保阪尚希の経歴・学歴は?壮絶子供時代や通販王から元嫁・高岡早紀との現在まで!

保阪尚希の経歴・学歴は?壮絶子供時代や通販王から元嫁・高岡早紀との現在まで!

保阪尚希さんの経歴・学歴はどのようなものなのでしょうか。

俳優業だけでなく通販事業も成功されている保阪尚希さん。

壮絶な子供時代や俳優デビュー、

通販での成功や高岡早紀さんとの結婚まで

さまざまな経歴を調べました。

目次

保坂尚希の経歴・学歴

https://www.tbs-casting.com/speakers/356-hosaka-naoki

本名:保阪尚希
生年月日:1967年12月11日
年齢:55歳(2022年12月現在)
出身地:静岡県静岡市葵区
身長:180cm
趣味:読書 文章執筆 熱帯魚
特技:料理
家族:独身
事務所:サンクチュアリ

壮絶な子供時代

お父様、お母様、4歳下の妹さん、お祖母様と5人家族だった保阪尚希さん。

お父様はサラリーマン、お母様は主婦で教育熱心だったといいます。

保阪尚希さんは幼い頃から、

・ピアノ
・英語
・習字
・そろばん

など複数の習い事に励んでいたそうです。

ところが保阪尚希さんが小学校1年生の時、

そんな日常が一変。

お父様とお母様が自宅にて自ら命を絶ってしまったのです。

いつもはご両親と一緒に寝ていた保阪尚希さん。

亡くなる前の夜は

「おばあちゃんと一緒に寝なさい」

と言われたそうです。

保阪尚希さんは当時のことを振り返り

「急すぎて当日の記憶がない」

と語られていました。

お葬式の後には

「一人で生きていく」

と誓ったそうです。

学校ではいじめにあっていた

7歳の保阪尚希さんと2歳半だった妹さんは、

お祖母様と暮らすことになります。

保阪尚希さんはお祖母さんに迷惑をかけないように

・掃除
・料理
・洗濯

などの家事は自分でやっていたといいます。

学校ではご両親がいないことでいじめられるなど、

辛い子供時代だったそうです。

親戚からひどい言葉を受ける

さらに追いうちをかけるように、

ご両親が亡くなった2年後に

お祖母様が脳溢血で半身不随に。

保阪尚希さんはまだ9歳。

それにもかかわらず、

叔母さんから「あんたが迷惑かけたからだ」

と言われたそうです。

その後は熱帯魚店で時給200円で働くなど、

小学生とは思えない大変な生活をされていたそうです。

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モテ期到来の中学時代

小学校卒業後は静岡市立城内中学校に進学。

イケメンの保阪尚希さんはかなりモテたそうで、

ファンクラブもあったほど。

バンドを組んでドラムを叩いていたこともあるそうです。

中学校時代もバイトに励む

中学校時代も、

家計を助けるためにバイトに励む日々だった保阪尚希さん。

イタリアンレストランの厨房で働いていたのですが、

この時の経験は、

後に通販コンサルタントとして活躍する上で役立ったといいます。

中学校を卒業するまでには、

なんと貯金が100万円も貯まっていたそうです。

13歳の時にスカウトされる

音楽が好きだった保阪尚希さんは、

よく静岡の自宅から東京へ行っていたそうです。

ある時渋谷でスカウトされ、

芸能活動を始めることになります。

上京し芸能活動に励む高校時代

静岡北高等学校に進学するも1年で中退。

中学校の時に貯めた100万円の貯金のうち

70万円を祖母と妹に渡し、

残りのお金を持って上京。

芸能人が多く通う明大付属中野高校定時制に進学しています。

・岡本健一
・東山紀之
・坂口憲二
・中森明菜
・小泉今日子
・観月ありさ

このような方々が本校出身者です。

バックダンサーとして芸能活動を始める

中学生時代に芸能活動を始めた保阪尚希さんですが、

すぐに俳優デビューというわけにはいきませんでした。

NHKの音楽番組「レッツゴーヤング」に出演。

バックダンサーの「サンダーズ」

というグループのメンバーとして活動していました。

このグループには元光GENJIの大沢樹生さんもいました。

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19歳で俳優デビュー

「チェッカーズ・イン・涙のリクエスト」で俳優デビュー

19歳の時にドラマ「チェッカーズ・イン・涙のリクエスト」(1986年)

で俳優デビューを果たした保阪尚希さん。

チェッカーズの藤井フミヤさんや、

有森也実さんなどが出演していたスペシャルドラマです。

さらに「このこ誰の子?」(1986年)のメインキャストに抜擢。

1992年公開の映画「パ★テ★オ」では、

日本アカデミー新人俳優賞を受賞するなど、着実にキャリアを積んでいきます。

「新・平成の御三家」と呼ばれ人気俳優に

その後、数々の人気ドラマに出演した保阪尚希さん。

1994年に出演したドラマ3本は、いずれも大ヒット。

・「家なき子」
・「毎度ゴメンなさぁい」
・「夢見る頃を過ぎても」

当時人気を博していた

福山雅治さん・萩原聖人さんとともに

「新・平成の御三家」と呼ばれていました。

ちなみに「平成の御三家」は

・吉田栄作
・加勢大周
・織田裕二

こちらの方々でした。

絶頂期の保阪尚希さんのギャラはこちら。

・CMは1本1億円
・ドラマは1時間300万円

凄まじい人気だったことが伺えますね。

豪快にお金を使っていた

高額なギャラを稼いでいた保阪尚希さんは、

豪快なお金の使い方をすることでも知られています。

常に2000万円を持ち歩いていたという伝説もあります。

お酒やたばこにお金を使うことがなかったため、

大好きな車にお金をつぎ込んでいたといいます。

・高級車を38台も所有していた時がある
・これまで買った車の数は300台以上
・車はすべてキャッシュで支払っていた

このように車には相当お金を使ったそうです。

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高岡早紀との結婚、離婚

保阪尚希さんは2度の結婚と離婚を経験されています。

1人目の奥さまは元タレントの柏本倫子さん。

しかしわずか1年の結婚生活で離婚。

保阪尚希さんが女優の松雪泰子さんと不倫したことが

原因の1つだったようです。

2人目の奥様は女優の高岡早紀さん。

「ひと夏のプロポーズ」(1996年)で共演したお二人は、

同年に結婚を発表しました。

1997年に長男
2000年に次男

が誕生しています。

しかし2004年に

高岡早紀さんとミュージシャンの布袋寅泰さんとの不倫が発覚し

同年に離婚。

しかし保阪尚希さんと高岡早紀さんは

離婚後も同居を続けたそうです。

「子供たちに突然親がいなくなるという辛い経験をさせたくなかった」

からだといいます。

幼少時代にある日突然ご両親が目の前からいなくなった保阪尚希さん。

そのような辛い経験を子供たちには決してさせたくなかったのでしょう。

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保阪尚希の現在は?

多忙な生活から大病を患う

1990年代に人気俳優として一世を風靡した保阪尚希さん。

・1クールで6本のドラマを掛け持ち
・年間で休みは2日だけ

このような忙しさが続いたそうです。

そんな超多忙な生活が原因で、

2000年32歳の時に腹膜炎から内臓破裂を起こす

という大病を患ってしまいます。

元日の朝に救急車で運ばれた保阪尚希さんは、

8時間にもおよぶ緊急手術を受けます。

「もう少し遅かったら死んでいた」

と担当医師から言われてたそうです。

一命をとりとめた保阪尚希でしたが、

リハビリには苦労されたといいます。

通販ビジネスが大成功

https://hosakaryu.com/pages/about

大病した経験は保阪尚希さんを変えました。

もともと健康を気にしていたという保阪尚希さん。

幼い頃にご両親を亡くしたことも影響していたそうです。

「死んだら終わり」

という思いが常にあったといいます。

さらに自分を大病を経験したことで、

その考えはより強いものになったといいます。

そして2005年37歳で芸能活動を休止し事務所も退所。

健康の大切さを世の中に伝えていく

という強い信念のもと、

2008年40歳で通販事業を立ち上げたのです。

はじめに売った商品はパンだった

2010年にはオリジナルブランド「保阪流」を立ち上げます。

テーマは「死ぬまで健康」。

日本ではまだサプリがあまり普及していない頃に、

アメリカで多くのサプリに触れる機会があった保阪尚希さんは、

すぐにサプリを売りたかったそうです。

しかし、

芸能人が通販会社を立ち上げてすぐにサプリを売ったら疑われそう

と思ったといいます。

そこで、最初の商品はわかりやすい「パン」になったそうです。

商品開発に長い年月をかけ、

「小麦アレルギーにも対応できるパン」が完成させました。

年商10億を稼ぐ「通販王」

出典:Amazon

このパンの販売をスタートに

食や健康にまつわる商品を次から次へと開発。

商品はどれも大ヒット。

10億円の年商を上げるまでになったのです。

なんと1日で約3億8000万円売り上げたこともあるそうです。

「通販王」と呼ばれるまでになった保阪尚希さん。

現在は通販授業の仕事がとにかく忙しく、

俳優業のオファーがあっても対応できずにいるそうです。

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両親の供養のために出家

保阪尚希さんと言えば、

通販と同じくらい「出家」が思う浮かぶ方は多いでしょう。

保阪尚希さんは事業を立ち上がる少し前の2007年に出家し

世間を賑わせました。

この出家には自ら命を絶ったご両親の存在がありました。

保阪尚希さんは、亡くなられたご両親のために

・月命日にはお墓参りをする
・年に1度は富士山の山頂で祈りを捧げる

ということを続けられていました。

幼い頃に自ら命を絶ったご両親に対し、

「不思議と恨みに思ったことはない」

といいます。

そんなご両親の33回忌供養のためにお経を読みたいということが

出家を決めた大きな要因だったそうです。

在家出家という形だった

保阪尚希さんは、完全に出家したのではなく

他の仕事を続けても良いという「在家出家」でした。

坊主頭にする必要もなかったといいます。

ご両親の供養を無事に終えた後、

僧侶としての活動も終わらせたそうです。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

一世を風靡した人気俳優の保阪尚希さん。

実は壮絶な子供時代から這い上がった方であることがわかりました。

通販事業の成功や出家など

波瀾万丈の人生に驚きました。

これからも幅広いご活躍に期待したいと思います。

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保阪尚希の経歴・学歴は?壮絶子供時代や通販王から元嫁・高岡早紀との現在まで!

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