日本ラグビー界を牽引してきた
ミスター・ラグビーこと平尾誠二さん。
輝かしい経歴やイケメン時代、
山中伸弥さんとの交流など、
平尾誠二さんの経歴を調べてみました。
2023年11月11日(土)に、
平尾誠二さんとノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の友情を描いた、
友情~平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』」というドラマが放送されます。
平尾誠二役を本木雅弘さん、
山中伸弥役を滝藤賢一さんが演じるそうです。

平尾誠二のプロフィール•経歴
小学校時代は野球少年

生年月日:1963年1月21日
出身地:京都府京都市南区
没年月日:2016年10月20日(53歳没)
京都市生れの平尾誠二さん。
両親と2歳上の兄の4人家族です。
父親は厳格で厳しい方だったそうです。
小学校に入った頃は消極的な面もあったそうですが、
徐々に友達と遊んだり、
野球に打ち込むようになったといいます。
中学校でラグビーを始める

京都市立陶化中学校に入学すると、
野球ではなくラグビー部に入部。
部員が多く上下関係も厳しい野球部に対し、
ラグビー部は人数が少なく楽しく見えたことが
入部の理由だったそうです。
ラグビー部はできたばかりで3年生はおらず、
先生も若い美術教師だったため、
体育会系っぽさがなかったといいます。
自由で楽しいラグビーに夢中になった平尾さんは、
3年生では主将を務めます。
京都府秋季大会では、
見事優勝を勝ち取りました。
山口良治の勧誘により伏見工業高等学校へ

https://globe.asahi.com/article/14512416
中学3年生の時の京都府秋季大会の時
平尾さんのプレーに惚れ込んだ人物がいます。
元日本代表、名キッカーの山口良治さんです。
伏見工業高等学校の監督をしていた山口さんは、
平尾さんを勧誘。
しかし平尾さんはすでに名門花園高等学校から声がかかっており、
山口さんは伏見工への入学は諦めていたそうです。
ところがその後、
平尾さんからの願書を受け取った山口さんは、
飛びあがって喜んだといいます。

https://mainichi.jp/articles/20220426/k00/00m/050/186000c
もともと伏見工業高等学校の試合に感動したことがあり、
情熱的な山口さんに話にも感化された平尾さんは、
伏見工を志望校にすることを決めたのでした。
80年代の人気ドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった
伏見工業高等学校は、
ワルが集まる高校として有名でした。
そのため両親は反対したそうなのですが、
最終的に平尾さんの希望が優先され、
伏見工業高等学校への入学が決まったそうです。
伏見工業高等学校で全国大会優勝を経験

https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20181226/
伏見工業高等学校のラグビー部に入った平尾さん。
1年生の時の京都府大会では、
決勝戦で花園高に負けるという悔しい経験をします。
しかし3年生になった平尾さんは、
山口さんのもと主将として全国大会に出場。
それまで無名だった伏見工が、
見事初優勝に輝きました。
同志社大学ラグビー部で大学選手権3連覇に貢献

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/10/21/kiji/K20161021013573530.html
同志社大学に入学した平尾さんは、
ラグビー部に在籍しセンターとして活躍。
史上初となる大学選手権3連覇に
大きく貢献しました。
また19歳4ヶ月の時に日本代表にも選出され、
史上最年少記録を打ち立てます。
大学卒業後はイギリス留学を選ぶ

大学を卒業した平尾さんは、
ラグビーチームを持つ多くの企業から勧誘されますが、
平尾さんが選んだのはイギリス留学でした。
・将来外国でビジネスをしてみたい
・ラグビー発祥の地で自分を試したい
・デザインの勉強をしたい
このような理由があったそうです。
神戸製鋼に入社

https://mainichi.jp/premier/business/articles/20161021/biz/00m/010/007000c
イギリスのリッチモンドクラブに所属した平尾さんですが、
留学前にファッション誌のモデルで登場したことが、
当時のアマチュア規定に反するとして、
日本代表候補選手から除外されてしまいます。
ラグビーで結果を出し汚名返上をする必要があった平尾さんは、
1986年神戸製鋼に入社、ラグビー部に入部します。
そして日本選手権7連覇という活躍を見せました。
日本代表として貢献

https://www.daily.co.jp/general/2016/10/21/0009598142.shtml
1987年に始まったラグビーワールドカップ。
平尾さんは日本代表選手として、監督として
合計4回出場しています。
第1回(1987年)
第2回(1991年)
第3回(1995年)
に、選手として出場。
第2回大会における
日本ワールドカップ初勝利に貢献します。
1997年には日本代表の監督に就任。
同年、神戸製鋼ではゼネラルマネジャーとなります。
1998年には現役を引退し、
1999年の第4回ワールドカップには、
日本代表監督として出場を果たします。
2000年には日本代表監督を辞任。
- 日本サッカー協会理事に就任(2008年)
- 文部科学省の中央教育審議会委員に就任した(2011年)
など活動の場を広げました。
闘病生活、53歳で逝去

日本のラグビー界を牽引し、
ミスター・ラグビーと呼ばれた平尾誠二さん。
2016年9月に胆管細胞がんが見つかります。
すでに進行した状態で余命3ヶ月の宣告を受けますが、
家族や友人の支えのもと、
13ヶ月の闘病生活を戦い抜き、
2016年10月20日に逝去されました。
53歳という若さでした。

山中伸弥が晩年親友に

https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20190911/
平尾さんの闘病生活を、
親友として支えた人物がいます。
2012年に「ヒトiPS細胞」研究で、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんです。
2010年に雑誌の対談した二人は、意気投合し、
対談後すぐに酒を酌み交わし、
親交を深めたといいます。
頻繁に家族ぐるみで食事もしていたそうです。
平尾さんががん宣告を受けた時も、
翌日には山中さんに連絡したといいます。
山中さんはがん専門医ではありませんが、
医師として最善の治療を考え抜き、
平尾さんにアドバイスをしたそうです。
余命3ヶ月と言われた平尾さんが、
13ヶ月生きられた要因のひとつは、
山中さんが進めた治療の効果もあったと言われています。
山中さんは医師として親友として
最期まで平尾さんをサポートされたそうです。
平尾誠二の若い頃は?
イケメン過ぎると話題に

https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20190109/
華麗なプレーだけでなく、
イケメン選手としても、
多くのファンを魅了してきた平尾さん。
晩年の渋いカッコよさも素敵でしたが、
若い頃はさらにイケメン!
ハーフっぽい端正な顔立ちで、
アイドル的な人気を博していたといいます。

こちらは高校時代の平尾さん(右)。
目が大きく鼻筋が通っていて、
正統派なイケメン顔ですね。

こちらは大学時代の平尾さん。
当時の映画スターのような雰囲気ですね。
とても凛々しい顔をされています。

こちらは日本代表選手して活躍していた時ですね。
トレードマークの髭が素敵です。
日本人は西洋人に比べて顔の堀が浅いため、
髭が似合いにくいと言われていますが、
平尾さんは堀が深い顔立ちなので、
髭がとても似合っていますね。
23歳で人気女優と結婚!

X(Twitter)より
ラグビー界の貴公子と呼ばれ、
人気絶頂だった23歳の時、
熱愛をスクープされます。
お相手は当時23歳の平尾恵子さん。
当時は沢近恵子という名前で
女優、モデルとして活躍されていた方です。
とても可愛らしい方ですね。
モデル出身ということでスタイルも抜群です。

人気スポーツ選手と女優の熱愛ということで、
大きな話題になったそうです。
この熱愛発覚から3年後の1988年に結婚。
平尾恵子さんは芸能界を引退され、
二人のお子さんを出産されています。
長女:早紀さん
長男:昂大さん
お二人の詳しい生年月日は公表されていないようですが、
現在(2023年9月)は、
- 早紀さんは34歳、結婚されて二児の母
- 昂大さんは29歳、会社員を経てラグビー選手
このような情報が見られました。



まとめ
今回は平尾誠二さんの経歴を調べてみました。
ミスター・ラグビーと呼ばれる平尾さんの素晴らしい実績、
さらにイケメンすぎる若い頃や
山中伸弥さんとの親交など、
興味深い人生を送られてきたことがわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。