朝ドラ「ブギウギ」で話題の笠置シヅ子さん。
戦後の大スター・ブギの女王などと言われる彼女は、
いったいどんな人だったのでしょうか。
今回は笠置シヅ子さんの性格や支持される理由について
調べてみました。

笠置シヅ子はどんな人?
性格はコテコテの関西人

https://maxanarchy.jp/shizuko-kasagi-lifetime/
笠置シヅ子さんは香川県で生まれていますが、
大阪育ちのコテコテの関西人です。
普段からコテコテの大阪弁をしゃべることで有名でした。
養女として大阪へ

実母は10代でシヅ子さんを出産。
未婚の母でした。
偶然大阪から里帰り中の近所の女性と縁があり、
シヅ子さんはその大阪の女性の養女になることに。
生後半年ほどで、
大阪に移り住むことになったのです。
大阪で芸を磨く

https://tkj.jp/book/?cd=TD046734
道頓堀の「松竹楽劇部生徒養成所」で芸を磨き、
やがて大阪松竹楽劇の看板スターになったシヅ子さん。
東京に進出した「松竹歌劇団」に移籍し
23歳で東京進出を果たすまで、
大阪を拠点に活動していました。
大阪仕込みのサービス精神

出典:X(twitter)
笠置シヅ子さんの魅力は、
サービス精神たっぷりのパフォーマンスです。
お客さんを巻き込んでいくようなノリの良さは、
大阪仕込みのサービス精神と言えるでしょう。
子供の頃から歌や踊りが上手だったシヅ子さんは、
養父が営む銭湯の脱衣所で歌や踊りを披露していて、
近所の人気者だったそうです。
子供の頃から鍛えられた大阪のノリが、
シヅ子さんの強みになったのでしょうね。
大阪らしいヒップホップが大ヒット

日本語ラップのルーツとも言われる「買い物ブギ」。
大阪弁ならではのノリの良いラップが大ウケし大ヒット。
関西人シヅ子さんの魅力が詰まった代表曲です。
この曲を作曲した服部良一さんも関西人。
二人のユーモアセンスによって
この名曲は誕生したのです。
歌詞中の
わて、ほんまに、よういわんわ
という名セリフは、
曲が難しすぎてシヅ子さんが
服部さんに言ったセリフなんだとか。
それを聞いた服部さんが、
面白いから使おう
と歌詞にしたというエピソードが残っています。
ちなみに、
ああしんど
のセリフは、
シヅ子さんが収録中に呟いた言葉が
そのまま使われたそうですよ。
一途な女性

シヅ子さんは生涯たった一人の男性だけを愛した
一途な女性としても知られています。
その男性とは吉本穎右という人物で
吉本興業の創業者・吉本せいの息子でした。
二人が出会った時、
- シヅ子は29歳
- 穎右は学生で20歳
出会ってすぐに恋に落ち結婚の約束をしたといいます。
しかし吉本せいの反対により結婚は叶わないまま、
病弱だった穎右さんは、
25歳の時に結核で亡くなってしまいます。
穎右さんの子を身ごもっていたシヅ子さんは、
彼の死の数日後に娘を出産するという
壮絶な体験をされています。
わが生涯最良の日々

穎右さん母の反対や、
混乱する戦時中という事情もあり、
二人が一緒に同棲した時期は
数ヶ月だけだったそうです。
しかもすでに穎右さんは結核に侵されていました。
しかしシヅ子さんは、
穎右さんと過ごしたわずかな時間を振り返り、
わが生涯最良の日々
と語っています。

https://columbia.jp/artist-info/kasagi/prof.html
穎右さんが亡くなった後は再婚することなく、
生涯独身を貫きました。
娘エイ子さんによると、
シヅ子さんが愛した男性は、
穎右さんただ一人だったといいます。
芸にとても厳しかった

https://guchini3.exblog.jp/30115536/
おどけた表情で、
明るく陽気に踊る笠置シヅ子さんですが、
とても芸に厳しかった人としても有名です。
セリフを全部覚えていた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%BD%AE%E3%82%B7%E3%83%85%E5%AD%90
小学校卒業後に宝塚音楽歌劇学校を受験しますが、
低身長を理由に不合格。
その後、松竹楽劇部生徒養成所へ駆け込みます。
当時生徒募集をしていなかったのですが、
シヅ子さんの負けん気が買われ入団。
芸を磨こうと必死なシヅ子さんは、
誰が休んでも代役ができるように、
全てのセリフを覚えていたそうです。
華奢な体で奮闘したシヅ子さんは、
やがて大阪松竹楽劇の看板スターになったのでした。
ハイレベルの踊り

出典:X(twitter)
ブギのリズムに乗せて、
楽しそうに舞台で踊る笠置シヅ子さん。
ハイヒールでこの激しいダンスをするのは
実はとてもハイレベルだといいます。
今のアイドルでも、
彼女のダンスができる人はなかなかいない
という意見も多いといいます。
少なくとも当時は、
笠置シヅ子以上のダンスができる人はいなかったでしょう。
直立不動で歌うのが当たり前の時代に、
この激しいダンスで歌おうとした
シヅ子さんのガッツがすごいですね。
衰えを理由に潔く引退

https://mag.nhk-book.co.jp/article/36281
33歳の時に「東京ブギウギ」で一世を風靡したシヅ子さん。
その後43歳で歌手引退を発表し、
世間を驚かせました。
引退の理由は「太りかけたから」だったそうです。
昔と同じように動けていれば太るはずはない。
太ってきたということは、
昔のように動けていないということ。
自分の全盛期を自ら汚す必要はない。
このように考え引退を決意したといいます。
太って見た目が悪くなるからではく、
太った=最高のパフォーマンスができていない
という解釈だったのですね。
おそらく少しくらいダンスのキレが落ちても、
笠置シヅ子の人気は続いたでしょう。
しかしシヅ子さん本人が
芸の質をほんの少しであっても落とすことはしたくない
という強いこだわりがあったのでしょうね。
普段は地味な人だった

華やかなパフォーマンスで人々を魅了した笠置シヅ子さん。
しかし舞台を降りると、普段はとても地味な方だったそうです。
初めて会った人は、
この人が笠置シヅ子さん?
と驚くことも多かったといいます。
「東京ブギウギ」をはじめ、
シヅ子さんに数多くの楽曲を提供した、
名作曲家の服部良一さんも、
初めてシヅ子さんに会った時、
その地味さに驚いたそうです。

大阪の歌姫と聞いていたので、
どんなプリマドンナか期待していたが、
目をしょぼつかせ、
コテコテの大阪弁を話す貧相な女の子だった。
しかし舞台が始まると一変、
パワフルなパフォーマンスを見て、

なるほど、これが世間で騒いでいた歌手か
と納得したそうです。
笠置シヅ子が女性の支持を集める理由とは?
シングルマザーとして奮闘していたから

出典:X(twitter)
若くして夫を亡くし、
幼子を抱えて舞台に立ち続けたシヅ子さん。
舞台の合間に授乳をしながら、
歌い続けたといいます。
シングルマザーという言葉もなかった時代、
ヒット曲に恵まれていたとは言え、
女手一つで子供を育てるのは大変だったでしょう。
そんな健気に頑張るシヅ子さんの姿は、
生活のために身を落とした水商売の女性たちから、
絶大な人気を集めたといいます。
「東京ブギウギ」が戦後大ヒットした理由の一つは、
彼女たちの力だったとも言われています。
弱い立場の人たちに寄り添っていたから

敗戦後の生活苦から娼婦になった女性たちから
圧倒的な支持を得ていた笠置シヅ子さん。
彼女が人気を集めた理由は、
そんな彼女たちに寄り添ってくれる人だったからです。
娼婦たちによるシヅ子のファンクラブができると、
シヅ子は彼女たちの境遇に共感したといいます。
そして、
- 娼婦たちと直接会う
- 娼婦たちが社会復帰できるように相談に乗る
このようなことを行い、
更生施設の建設の相談にのるなどして、
実際に彼女たちをサポートしたそうです。
このようなシヅ子さんの優しさや誠実さが、
多くの女性の心に響いたのでしょうね。


まとめ
今回は戦後の大スター笠置シヅ子さんの
人物像について調べてみました。
舞台の上の歌声だけではわからない、
様々な顔を持つ方であることがわかりました。
朝ドラ「ブギウギ」では、
どのように描かれるのか楽しみですね。