの女王事件とは?

アナタハン島に残された比嘉和子と32人の男たちの奇妙な事件

まずは簡単に、アナタハンの女王事件についてお伝えしたいと思います。

舞台となったのは、フィリピンのマリアナ諸島にあるアナタハン島

1945年当時は日本が委託統治する島でした。

太平洋戦争が激化する中、

・南洋興発の社員の比嘉菊一郎
・その部下の妻の比嘉和子

が取り残されてしまいます。

そこに爆撃により沈没した船の乗組員、海軍兵士、陸軍兵士らが漂着。

20歳の比嘉和子と32人の10~20代の若い男たち。

女1人と男32人の奇妙な共同生活が始まったのです。

次々と謎の死を遂げる男たち

アナタハン島での極限状態の生活の中、

たった1人の女性・比嘉和子さんをめぐり男たちの壮絶な争いが勃発します。

32人のうち、なんと13人もの男性が死亡しました。

怪我や病気が理由で亡くなった人もいますが、

比嘉和子さんをめぐる争いにより命を落としたとされる男性も少なくありませんでした。

このニュースはセンセーショナルな出来事として大々的に報道され、

比嘉和子さんは男たちを支配した「女王蜂」と言われ話題の人となりました。

しかしながら、本土から遠く離れた孤島で発生した出来事ということもあり、

今なお多くの謎が残っている事件でもあります。

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比嘉和子の生い立ちは?

1924年8月5日
沖縄に生まれる

沖縄の農家の家に生まれる

1938年(14歳)
サイパン島へ出稼ぎに出る

両親を亡くした為、幼くして働き始める

1940年(16歳)
比嘉正一と結婚

・サイパン島で出会い結婚に至る
・正一は南洋興発という会社でコプラ栽培に従事していた日本人男性

1944年(20歳)
アナタハン島で男32人と共同生活を始める

・比嘉和子をめぐり男たちの対立が激化
・命を落とす者や行方不明になる者が相次ぐ

1950年6月(25歳)
アナタハンを脱出し帰国

・比嘉和子が元凶であるとして命を狙われた為、脱出を試みる
・アメリカ軍の船に助けを求めて救出される

1951年6月(26歳)
島に残った男たちも全員帰国

・先に帰国した比嘉和子の働きかけにより帰国が実現

1953年4月(28歳)
映画「アナタハンの眞相はこれだ!!」公開

・アナタハンブームが起き比嘉和子は一躍時の人になる
・映画は酷評され散々な結果に

1954年8月(29歳)
傷害事件の被害者となり転落ぶりが報じられる

・帰国からたった数年のうちに転落していたことが世間に知られる

1961年(36歳)
2人の子連れ男性と結婚

・沖縄に戻り出会った男性と結婚
・子供にめぐまれることはなかった

1974年3月(49歳)
脳腫瘍により死去

・沖縄で穏やかな生活を送るも病に倒れてしまった

1924年沖縄に生まれる

多くの謎に包まれたアナタハンの女王事件。

比嘉和子さんの生い立ちとともに、真相に迫っていきたいと思います。

比嘉和子さんは1924年に沖縄の農家で生まれました。

旧姓は「富里和子」です。

1922年生まれという説もありますが、1924年生まれが有力な説です。

幼い頃に両親を亡くした彼女は、1938年14歳でサイパン島へ出稼ぎに出ます。

1940年に結婚しアナタハン島へ

比嘉和子さんはサイパン島で比嘉正一さんという男性と知り合います。

南洋興発という会社でコプラ栽培に従事していた日本人男性です。

1940年に16歳で比嘉正一さんと結婚します。

その後1944年に、比嘉正一さんの転勤にともない、

サイパン北方のアナタハン島に移り住むことになります。

このアナタハン島が悲劇の舞台となってしまうのです。

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比嘉和子のアナタハンの女王事件の真相は?

女1人と男32人の生活が始まる

1994年6月、太平洋戦争が激化。

比嘉正一さんの上司であり、沖縄出身の比嘉菊一郎さん

家族をサイパン島に疎開させていました。

比嘉正一さんもバガン島にいる妹を迎えに行きますが、

空襲により消息不明になってしまいます。

アナタハン島に残されたのは、比嘉和子さんと比嘉菊一郎さんと現地人45人だけ。

そこへ、攻撃を受けた船の乗組員や、海軍兵士、陸軍兵士など、

総勢31人の男たちが漂着しました。

男たちは10~20代の若者ばかりだったといいます。

毎日のように空襲を受ける中、現地人は脱出したり、

アメリカ軍に連れていかれるなどして、一人もいなくなりました。

ここから、比嘉和子さんと32人の男たちの奇妙な生活が始まったのです。

比嘉菊一郎と夫婦を装う

比嘉和子さんと比嘉菊一郎さんには南洋興発の農場の食べ物がありましたが、

男31人に割り振るほどの余裕はありませんでした。

比嘉和子さんが31人の男たちの性的対象にならない為にも、

比嘉菊一郎さんと比嘉和子さんは夫婦を装い、

彼らと離れて生活をすることにします。

ちなみに、二人の姓が同じなのは同郷ということもあり、

偶然同じだったそうです。

31人の男たちは各集団に分かれて自給自足の生活をしていたといいます。

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終戦後も島で生活を続ける

1945年8月、アメリカ軍はアナタハン島の住人に向けて、

拡声器で日本の敗戦を伝えました。

しかし、比嘉和子さんと男たちはそれを信じることはありませんでした。

やがてアメリカ軍は島を離れようしない日本人たちを残し去ってしまいます。

比嘉和子さんたちは孤島に放置されてしまったのです。

原始人のような生活を強いられる

アナタハン島は、世間から忘れられた状態になりました。

食料も救助もない孤島での生活は壮絶なものでした。

わずかな種でイモなどをを自作したり、

トカゲやコウモリなどを食べて飢えをしのいだそうです。

木をこすり合わせて火をおこしたといいます。

当然、衣服もありません。

比嘉和子さんは木の葉で作った腰ミノだけを着用し、

上半身は何も着けていなかったといいます。

まるで原始人のような生活が続いたそうです。

島での生活が落ち着いてくる

アメリカ軍による空襲もなくなり、

自給自足の生活にも慣れてきます。

自家製のヤシ酒を造ることにも成功し、

宴会をして楽しむこともあったそうです。

終戦を信じていないため、アメリカ軍の攻撃に怯える状態は続くも、

徐々に平穏な時間が流れるようになっていました。

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比嘉和子をめぐる争いが勃発

生きるか死ぬかの状況から脱した男たち。

徐々に生活が落ち着いてくると、

彼らの興味は島でたった一人の女性・比嘉和子さんへと向けられるようになります。

比嘉和子さんをめぐる争いが勃発したのです。

比嘉和子さんに関わる登場人物を、菊一郎・A~Eでご説明していきます。

31人の男たちから身を守るために菊一郎と偽装結婚した比嘉和子さん。

しかし、菊一郎はたびたび暴力をふるうような男性だったといいます。

そこで比嘉和子さんは自ら偽装結婚をバラし、

好意を持っていた男Aと駆け落ちしたのです。

しかし狭い島の中ではすぐに見つかってしまい、

菊一郎のもとへ連れ戻されてしまいます。

さらに、偽装結婚の噂を聞いた他の男たちは、

自分にもチャンスがあると比嘉和子さんの奪い合いを始めるのでした。

2丁の拳銃によりパワーバランスが崩れる

そんな中、ある事件が起きます。

1946年8月、島に墜落した米軍のボーイングB-29の残骸が発見されます。

その中には壊れた拳銃4丁と実弾が。

これを組み合わせて2丁の拳銃を作ることに成功したのがBとCです。

この拳銃により一気にパワーバランスが崩れ始めます。

銃を持った者が比嘉和子さんをものにできるという

恐ろしいルールが確立されることになるのです。

男たちの争いが激化

銃を所持したことで権力を得たBとC

やがて、BとCと対立していた男Dが謎の死を遂げます。

さらにBとCは比嘉和子さんを銃で脅し肉体関係を迫ります。

菊一郎と比嘉和子さんは応じるしかありませんでした。

・比嘉和子さん
・菊一郎
・男B
・男C

この4人生活による奇妙な始まりました。

しかし女1人+男3人という異常な生活は、

案の定すぐに崩壊します。

BとCの関係がこじれ、CがBを射殺

これに恐れおののいた菊一郎は、

あっさり和子さんをCに譲ったといいます。

これによりCが2人目の夫となりました

しかしCも行方不明となり帰らぬ人に。

菊一郎が関わっているのではと疑われました。

さらには菊一郎も変死を遂げ、

その時銃を所持し権力を持っていた男Eが3人目の夫となりました。

しかしE菊一郎殺害の容疑者として疑いの目を向けられていました。

そんなEも波にさらわれて行方不明になってしまいます。

最終的に31人中13人が死亡する

・菊一郎:1人目の夫(Eによる殺害の疑い)
・A:駆け落ちの相手、後に4人目の夫になる
・B:銃で脅し肉体関係を迫った男(Cにより殺害される)
・C:2人目の夫(菊一郎による殺害の疑い)
・D:B、Cと対立していた男(Bによる殺害の疑い)
・E:3人目の夫(Aによる殺害の疑い)

このように、比嘉和子さんに関わる男が次々と命を落とす事態を受けて、

残された男たちは、権力の象徴となってしまった銃を海に沈めることに合意。

はじめに駆け落ちした男Aを正式な夫と認めることにしました。

質素ながら結婚式まで挙げたといいます。

しかしながら、その後も

・食中毒死
・転落死
・溺死

により、最終的には31人中13人が死亡、もしくは行方不明という異常事態が続きました。

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比嘉和子殺害計画が企てられる

比嘉和子さんをめぐる争いにより、多くの男たちが命を落とす中、

「元凶は比嘉和子」と考える者が増えていきます。

そしてついに、争いを止めるためには比嘉和子を抹殺するしかないと、

比嘉和子殺害計画が企てられたのです。

命の危険を感じた比嘉和子さんはジャングルの中に逃げ込みました。

1ヶ月以上経ったある日、米軍の船を見つけ救助を求めます。

その後、サイパン、グアムを経て、ようやく帰国することができました。

1950年、25歳の時でした。

こうして比嘉和子さんの壮絶なアナタハン島での生活は幕を下したのでした。

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比嘉和子のアナタハン島脱出後の人生は?

「アナタハンの女王蜂」として話題となる

壮絶な島での生活を終えて、無事に帰国できた比嘉和子さん。

しかし彼女を待ち受けていたのは、世間の好奇の目でした。

アナタハン島での女1人、男32人の奇妙な生活

センセーショナルな出来事として大きく取り上げられました。

比嘉和子さんをめぐり男たちが命を落としたという疑惑も

格好のネタとなったのです。

・女王蜂のように男たちを支配していた
・32人の男を相手にハーレムを作った女
・食と性をどちらも支配した
・男を惑わす悪女
・比嘉和子を奪おうと男たちが殺人を犯した

このような過激な内容が掲載され、

人々はその衝撃的な内容に熱狂。

カストリ雑誌では、あからさまな性描写の小説が挿絵入りで掲載されるなど、

比嘉和子と男たちの性的関係ばかりに注目が集まりました。

「アナタハン」は「長い間ご無沙汰」を意味する言葉として、流行語にもなったほど。

長いことアナタハンしとりました

なんて使われ方をしていたそうです。

残りの男たちも帰国する

1人で帰国した比嘉和子さんは、島に残った男たちの名前を公表し、

彼らの救出を求めました。

男たちの生存を知った家族は手紙を書き、

アメリカの飛行艇により、新聞と一緒に島に撒かれました。

しかし、日本の敗戦を信じていない男たちは、

その手紙や新聞を見ても、米軍の策略だと思っていたといいます。

しかし、一人の下士官が、届いた手紙が妻のものに間違いないと確信。

他の男たちを説得し、何とか帰国することが実現しました。

1951年、男たちは全員降伏し、羽田空港に戻ってきました。

機内から富士山が見えた瞬間、男たちは皆涙を流したといいます。

しかし、男たちの妻の中には、すでに再婚していたり、

男の実の弟と結婚し子供が生まれていた等の悲劇もありました。

帰国後にその事実を聞くと、泣き崩れた者もいたといいます。

比嘉正一が再婚していたことを知る

比嘉和子の最初の夫・比嘉正一さんは、

実はアナタハン島を出た後に生き延びていたことがわかります。

その後、再婚し、子供も生まれていました。

この事実を知った比嘉和子さんは、一人で生きていこうと

小料理屋で真面目に働きました。

しかし、魔性の女・和子を見ようとする客が押し寄せてしまいます。

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「アナタハンブーム」が巻きおこる

比嘉和子さんは男を惑わす悪女として囃し立てられる一方で、

全国的な人気者となりました。

「アナタハンブーム」が巻きおこり、

比嘉和子さんのブロマイドは飛ぶように売れたといいます。

比嘉和子さんは女優さんのような美しい容姿とは言えません。

しかし大勢の男を狂わせるほどの悪女ということで、

爆発的な人気を誇ったそうです。

女優デビューするも酷評される

比嘉和子さんは悪女というレッテルを貼られたことを逆手に取り、

1952年から「アナタハン島」という舞台に出演し、全国を回りました。

さらに1953年には映画「アナタハンの眞相はこれだ!!」にも出演。

自ら比嘉和子役を演じるという大胆な行動に出たのです。

しかし、素人である比嘉和子さんの演技は酷評されるという残念な結果に。

さらに、200万円の出演料を提示されていたものの、

最終的に支払われないという詐欺にあってしまうという始末。

まさに踏んだり蹴ったりだったようです。

ストリッパーになり転落人生を経験

人気に陰りが出始めた比嘉和子さん。

「アナタハン」という店名の飲食店をオープンさせるも、

マスコミに追われる生活が続き、辞めざるを得なくなったそうです。

その後、興行師の誘いに乗り、

浅草のロック座でストリッパーをするまでに成り下がってしまいます。

比嘉和子の転落ぶりが報じられる

ストリッパーとしても稼ぐことができなくなった比嘉和子さんは、

その後、大阪市西成区のスタンドで女給として働いていたそうです。

スタンドとはスナックのような所だそうです。

1954年8月に、この場所で起きた傷害事件の被害者となったことで、

その転落ぶりが報じられることになりました。

映画スターのように人気を博した比嘉和子さんでしたが、

たった数年のうちに転落したとは悲しい結末です。

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沖縄で再婚し穏やかに暮らす

本土で転落人生を経験した比嘉和子さんは、

生まれ育った沖縄に戻ります。

そこで2人の連れ子がいる男性と知り合い結婚しました。

1961年、36歳の時でした。

この男性との間に子供を授かることはありませんでした。

しかし比嘉和子さんは、2人の連れ子と良い関係を築いたといいます。

たこ焼き屋や、かき氷屋を営みながら、

穏やかな日々を過ごした比嘉和子さん。

しかしそんな平穏な日々は長くは続きませんでした。

脳腫瘍を発症し、1974年3月に49歳の若さで亡くなってしまったのです。

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比嘉和子にまつわる謎

どうして妊娠しなかったのか?

比嘉和子さんは、アナタハン島での生活の中で、

4人の夫と夫婦関係になっていました。

さらに、頼まれれば他の男たちとも関係を持っていたといいます。

しかし、比嘉和子さんは一度も妊娠することはありませんでした。

その理由は、比嘉和子さんが妊娠できない体だったからという説が有力です。

比嘉和子さんは最初の夫・比嘉正一さんと結婚生活を送っていた時に妊娠していました。

しかし、激しい空爆から逃れた時に流産してしまったそうです。

この時の流産の影響で、妊娠できない体になってしまったと言われています。

本当に「女王」だったのか?

男たちを誘惑し、自分を取り合うように争わせた魔性の女とされた比嘉和子さん。

その姿はまるで「女王蜂」のようだと揶揄されました。

しかし、本当に女王のような存在だったのでしょうか。

実際には、マスコミが書き立てたような内容とは違ったようです。

1952年11月に「サンデー朝日」で、比嘉和子さんは以下の内容を語っていました。

・世間に広がっている話には誤解や誇張がある
・比嘉和子をめぐって死んだのは2人だけ
・それ以外の男たちは喧嘩や殺し合い、事故や病気で亡くなった
・4人の男と夫婦関係を結んでいた

このように、4人の男と結婚していたことや、

2人の男の死の原因は自分にあったことは認めています。

しかし、それ以外のことは事実と違うと主張したのです。

推測①悪女ではなく天真爛漫な女性だった

比嘉和子さんは、悪女というイメージからはかけ離れた

天真爛漫で可愛らしい女性だったそうです。

インタビューの中では、

密林や山を越えて逢いに来た者を素っ気なく追い返すことはできなかった。
誰とでも逢ってやりました。

このような内容を平然と答えています。

比嘉和子さんは母子本能が強い女性だったも言われています。

若い男たちに対して深い愛情をもって接していたことが推測されます。

そんな愛に自由で奔放な女性だったから、

周りの男性は魅了され、壮絶な争いへと発展したのかもしれません。

推測②あえて女王を装っていた

マスコミによって「女王」「悪女」に仕立てられた比嘉和子さん。

しかし、

銃に従うしかなかった

ということも述べています。

実際には男たちを手玉に取る女王などではなく、

銃と権力を持った男に従うしかなかったのかもしれません。

しかし、それではただの可哀そうな女性になってしまう。

それよりは「女王」「悪女」と呼ばれたほうが話題にもなるし、

自分のプライドが傷つくことも少ない。

そう考えため、あえて悪女キャラを貫いたのかもしれません。

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比嘉和子をモデルにした映画は?

映画「アナタハン」(1953年)

アメリカ・ハリウッド映画の監督ジョセフ・フォン・スタンバーグによる作品。

「アナタハン島の女王事件」を知った監督が、日本の映画製作会社に映画化を提案。

事実をもとに、「女王蜂」とされる比嘉和子さんと、

男たちの恋愛模様が描かれています。

比嘉和子さんを演じた根岸明美さんは、この映画で女優デビューを果たしています。

妖艶な魅力で島の男たちを誘惑する姿は、

ただ色気があるだけでなく、神々しさも感じられました。

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比嘉和子の経歴!フィリピンで32人の男性と共同生活した唯一の魅力的な女性

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