男闘呼組とバンドを組んで話題となっているジュンスカの寺岡呼人さんは、
なぜジュンスカを脱退したのでしょうか?
実は過去にも脱退していて2度目の脱退のようで、
その2度の脱退理由について詳しく調べてみました。

ジュンスカ呼人は脱退ではなく卒業

「森純太、小林雅之、宮田和弥が話し合いを行い、
引用元:Information | JUN SKY WALKER(S) Official Website - Part 8 (junskywalkers.jp)
JUN SKY WALKER(S)は、
3人で活動していくことを決め、
寺岡呼人と袖を分かつことになりました」
2021年1月27日に突然このような発表があり、
ジュンスカの呼人さんがバンドを脱退したことがわかりました。
この発表にファンは衝撃を受け理由が何なのか、
さまざまな噂が飛びかったようです。
「3人でやっていくという申し出を受け入れた結果」
これは呼人さんがInstagramで発信した言葉です。
これはどう解釈すればいいのでしょうか。
話し合いを4人でしていく中で意見が合わず、
「それなら3人でやっていくよ」
と言われたということでしょうか。

「3人で話し合い」というふうに書かれているので、
呼人さんはその話し合いには参加せず、
その他のメンバーで話し合いが行われて、
3人でやっていくと告げられたとも受け取れます。
呼人さんから脱退をしたというよりも気持ちを受け入れて、
脱退(卒業)せざるをえない状態になったのかもしれないですね。

この呼人さんのツイートを見たファンから、
「ますます理由がわからなくなった」
「なぜ4人ではだめだったのか」
「一人でも欠けるのは悲しい」
「脱退と卒業の違いがわからない」
という声などがみられました。
呼人さんはジュンスカ脱退について、
Instagramでこのように語っています。
僕は音楽の旅を続けてきました。
引用元:寺岡呼人 OFFICIAL WEBSITE|YOHITO.COM
気づけばもう30年以上になります。
その旅の最初に僕を拾ってくれたのがジュンスカでした。
当時の僕は何の取り柄も才能もなく、無銭乗車のような状態で列車に乗せてくれました。
感謝以外の何物でもありません。(寺岡呼人)
「感謝以外の何物でもありません」
呼人さんのこの言葉を見る限りでは、
お互いに納得をしての結論であって、
恨み合って脱退したとかではなさそうです。

お互いにとって残りの音楽人生でより自由に、やりたいことに集中するための決断。(森純太)
森くんと宮田とこれからやって行くと、決めました。(小林雅之)出典元:Information | JUN SKY WALKER(S) Official Website - Part 8 (junskywalkers.jp)
JUN SKY WALKER(S)がJUN SKY WALKER(S)で在る為に
僕はボーカリストとしてジュンスカの歌を歌い続けて来た。
それは今までもこれからも変わらない。(宮田和弥)
メンバーもお互いのやりたいことをやるための、
前向きな決断であったことを語っています。
ジュンスカ呼人の脱退理由は?
1つ目:目指す音楽の方向性の違い?

呼人さんはソロでも音楽活動をしていたり、
自分のやりたい音楽を時間をかけて確立してきました。
4人のバンドで数人が作曲している場合、
妥協したりあまり得意ではない曲も、
演奏したりしたこともあったでしょうね。

とくに呼人さんは昔から少し違う曲調を好んでいたような、
そんな風に感じていたファンもいたようです。
バンドの解散や脱退で「方向性の違い」は、
よくある理由だと思われます。
2つ目:プロデューサーの才能開花

寺岡呼人さんはプロデューサーとして、
音楽業界での評価が非常に高いことでも有名です。
・ゆず
・矢野まきさん
・ミドリカワ書房さん
・植村花菜さん
・藤木直人さん
ゆずの事務所社長がかつてジュンスカの
プロデューサーだったことがきっかけで、
ゆずのプロデュースを頼まれることになったそうです。

プロデュース業について呼人さんは次のように語っています。
・仕事という気持ちでプロデュース業をしていない
・「おもしろそうだからやってみよう」というスタンス
・好きなことをしてきたらプロデュース業に繋がった
・運が良かっただけ
・相手に乗っかり良さそうなことを提案していく
このやり方がうまくハマり波にのっていったのでしょう。
まだまだ伸びしろがありそうなので、
業界からも期待されているではないでしょうか。
3つ目:イベント業の成功で人望も厚い

呼人さんは「GOLDEN CIRCLE」というイベントで主宰しており、
今までに多くの有名ミュージシャンと共演もしています。
- 松任谷由実さん
- 小田和正さん
- 矢野顕子さん
- 忌野清志郎さん
- 桜井和寿さん
- back number
- 奥田民生さん
- 中村中さん
呼人さんは表に出てのソロ活動もしていますが、
どちらかというと何かを提案したりすることが得意そうです。
そしてとても人柄がいいのでしょう。

たくさんの有名人が彼のすることに賛同して集まり、
そこには彼の人望の厚さが伺えます。
ジュンスカの活動よりも「こういったイベントをもっとしたい」と、
そう思ったのかもしれません。

色んな人とかかわる仕事がとても楽しそうで、
生き生きとしているのがわかりますね。
こういった活動をするには時間も体力も必要ですから、
ジュンスカの脱退に繋がった可能性もあります。
呼人はジュンスカを2度脱退していた
呼人はオリジナルメンバーではない

ジュンスカのオリジナルメンバーには呼人さんはおらず、
こちらがバンド結成時のメンバーになります。
- 宮田和弥さん(ボーカル)
- 森純太さん(ギター)
- 小林雅之さん(ドラム)
- 伊藤毅さん(ベース)

帝京大学在学中だった呼人さんは、
ジュンスカを脱退する伊藤毅さんの代わりに、
ジュンスカの新メンバーとなりました。
そしてホコ天で話題となりバンドブームと重なって、
ジュンスカは瞬く間に人気バンドとなったのです。
呼人1度目の脱退

ところが1993年9月に寺岡呼人さんが突然脱退してしまい、
オリジナルメンバーだった伊藤さんが再加入することになりました。
バンドブームが去ったことと重なり呼人さん脱退後は、
ジュンスカの人気は下がっていく一方でした。

そしてついに1997年1月にジュンスカは解散を発表。
解散をしたいと口にしたのはボーカルの
宮田和弥さんだったようです。
自分のやりたいこととジュンスカの方向性が、
合わなかったことが解散理由だと語っています。
ジュンスカは仲が悪かった?

呼人さん以外の3人は「自由学園」という同じ学校出身で、
メンバーの宮田和弥さんと小林雅之さんが同級生、
森純太さんが1つ先輩になります。
呼人さんだけ学校が違ったため、
後から入った仲間という感じはありました。

やんちゃなイメージの和弥さんと純太さんに比べ、
呼人さんは一番真面目そうという印象もあったと思います。
小林さんはメンバーの中和剤のような存在でした。
・和弥さんと純太さんが仲が悪かった
・呼人さんと純太さんが仲が悪かった
ファンの間ではいろんな噂が流れていましたが、
仲が悪くてそれが脱退にも関係していたのか、
本当のところはわかりません。

しかし和弥さんは純太さんと仲が悪かった時期があり、
携帯の番号を消したりすれ違っても目を合わせないほど、
互いを避けていた時期があったことを明かしています。
「兄弟ゲンカですよね。中学生のときから一緒にやってるメンバーですし、仲間で兄弟だから1度、溝ができると大きかった。でもこうやって再結成して、10年。いまは本当の家族みたいなもんかな」
引用元:ジュンスカ・宮田和弥、バンドブーム時代の自分に会ったら「正座させて説教だ!」 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する (jprime.jp)
後に4人で再びバンドを再結成しているので、
本当に仲が悪かったということはないと思います。
1回目の脱退理由は自我の芽生え

呼人さんは1度目にジュンスカを脱退したことについて、
後にこのように振り返っています。
「バンドを始めてから自分で曲作るようになったり、1991年にソロツアーを行ったりするうちに自我が芽生えてきました。もっと色んなことをやりたいと思った時に、30歳からでは遅いということで、25歳で脱退しました」
引用元:寺岡呼人が語るプロデュースと「Golden Circle」と新アルバム『COLOR』 - エキサイトニュース (excite.co.jp)
年齢を考えた時にこのままダラダラするよりは、
若いうちにやりたいことのために動きたいと思い脱退をしたようです。
この1度目の脱退理由を見ていると今回も再び岐路に立たされた時、
自分のやりたいをやっていく道を選んだのかもしれませんね

現在の呼人さんは男闘呼組と共に活動しており、
再び大きな注目を浴びています。
これからさらに活動の幅が広がっていきそうな予感です。












まとめ
元ジュンスカの寺岡呼人さんの脱退については、
方向性の違いやプロデュース業の成功、
多くのやりたいことがあることが理由として考えられます。
仲が悪くて脱退ではなさそうです。
今後の呼人さんのさらなる活躍が楽しみですね。