「東京ブギウギ」で一世を風靡した笠置シヅ子さん。
晩年はどんな生活を送られていたのでしょうか。
歌手引退後の活動から、
70歳で死去するまでを調べてみました。
笠置シヅ子の晩年の生活は?
歌手を引退(43歳)

出典:X(twitter)
笠置シヅ子さんは33歳の時に、
「東京ブギウギ」を発表。
戦後の日本に勇気を与えたこの曲は、
空前の大ヒットとなりました。
その後も、
「大阪ブギウギ」
「買物ブギ」
なども人気を博し、
「ブギの女王」と呼ばれるまでになります。
しかし時代の流れと共にブギブームは低下。
1957年、43歳の時に歌手を引退し、
女優業に専念することを宣言。
世間の注目を集めました。
どうして歌手を引退したのか

https://guchini3.exblog.jp/30115536/
スター歌手の突然の引退に、
観客を満足させる歌や踊りができなくなったから?
子育てを優先するから?
などの憶測が出たそうです。
しかし後にシヅ子さんご本人が、
テレビ番組で引退理由について明かしています。

廃業理由は「太りかけたから」。
昔と同じように動けていれば太るはずはない。
太ってきたということは、
昔のように動けていないということ。
自分の全盛期を自ら汚す必要はない。
シヅ子さんはハイヒールを履いたまま、
激しいダンスを披露します。
歌とダンスが完璧にできてはじめて、
「笠置シヅ子の芸」が完成するのでしょう。
この芸の質をほんの少しであっても落とすことはしたくない、
それによって過去の栄光まで汚してしまうのは我慢できない
ということだったのでしょうね。
戦後スターの役割を終えたから?

https://columbia.jp/artist-info/kasagi/prof.html
シヅ子さんが歌手引退を決意した前年の1956年は、
政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した年でした。
パワフルな歌声と踊りで、
戦後の日本を明るく照らしたブギの女王の役目も、
終わりを迎えようとしていたのでしょう。
シヅ子さんご本人もそのように感じ、
引退を決意されたのかもしれませんね。
引退後は一切歌わなかった

歌手を引退した後も、
女優として芸能界で活躍したシヅ子さんですが、
テレビはもちろん、
人前で歌うことは一切なかったそうです。
鼻歌さえ聞かせることはなかったといいます。
完璧なパフォーマンスしか見せてはいいけない
という美学があったのでしょうね。
お母さん役として人気者に(40代~50前半)

出典:X(twitter)
43歳で歌手引退を宣言し、
女優業に専念したシヅ子さん。
どんどん若いアイドル歌手が誕生する中、
アラフォー歌手のシヅ子さんの人気は
次第に低迷したようです。
しかし彼女の魅力を生かせるのは、
歌だけではありませんでした。
もともと喜劇女優として
舞台や映画で活躍していたシヅ子さん。
歌手引退後は、
お母さん役として数多くのドラマや映画に出演。

出典:X(twitter)
シヅ子さんのユーモラスな演技は、
お茶の間で人気を集めるようになりました。
ブギの女王だったシヅ子さんは、
関西弁のおばちゃん女優
という地位を築いたのでした。
歌合戦の審査員に(52歳~66歳)
40代~50代は女優として活躍していたシヅ子さんですが、
1970年代、50代後半になってからは、
ドラマ・映画に出演することはなくなりました。
しかし、
歌番組のレギュラー審査員として人気を集めるようになります。
1967年にスタートしたTBSの人気番組「家族そろって歌合戦」。
「家族そろって歌合戦」は日本各地の市民会館などで公開収録を行う、
視聴者参加型番組でした
この番組で審査員の一人を務めたシヅ子さん。
ユニークなキャラクターで、
多くの視聴者から愛される存在だったようです。

ところが、
歌手を引退し女優業に専念してから10年以上経っていたため、
女優の彼女がどうして
歌合戦の審査員をやっているの?
と思う若い層の方々も多かったといいます。
どうして上沼恵美子がM-1グランプリの審査員をやっているの?
と若い方が思うのと同じ感じですね。
(上沼さんはもともと天才的な漫才師でした)
カネヨンCMのおばさんで親しまれる(60代)
晩年の笠置シヅ子さんは、
歌番組の審査員と合わせて、
カネヨ石鹸の台所用クレンザーの
「カネヨン」CMのおばさんとして親しまれました。
歌手や女優としての笠置シヅ子さんは知らなくても、
カネヨンのCMは覚えている!
という方が多いようですね。
乳がん手術を受ける(67歳)

1980年代に入り、60代後半になったシヅ子さんは、
体調を壊すことが増えたといいます。
1981年に乳がんが見つかり手術を行います。
67歳の時でした。
しかしその3年後に今度は卵巣に転移し、
卵巣がんを患ってしまいます。
卵巣がんのため死去(70歳)

卵巣がんの手術を行いますが、
すぐに再発してしまいます。
1985年3月30日、
卵巣がんのため入院していた病院で亡くなったそうです。
70歳でした。
最期は自分のドラマを観ていた?

https://maxanarchy.jp/shizuko-kasagi-lifetime/
シヅ子さんの最期の言葉は、
「日劇時代は楽しかったね」
だったと言われています。
病床で「昭和ラプソディ」を見ていたシヅ子さん。
「昭和ラプソディ」は、
東京ブギウギをはじめ多くのシヅ子さんの楽曲を手掛けてきた
作曲家・服部良一さんの伝記ドラマです。
ドラマの中で自分の役を演じている
研ナオコさんの姿を見てポツリと呟いたそうです。
日劇とは、
東京都千代田区有楽町にあった日本劇場のこと。
半世紀近くにわたり日本興行界を代表する象徴の1つとされてきました。
シヅ子さんは日劇の舞台に何度も立ち、
日劇の発展に大きく寄与した1人とされています。
生涯シングルマザーを貫いた

出典:X(twitter)
笠置シヅ子さんは33歳で娘を出産してから
生涯独身、シングルマザーを貫いた
シングルマザーの先駆者としても知られています。
シヅコさんは29歳の時に
吉本興業の跡取り息子・吉本穎右と恋に落ち交際しますが、
穎右の母親・吉本せいに結婚を反対され、
未婚のまま娘エイ子を出産しています。
病弱で結核を患っていた穎右さんは、
娘が生まれる数日前に死去していました。
一人で娘を育てることを決意

出典:X(twitter)
吉本家は「子供を引き取りたい」と申し出たそうです。
しかしシヅ子さんは自分自身が養女であり苦しんだ経験もあったため、
一人で娘を育てる決心をしたといいます。
幕間に授乳したりあやしながら、
必死に舞台をこなしたといいます。
女優に転身した時には、

私はこれから一人で娘を育てていかなければならない。
でもスター・笠置シヅ子の高額ギャラでは使ってもらえない、
ギャラを下げて良いので使ってください。
と交渉して回ったといいます。
後にシヅ子さんの娘エイ子さんは、
「娘としてではなく、人間として、私には一生超えられない人です」
とシヅ子さんについて語っていました。




まとめ
今回は「東京ブギウギ」で知られる
笠置シヅ子さんの晩年にスポットをあて、
まとめてきました。
スター歌手としてだけではなく、
マルチな活動をされていたこと、
シングルマザー先駆者であったことなど、
興味深い晩年だったことがわかりました。