昭和の歌謡界の女王と言われる、
笠置シヅ子さんと美空ひばりさん。
実は二人には不仲説が噂されていました。
今回はその真相に迫りたいと思います。
笠置シヅ子と美空ひばりは不仲だった?
美空ひばりは笠置シヅ子のモノマネでブレイクした
幼い頃から天才的な歌唱力を持っていた美空ひばりさん。
8歳のときに父親が「ミソラ楽団」を結成し歌手活動を開始。
9歳で横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を経験し、
活動の場を広げていました。
そして1948年、11歳の時に「川田一座」の公演で、
当時大スターだった・笠置シヅ子さんのモノマネを披露。
その完成度の高い歌声は拍手喝采を浴び、
「ベビー笠置」と呼ばれるほどになったといいます。
まだ持ち歌がなく無名だったひばりさんは、
笠置シヅ子さんのモノマネがきっかけで大ブレイクしたのです。

批判的な声もあった?

11歳の少女が大人を真似て歌う姿に、
かわいい!
という声が上がる一方で、
子供が大人の恋の歌を歌うのはおかしい
と批判的な声もあったそうです。
いずれにしても、
ひばりさんの存在は広く知られるようになったそうです。
初共演を果たす

笠置シヅ子さんと美空ひばりさんが初めて対面したのは、
1948年10月のことでした。
横浜国際劇場で初共演をしています。
笠置シヅ子:34歳
美空ひばり:11歳
このような年齢の時でした。
23歳も年齢差があったのですね。
大スターのシヅ子さんに対しひばりさんは無名の歌手。
シヅ子さんは楽屋でひばりさんを可愛がっていたそうです。
ひばりさんもまた、
シヅ子さんと一緒に写真を撮ると、
「憧れの笠置先生が写真を撮ってくれた!」
と喜んだそうです。
二人の初対面はとても和やかな雰囲気だったようですね。
しかしその3ヶ月後に、
不仲説の発端となる出来事が起きるのです。
笠置シヅ子がブギを禁止した?

https://tkj.jp/book/?cd=TD046734
1949年1月、日劇の「ラブ・パレード」で
ブギを歌う少女を演じることになったひばりさん。
笠置シヅ子の「ヘイヘイブギ」を歌いたいと、
シヅ子側に使用許可を取ったそうです。
しかし本番前になってから、
「ヘイヘイブギ」はNG
「東京ブギウギ」ならOK
という通達がきたといいます。
「ヘイヘイブギ」を歌うつもりだったひばりさんは、
「東京ブギウギ」の練習などしておらず、
突然の変更に戸惑ったといいます。

“東京~”の出だしを失敗し、
“ブギウギ~”から歌ってしまったひばりさん。
このミスを大変悔しがり、
楽屋に戻ってから泣きじゃくったといいます。
「ヘイヘイブギ」は新曲だった

https://maxanarchy.jp/shizuko-kasagi-lifetime/
シヅ子側が「ヘイヘイブギ」にNGを出したのには、
理由がありました。
この曲は発売したばかりの新曲だったのです。
「東京ブギウギ」:1947年発表、1948年1月発売
「ヘイヘイブギ」:1948年4月発売
ひばりさんが歌おうとしたのは1949年1月でした。
これから新曲として世に広めていこうという曲を、
モノマネ子役に歌われてしまったら困りますよね。
そのためシヅ子側は、
ストップをかけたといいます。
笠置シヅ子が悪者にされた?

しかしこのような真相はうやむやになり、
笠置シヅ子が美空ひばりにブギを歌わせなかった。
だから美空ひばりは上手く歌えず号泣してしまった。
というエピソードだけが残ったようです。
まだ11、12歳だったひばりさんのプロ意識の高さは美談となり、
シヅ子さんは悪者のように
語られるようになってしまったのです。
美空ひばりは映画デビューを果たす
プロ意識の高いひばりさんは、
出だしを間違えたことを大変悔しがりましたが、
観客はその部分は気にしていなかったようです。
子供が軽快に「東京ブギウギ」を歌って踊る姿は、
観客に大ウケし大成功。
ひばりさんは同年3月には、
「のど自慢狂時代」でブギウギを歌う少女の役を演じ
映画デビューを果たします。
結果的に美空ひばりさんは、
東京ブギウギのおかげで、
映画デビューを叶えたということですね。
笠置シヅ子のブギ禁止令で不仲が決定的に

「ヘイヘイブギ」騒動の翌年、
笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの不仲説が、
決定的となる出来事が起きます。
日本もアメリカのブギ全盛期の中、
笠置シヅ子さんは1950年6月から、
日系人慰問のための、
アメリカ公演を行うことになります。
ところがその1ヶ月前の5月から、
美空ひばりさんがアメリカ公演を行うことが判明します。
当時文化人が渡米することは
ステイタスの一つになっていたそうです。
笠置シヅ子がブギ禁止令を出す

自分のモノマネでブレイクした少女・美空ひばりを、
それまで黙認していたシヅ子側でしたが、
この時は我慢できなかったのでしょう。
美空ひばりが先にブギを歌ったら、
笠置シヅ子公演の価値が下がってしまう!
と慌てたシヅ子側は、
日本音楽著作権協会を通じてひばり側に、
服部良一の曲は一切演奏・歌唱してはならない
という書状を出させたのです。
するとひばりさんのマネージャー福島通人さんは、
笠置と服部にブギを歌うなと言われた
と新聞社にリーク。
「笠置シヅ子のブギ禁止令」と呼ばれ
シヅ子さんはまたしても
悪者にされてしまうのでした。
しかしこの「笠置シヅ子のブギ禁止令」は、
シヅ子さん本人の意志ではなかったと言われています。
美空ひばりは禁止令を無視

出典:X(twitter)
当時14歳のひばりさんの持ち歌は数曲。
ブギを禁止されると歌える歌がほとんどありません。
ひばりさんはアメリカ公演を諦めようとしたそうですが、
マネージャーの福島通人さんはハワイ行きを決行。
現地でひばりさんを受け入れた第100大隊が、
日本の法律はアメリカには及ばない
と意見したこともあり、
ひばりさんはブギを歌ってしまったのです。
最終的に、
美空ひばり:1980年5月~7月
笠置シヅ子:1980年6月~10月
という期間でそれぞれアメリカ公演を行ったそうです。
帰国した二人は「アメリカ帰り」として注目され、
それぞれヒット曲を飛ばし活躍します。
しかしひばりさんがブギ禁止令を無視したことで、
二人の関係は悪化したままだったそうです。
原因はマネージャーにあった?

実はこの騒動の原因は、
笠置シヅ子さんのマネージャー山内義富さんに
あったと言われています。
ギャンブルやヒロポン(当時合法だった覚醒剤)にはまり、
シヅ子さんのお金を使い果たしていたという山内さん。
ひばり側にアメリカ公演の情報をリークしたのも
金儲けを企んだ彼だったと言われています。
シヅ子さんのアメリカ公演の情報を知ったひばり側は、
先手を打ったということですね。
シヅ子さんはその後、
山内さんをクビにしたそうです。
NHKで共演し和解

出典:X(twitter)
「笠置シヅ子のブギ禁止令」騒動の後、
マスコミは二人の不仲について
連日のように報道しました。
このままではお互い営業的に支障が出ると考えたのでしょう。
シヅ子さんとひばりさんは、
1951年2月11日、
NHK歌番組「今週の明星」に揃って出演。
和やかな雰囲気で共演したことで、
世間は二人が和解したと納得したそうです。



まとめ
今回は、
笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの不仲説について
調べてみました。
二人が出会った時、
シヅ子さんはすでに大スターで、
ひばりさんは11歳の少女でした。
この不仲説は、
実際に二人の仲が悪かったのではなく、
周りの大人たちによって不仲に見える状態になった
と言えるでしょう。
NHK朝ドラ「ブギウギ」では、
この二人の関係がどう描かれるのか楽しみですね。