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【時系列】光GENJI結成から解散までを詳しく!全員で解散を申し出てた?

【時系列】光GENJI結成から解散までを詳しく!全員で 解散を申し出てた
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男闘呼組が2022年に再結成をして、

その時代を知る人たちは懐かしい気持ちになっていると思います。

そして同じ時代にアイドルとして時代を駆け抜けた光GENJIにも

再結成を望む声が聞こえてきているようです。

今回はそんな光GENJIの結成までの流れと解散に至った経歴も、

遡ってみていきたいと思います。

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目次

光GENJI結成から解散までの経歴

1986年
ジャニー喜多川がアイドルにローラースケートを履かせて踊らせる案をひらめく
1987年
2月、ローラースケートの正式なレッスンを始める

飛鳥に作詞作曲を依頼

1987年
ライト・イン・シャドウ」(GENJI)として4名を選抜

田代秀高、諸星和己、佐藤寛之、佐藤敦啓

1987年
大沢樹生と内海光司を光としてレッスンに誘う
1987年
田代秀高が脱退、赤坂晃と山本淳一が加入
1987年
5月「光GENJI」を正式に結成

雑誌やテレビで活動を始める

1987年
8月19日『STAR LIGHT』でレコードデビュー

キャッチフレーズは「超新星から送られたメッセージ。」

1988年
12月31日「第30回 日本レコード大賞」大賞を受賞
1990年
ブームが去り人気に陰りが見えてくる
1994年
メンバー全員でメリー喜多川に解散したい意志を伝える

様々な事情で解散はできず

1994年
8月31日大沢樹生と佐藤寛之が脱退
1994年
光GENJI SUPER 5」に改名
1995年
9月3日卒業(解散)

突然のローラースケートレッスン開始

ローラースケートを履かせて歌うアイドルグループを作りたい

そんなジャニー喜多川さんのひらめきで、

後楽園にローラースケートの練習場があるから、毎日通うように

初めはジャニーズJr.メンバー何十人かが集められました。

彼らにローラースケートレッスンに参加させましたが、

みんな嫌になってだんだん脱落していき人数が減っていきます。

メンバー数人になったときに、

YOUたち明日からメンバーね

ジャニーさんから声がかかりました。

ちなみに佐藤敦啓さんについては個人的に、

YOUでグループ作るから

とジャニーさんに言われていたそうです。

当初から顔が整っていた佐藤敦啓さんに、

ジャニーさんは早くから目をつけていたようですね。

 

  • 新たなグループを作ってレコードデビュー
  • 同年4月からは、テレビ番組へのレギュラー出演も決まっていた
  • しかしこのことは練習に来ている皆には伝えずに、黙ってレッスンに通わせた。

メンバーが選抜される

ローラースケートのレッスンが本格的になり

そこへジャニーさんが直接見に行って、

メンバーを厳選していきます。

その中からまずは10名を選び、

そして最終的に4人が選ばれました。

選抜された4人
  • 田代秀高
  • 諸星和己
  • 佐藤寛之
  • 佐藤敦啓

 

4人に「ライトインシャドウ」という名前を付けて

「ライト」を佐藤敦啓と寛之の2人、

「シャドウ」を田代秀高と諸星和己と年齢で分けようとしたら、

「影(シャドウ)になるなんていやだ」

と諸星さんが反発して逆となりました。

後に光GENJIでセンターを務めていた諸星さんらしい発言ですね。

光とGENJIが合体する

さらに山崎正人さんと阿部直人さんがメンバーに追加されます。

山崎さんと阿部さんは「光 」という名の、

別ユニットとして結成するために追加となりました。

「ライト・イン・シャドウ」「GENJI」に改名し、

2つを合体して「光源氏」の意味になるように考えていたようです。

しかし山崎正人さんが事務所を突然退所してしまいます。

同じ時期に、

事務所を退所したい

といってきた大沢樹生さんに、

You、ローラースケート興味ある?

興味なくてもやってみない? 絶対スターになれるからやりなよ

ジャニーさんがそういって大沢さんをローラースケートの練習に誘いました。

古くから事務所で頑張ってきた大沢さんと同じ「イーグルス」出身の

内海光司さんの2名を「光」として結成させようと考えたようです。

 

イーグルスとは?
  • 中村成幸 (後の中村繁之)、宇治正高、内海光司、大沢樹生で1983年に結成されたグループ
  • 中村の個人活動が増え、1985年にグループは消滅

大沢さんを誘ったことにより田代秀高さんを脱退させることになります。

もし大沢さんが事務所を脱退したいといっていなければ、

田代秀高さんは光GENJIのメンバーとしてデビューしていたかもしれません。

 

ジャニー喜多川は当初、「ローラースケートを履かせた上で更に楽器も持たせるグループ」にするつもりだった。さすがにそれは難しくローラースケートのみとなった。

光GENJIとして活動を始めてすぐに爆発的に売れたかというとそうではなくて、

デビュー前から全国を回って人が少なくても地道に頑張っていたようです。

  • デビュー前に地方を回った時は5000人入る駐車場に、150人しか人が集まらないこともあった
  • デビューの日に「夜のヒットスタジオ」に出演で大きな注目を浴びる
  • その週末の大阪でのキャンペーンで人気が爆発した
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光GENJIがレコードデビュー

1987年8月19日『STAR LIGHT』で、

光GENJIがついにレコードデビューをしました。

「光」と「GENJI」それぞれのユニットが合体して構成された、

当時は新しい形のグループでした。

この形のグループは後にV6などがありますね。

メンバーカラー

内海光司:青
大沢樹生:紫
諸星和己:ピンク
佐藤寛之:水色
山本淳一:赤
赤坂晃:緑
佐藤敦啓:黄

 

1988年から1992年まで『ミュージックステーション』に毎週レギュラー出演。

出演回数は全アーティストの中で光GENJIが最多記録です。

1988年度のオリコン年間シングルチャートでは、

『パラダイス銀河』『ガラスの十代』『Diamondハリケーン』の3曲が

1位、2位、3位を独占と社会現象となる大人気アイドルとなりました。

 

光GENJI大人気エピソード
  • デビュー後最初のバレンタインデーに、
    全国から10トントラック4台分(約3万個)のチョコレートが届く
  • 赤坂晃、佐藤敦啓がプライベートで学校の修学旅行にも参加した時 、
    旅行の京都・奈良で大量の追っかけのやパパラッチに囲まれる
  • 押し寄せたファンで新幹線ホームから移動できず、
    郵便物の搬送などに使われる業務用通路を通って駅から脱出
  • レコードは入荷と同時に即完売をする
  • ビデオ10万本のプレゼントに応募殺到で電話はパンク寸前
  • 公開収録に集まったファンの歓声が大きすぎて放送事故レベル
  • 日本全国に親衛隊ができる
  • 解散コンサートのチケットが最高100万円
  • 移動中のバスにタクシーが何十台もついてくる
    光GENJIはその数が半端じゃなかった

 

タレント宛て(光GENJIではなく別のタレント)に
髪の毛入りの手作りチョコが届くなどの悪質な事例があり、
ジャニーズ事務所がファンレター以外のすべての「贈り物」を禁止にしました。
食品などは安全管理上すべて焼却処分にすると発表しています。

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光GENJIの解散まで

光GENJI人気の衰退、メンバー脱退

光GENJIのブームは思ったよりも早く去ることになります。

時代が移り変わっていく中で、

新たなブームにファンが流れていったのか。

グループとしても個人としてもなかなか広がりが見られなかったのが、

視聴者を飽きさせた原因でもあるようです。

グループとしての成長が今一つ見られないまま、

世間でも話題にあがることがだんだん少なくなっていきました。

もちろん変わらず熱烈なファンもいました。

人気がなくなった要因
  • アイドルや音楽番組が減っていった
  • その頃にバンドブームが到来した
  • 「光GENJI=ローラースケート」のイメージに以上の物が出せなかった
  • CHAGE and ASKAからの楽曲以外ヒット曲があまり出なかった
  • トークも芸もままならないままに、一気に売れすぎた

 

1994年どこから漏れたのか大沢さん脱退の噂が流れて、

ファンの間でも光GENJIが解散するのではとハラハラさせられていた頃。

やめてほしくないと署名も集まっていたそうです。

しかし1994年7月大沢さんと佐藤寛之さんが脱退を発表しました。

ミュージックステーションで発表することは、

直前に大沢さんと佐藤さんに伝えらえれたといいます。

脱退前に全員で解散を申し出ていた

実は大沢樹生さんと佐藤寛之が脱退になる前に、

大沢樹生さんの異変にいち早く気付いたのが諸星和己さんでした。

  • 1994年の大阪城ホールでのコンサート
    「SUMMER CONCERT’94 FOREVER YOURS」が終わった後の事。
  • ホテルで食事をしていた諸星は、
    「気合をいれるためにカットしたステーキの左から3番目の肉を食べる」という癖のある大沢が、
    付け合わせのにんじんから手をつけるところを目撃。
  • 大沢のやる気のなさを察し、「もう光GENJIはだめだな」と思ったそうです。

諸星さんはメンバーを集めて解散することを伝えました。

それに対して全員同意したそうです。

そして光GENJIの解散をメンバー全員でアポもせずに、

メリー喜多川さんに申し出に行ったそうです。

しかしメリーさんに説得されて解散を思いとどまるメンバーが出たり、

諸星さんはソロCDデビューをしていたことによる契約の関係で

どうしても残らざるを得なくなったり、

光GENJIが解散をすることはできませんでした。

その夏に大沢樹生さんと佐藤寛之さんが脱退をします。

 

タレント、ミッツ・マングローブ(43)が諸星へ
「最初に2人脱退されたじゃないですか。光GENJIは。その時は退職願を?」
と質問すると、
「あれは裏で僕が辞めさせろと」
と告白した。
(5時に夢中出演時のミッツと諸星との会話)

 

人気が長く続かなかったものの光GENJIの当時の人気は、

SMAPや嵐でも勝てないほどのものすごい勢いがありました。

瞬発的な人気で言えば光GENJIを超えるアイドルはいないといわれています。

 

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光GENJIの再スタート

光GENJI SUPER 5」に改名

2人が脱退して残された5人は、

「光GENJI SUPER 5」にグループ名を改名をして活動をリスタート。

その後1年間5人で活動を続けたものの、

一度狂った歯車が再びうまく噛み合うことはありませんでした。

ソロ活動も増えメンバーとファンの間の温度差も広がっていきます。

卒業という名の解散

一度の人生だから違うこともやってみたい

諸星さんからメンバーに解散の話をしたところ、

メンバーのほとんどが光GENJIとしての活動に疲れ、

違う人生を歩むことを望んでいたそうです。

解散ライブは1995年9月3日、

名古屋市総合体育館『レインボーホール』にて、

ファンに惜しまれながら解散となりました。

基本、みんな仲は悪かった

スケジュールがきついのもあったけどみんな疲れていた

週刊誌などに書かれたメンバーの不仲説については、

あながち間違いではなかった

と後に諸星さんが言っていました。

大沢樹生さんとの不仲説については、

全然、そんなこと無いよ。仲は良かったくらい。

と語っています。

 

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光GENJIの再結成はある?

再結成の予定はない

男闘呼組が復活をして話題になっていますが、

光GENJIに再結成はあるのでしょうか?

2015年には、

絶対ない

と諸星さんが言っています。

再結成とか、まぁしたいなって気持ちはもちろんあるし。

いいことだと思うんですけど。うちのメンバー、問題が多すぎるからね。

光GENJIは解散後のメンバーそれぞれの経歴を見ていると、

以前のようにテレビに揃うことは確かに難しく感じます。

 

  • 赤坂晃は、薬物所持で2度逮捕。
  • 山本淳一は、結婚詐欺や借金問題。
  • 大沢さんは、元妻の喜多嶋舞さんと子どものことで揉める。

 

元メンバー7人でつくっていたLINEグループでしたが、

「LINEも解散しました」

というなんとも悲しい諸星さんの言葉がありました。

2022年7月男闘呼組の復活をテレビで見ていたという諸星さん、

男闘呼組のメンバーとは活動時期も同じで、

一緒に暮らしていたこともあり昔のことを思い出して涙が出たそうです。

光GENJIの再結成について番組で聞かれると、

なんで我々が再結成できないかということを話し合ったほうがいいと思う

なんで男闘呼組ができたのかって話ですよ、光GENJIはどうやったらできるのか

諸星さんは再結成には前向きな気持ちを持っているようです。

なぜかできないんですよ。原因は僕にあるっていう

と自虐的に話されていました。

それぞれの事務所の事情や過去のこと、

再結成への道はなかなか厳しいようですね。

 

2016年11月27日には「クイズ☆スター名鑑」のローラースケート対決企画に、
諸星、大沢、山本、佐藤寛之の4人が揃って出演したことがありました。

 

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まとめ

光GENJIの経歴について見ていると、

改めてすごい人気だったんだなって思いました。

その爆発的な人気が逆に彼らを苦しめることになったのか、

残念ながら解散へと追い込まれてしまったようです。

様々な事情がありますが男闘呼組の復活に続いて、

光GENJIにもまた7人揃って舞台に立ってほしいなと思います。

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