スポンサーリンク

平尾誠二の死因は胆管細胞がん!闘病の様子や晩年の言葉は?山中伸弥が支えた?

ミスター・ラグビーと言われ、

日本のラグビー界を牽引してきた平尾誠二。

2016年に53歳という若さで逝去されました。

今回は平尾さんの死因や闘病の様子などについて

調べてみました。

2023年11月11日(土)に、
平尾誠二さんとノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の友情を描いた、
「友情~平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』」というドラマが放送されます。
平尾誠二役を本木雅弘さん、
山中伸弥役を滝藤賢一さんが演じるそうです。

スポンサーリンク
目次

平尾誠二の死因は胆管細胞がん

近年増加傾向のがん

胆管細胞がんとは、

肝臓の中の胆管(胆汁が通る管)生じるがんのことです。

原発性肝がんの中で、

胆管細胞がんの割合は約5%。

それほど多くないがんですが、

近年増加傾向にあるといいます。

原因がはっきりしていないがん

医学医療は著しく進歩したと言われていますが、

胆管細胞がんは原因がはっきりとしていない部分も多いといいます。

  • 肝臓内の結
  • 原発性硬化性胆管炎
  • 肝吸虫症

などの関係性が指摘される一方で、

このような原因に関係なく発症するケースもあるそうです。

スポンサーリンク

治療が難しいがん

胆管細胞がんは早期発見ができれば、

手術でがんを取り除くことができるそうです。

しかし主な症状である「黄だん」(皮膚や目が黄色くなる)

が見られる時にはすでに進行しており、

手術困難なケースが多いといいます。

専門家の間では「治療の難しいがんのひとつ」とされているそうです。

長期生存率が低い

イラスト

胆管細胞がん長期生存率が低いという特徴もあります。

がんが発覚した時には、

「余命3ヶ月」「余命半年」と言われることは

珍しくないといいます。

発見から13ヶ月後に逝去


https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kotoba/201702/0013287025.shtml

平尾誠二さんは

2015年9月12日に自宅で喀血し検査を受けたところ、

胆管細胞がんだと判明したそうです。

この時点で年内生きられるかわからない

という状態だったと言われています。

すでにがん細胞は肝臓内に広まり、

手の施しようがない状態だったそうです。

平尾さんはその後13ヶ月におよぶ闘病生活の末、

2016年10月20日に逝去されました。


X(Twitter)より

54歳の若さで亡くなった女優の川島なお美さんも、

胆管細胞がんが死因だったそうです。

スポンサーリンク

平尾誠二の闘病の様子は?

2015年9月に「余命3ヶ月」と診断される

平尾誠二さんは2015年9月12日に自宅で吐血。

検査を受けたところ胆管細胞がんと判明。

すでにがん細胞は肝臓内に広まり、

手の施せない状態で年内まで生きられるかわからない、

「余命3ヶ月」と診断されたそうです。

娘の早紀さんが、

この時のことを振り返った内容によると、

事実を受け入れられず、

立っているのがやっとだったそうです。

しかし平尾さんは、

病気のことを受け止めており、

がんになってしまったんなら、しゃあない
治療をがんばるわ

いつもと同じ口調で、

静かに笑いながら

このように言ったそうです。

周囲には病状を明かさなかった

周囲に対して胆管細胞がんを患っていることを

明かさなかった平尾さん。

2015年9月に膵臓癌の手術を受けたと言われていますが、

周囲には「胃潰瘍」で手術と説明していました。

激やせした姿が心配される

2015年9月の手術後、

7キロも体重が減ったという平尾さん。

周囲には、

手術前の食事制限で7キロ痩せた
太っていたからちょうど良かった

ダイエットしてんねん

などと冗談のように話していたといいます。

しかし異常とも言える痩せ方だったため、

ファンの間では体調を心配する声が上がっていました。


https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kotoba/201702/0013287025.shtml

こちらは2015年の写真です。

とても健康そうな表情ですね。


https://sarattosokuhou.com/news/hirao-seiji/

こちらは2016年1月20日の記事の写真。

明るい笑顔は変わりませんが、

ずいぶん顔が痩せた印象を受けますね。

こちらは2016年4月15日に行われた

「毎日21世紀フォーラム」での姿です。

ダイエットや食事制限ではなく、

明らかに何かの病気で痩せてしまったことが

わかりますね。

現役時代の面影はなく、

別人のように感じられます。

平尾さんはこれ以降、

公の場に姿を見せることはほとんどなくなります。

神戸製鋼のゼネラルマネジャーを務めていましたが、

春以降は練習の場に現れることはなかったといいます。

スポンサーリンク

13ヶ月に及ぶ闘病生活

書籍「友情2 平尾誠二を忘れない」の中で、

娘の早紀さんが、

平尾さんの闘病生活について綴っています。

  • 2015年9月12日に吐血、検査の結果、「余命3ヶ月」胆管細胞がんと告げられる
  • TVのラグビー解説、ラグビー協会の講演などの仕事をこな
  • 2015年11月、免疫療法の治験を始めるが、劇的な効果は得られずに2016年初めに打ち切り
  • 2016年4月、吐血して緊急入院し「2~3日しかもたない」と告げられるも、退院できるまでに回復
  • 2016年5月、自宅に戻り「ステロイド治療」「中心静脈栄養」を行う
  • 2016年10月20日に自宅で逝去

当時新婚だった早紀さんでしたが、

旦那さんの理解もあり、

父と母・恵子さんのサポートを優先する生活を送ったそうです。

母と共に最期まで平尾さんを支えたといいます。

早紀さんは平尾さんが亡くなる2日前に、

赤ちゃんを授かったこと報告したそうです。

当時アメリカに留学していた息子の昂大(こうた)さんも

何度も日本に帰ってきて父を励ましたといいます。

山中伸弥が最後まで寄り添った


https://www.yomiuri.co.jp/sports/rugby/2019/hiraoseiji/20190911/

平尾さんの闘病生活を、

家族と共に最期まで支え続けた人物がいます。

2012年「ヒトiPS細胞」研究で、

ノーベル生理学・医学賞を受賞した医師の山中伸弥さんです。

全く異なる分野で確固たる地位を確立していた二人。

きっかけは2010年の雑誌の対談だったそうです。

意気投合した二人は、

その後すぐに親交を深め、

家族ぐるみの付き合いをする仲になったといいます。


https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/hirao-seiji/201610/p2_0009600222.shtml

平尾さんは余命3ヶ月の宣告を受けた時、

家族以外では一番はじめに山中さんに連絡をしたそうです。

医師である山中さんは、

最先端の情報を集め最善の治療を考え抜き、

平尾さんにアドバイスしたといいます。

平尾さんもそれを受け入れ、

治験に参加することができたそうです。

山中さんは、

医師として親友として

平尾さんの医師を尊重しながら、

最後まで寄り添い続けたといいます。

弱音を吐かず最後まで戦い抜いた


https://rugby-rp.com/2019/10/20/worldcup/42817

当初余命3ヶ月と宣告されていた平尾さん。

しかしその後13ヶ月も生き、

家族とかけがいのない時間を持ったといいます。

妻・恵子さんによると、

平尾さんはどんな辛い状態でも、

恨み言を言ったり、

八つ当たりをすることはなかったといいます。

弱音を吐くこともなく、

最後まで戦い抜いたそうです。

恵子さんによると、

いつも全力でやってきたから、後悔することは何もない。
もしもまた生まれ変わったとしても、やっぱり同じ生き方をする。
こんな風に維持させてくれた君に本当に感謝している、ありがとう。

と言ったそうです。

とても素敵な言葉ですね。

ミスター・ラグビーと言われ、

素晴らしいプレーは今でも語り継がれています。

そしてその生き様もまた、

多くの人の心に刻まれ続けるでしょう。

スポンサーリンク

まとめ

今回はミスター・ラグビー平尾誠二さんの死因、

闘病の様子について調べてみました。

余命3ヶ月と言われながら最期まで生き抜いたこと、

家族や親友の支えによる闘病生活の様子、

晩年の言葉など、

心に響くものが多々あることがわかりました。

平尾さんのかっこいい生き様は、

これからも語り継がれていくことでしょう。

スポンサーリンク
平尾誠二の死因は胆管細胞がん!闘病の様子や晩年の言葉は?山中伸弥が支えた?

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次