ミスター・ラグビーと呼ばれ、
日本のラグビー界を牽引してきた平尾誠二さん。
53歳という若さで闘病の末この世を去りました。
そんな平尾さんを支えたのは妻と子供たちでした。
今回は平尾誠二さんの家族について
調べてみたいと思います。
2023年11月11日(土)に、
平尾誠二さんとノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の友情を描いた、
「友情~平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』」というドラマが放送されます。
平尾誠二役を本木雅弘さん、
山中伸弥役を滝藤賢一さんが演じるそうです。

平尾誠二の家族は?
妻は元女優の平尾恵子

X(Twitter)より
本名:平尾恵子
芸名(結婚前):沢近恵子
生年月日:1962年6月16日
年齢:61歳(2023年9月現在)
平井誠二さんの奥様は、
元女優でモデルの平尾恵子さんです。
結婚前は、沢近恵子の名前で活動されていました。
平尾誠二さんは1963年1月21日生まれなので、
学年は同じになりますね。
武蔵川女子大学短期大学部に通われていた平尾恵子さん。
門限がある箱入り娘で、
学生時代にあまり遊ぶことはなかったそうです。
JJモデル、女優として活躍

女優として活躍された平尾恵子さんですが、
元々はモデルです。
人気ファッション誌「JJ」のモデルだったそうです。
平尾恵子さんの所属事務所はオスカープロモーション。
美女ぞろいの事務所です。
- 上戸彩
- 真矢ミキ
- 河北麻友子
- 菊川怜
このような一流女性芸能人が所属されています。
女優としても活躍されていた平尾恵子さん。
様々なドラマに出演されています。
- 1984年「人妻捜査官」
- 1985年「兄弟拳バイクロッサー」
- 1985年「気になるあいつ」
オードリー・ヘップバーンのファンだった平尾恵子さんは、
和製の「ローマの休日」を演じてみたいと
思っていたそうです。
熱愛報道、結婚

女優としてのキャリアを積んでいた平尾恵子さん。
23歳の時に同じ23歳の平尾誠二さんとの
熱愛がスクープされます。
当時平尾誠二さんはラグビー界の貴公子と言われるほどの人気選手。
イケメン人気選手のロマンスは、
大きく報道されました。
そして3年後の1988年に結婚。
平尾恵子さんは芸能界を引退されました。
その後、二人のお子さんを出産されています。
賀来千香子と親友

https://hochi.news/articles/20191018-OHT1T50316.html
元モデルで今は大女優である賀来千香子さん。
実は平尾恵子さんは賀来千香子さんと
非常に仲が良いそうです。
雑誌「JJ」でモデルをしていた頃。
先輩モデルだった賀来千香子さんと意気投合し、
家族ぐるみの交流がずっと続いているそうです。

https://kagerou-kazoku.com/
こちらは2012年の写真。
お二人ともとても美しく素敵な女性ですね。
賀来千香子さんは、
平尾誠二さんが現役時代に、
平尾恵子さんと一緒に試合観戦をしたこともあり、
今でもラグビー日本代表の応援には
力が入るそうです。
娘はハーフ系美人

平尾誠二さんには、
大塚早紀さんはという娘がいます。
2023年現在、34歳という情報がありますので、
1989年生まれだと思われます。
こちらの写真は2017年28歳の頃です。
美男美女のDNAを受け継いだ
ハーフ系美人と話題になりました。
学歴経歴などの情報はほとんどないのですが、
2015年にハワイで婚式をされたことがわかっています。
その後に二人のお子様が生まれています。
結婚直後に父が余命宣告を受ける

平尾誠二さんは2015年秋から
胆管細胞がんの闘病生活を送っていました。
早紀さんの結婚式の3ヶ月後に余命宣告を受けたといいます。
その後、13ヶ月の闘病生活の末、
2016年10月20日に逝去されました。
亡くなる2日前に、
早紀さんは赤ちゃんができたことを
平尾さんに伝えたそうです。
夫の気遣いにより両親のサポートをした

https://gendai.media/articles/-/53219?page=2
平尾誠二さんが闘病されていた時、
早紀さんは新婚でした。
しかし早紀さんの夫は、
闘病の中の平尾誠二さんと恵子さんのことを優先し、
僕のことは放っておいていい
と言い、
早紀さんは両親のサポートができるように
してくれたといいます。
夫の気遣いも素晴らしいですが、
献身的に両親をサポートした早紀さんも
とても愛情深い方ですね。
平尾誠二が娘に残した言葉

https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kotoba/201702/0013287025.shtml
書籍「友情2 平尾誠二を忘れない」では、
平尾さんが早紀さんに残した「言葉」が書かれています。
恋愛に関するアドバイスとして、
結婚について相手の地位や肩書や財産は問題じゃない。
その人のものが何もなくなったときに、
好きでいられるかどうかが大切や。
そういう人と結婚すべき。
とても素敵な言葉ですね。
早紀さんは結婚式の時に両親にあてた手紙の中で、
仲のいい父と母が大好きで
自分たちもそんな夫婦になりたい
という言葉を伝えたそうです。
息子は26歳でラグビー選手に

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/12/10/kiji/20211210s00044000170000c.html
平尾誠二さんには、
平尾昂大(こうた)さん
という息子がいます。
2019年の時に25歳という情報がありますので、
1994年生まれだと思われます。
昂大さんは、
- 小学校:野球
- 中学校:バスケットボール
をしていたそうです。
平尾誠二さんは
人から言われてやっているようでは成長しない
好きなことをやったらいい
と言っていたそうで、
息子にラグビーを押し付けることはなかったといいます。
ラグビーをしていた時期があった

高校1年の夏にアメリカ留学が決まっていた昂大さん。
その前の2か月間、
ラグビーをしていたことがあったそうです。
平尾誠二さんが創設した総合型地域スポーツクラブ「SCIX」で、
ラグビーに挑戦したそうです。
しかしアメリカで過ごした高校、大学では、
- ラクロス
- バスケットボール
- レスリング
など様々なスポーツを楽しんだといいます。
日本に戻ってからは会社員になっています。
ちなみに、
平尾誠二の息子は医者
という噂があるようですが、
医者ではありません。
外回りの営業をする会社員だったようです。
本格的にラグビーを始める

https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20190926/
ラグビーと距離を置いてきた昂大さんですが、
2021年26歳の時に本格的にラグビーを始めます。
取引先に誘われたのがきっかけで、
クラブチームに所属したそうです。
すっかりラグビーにのめり込んだ昂大さん。
「自分なりに一生懸命やればいい」と思えたといいます。
その後、平尾さんが設立した「SCIX」に所属。
自分が貢献できればと思い所属を決めたそうです。
父に報告

https://gendai.media/articles/-/102815?page=1&imp=0
公式戦に初出場した昂大さんは、
父の墓前に報告へ行ったそうです。
インタビューでは、
僕のプレーを見て「お前、センスないなあ」と笑っているでしょうね
と仰っていました。
平尾誠二の両親の教えが凄い!
厳格な父

https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20190109/
平尾誠二さんの父親は、
とても厳格な人だったそうです。
しかし、
平尾さんが大事な決断を下す時には、
心に響く教えをくれたようです。
最後までやり通せ

小学校では野球をしていた平尾誠二さん。
中学校に入学すると、
部員が多く体育会系の野球部よりも、
部員が少なく楽しそうなラグビーに魅力を感じ、
ラグビーをしたいと父に伝えたそうです。
はじめは意外そうな顔をされたそうですが、
3年間やり通せることをしたいと訴えると、
それなら最後までやり通せ
と承諾してくれたそうです。
平尾は「徹子の部屋」に出演された際、
中学時代に父にラグビースパイクを買ってもらったことが
ラグビー人生で一番うれしかった
と語っていました。
自分で人生を切り開け

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/10/21/kiji/K20161021013573530.html
高校に進学する時には、
名門花園高等学校への入学を希望していた父の反対を振り切って、
伏見工業高への入学を決めた平尾さん。
この時父は、
男なら自分で人生を切り開け
と言ってくれたそうです。
平尾さんと父親は、
普段たくさん会話をする親子ではなかったといいます。
しかし厳しい態度を取りながらも、
平尾さんを信じて、
そして幸せを願っていたことがわかりますね。
強く前向きな母

平尾誠二さんの母親は、
厳格な父親とは違い、
楽観的な性格だったそうです。
そしてとても強い女性でもあったようです。
書籍「友情2 平尾誠二を忘れない」には、
平尾さの母親の強さがわかるエピソードが
書かれていました。
胆管細胞がんの闘病中だった平尾誠二さんは、
2016年4月末に緊急入院した際、
医師から「2~3日しかもたない」と告げられたそうです。
妻や娘が泣いていると、
平尾さんの母親は
泣いたらあかん
と言い、
息子に向かって
あの世に逝く時は私に知らせてから逝きなさい。
そうしたら、私が先に逝って、三途の川で引き戻す。
まだ死んだらあかん!
と力強い声で言ったそうです。
すると、
これをきっかけに平尾さんは意識を取り戻し、
奇跡的に回復し退院できたといいます。
平尾さんは2016年10月20日に逝去されましたが、
最後まで闘う強さを教えたのは
お母様だったのかもしれません。
ミスター・ラグビーと言われた平尾さんの強さは、
母譲りのものだったとも言えますね。



まとめ
今回は平尾誠二さんの
妻や子供たち、
両親など家族について調べてみました。
美男美女家庭であること、
強く愛情深い両親の教えがあったことなどがわかりました。
平尾誠二さんはラグビーで成功しただけでなく、
素敵な家族に囲まれて、
幸せな人生を生きた方だったのですね。