南アフリカからナミビアに位置する先住民族「ホッテントット」。
現在は子孫たちが街で生活はしているものの存在していません。
ホッテントットとは?
南アフリカの先住民コイコイの差別的な呼び名

このように、身体的特徴を持った民族です。
- 大きい臀部
- 大きく長い小陰唇(ホッテントットのエプロンと呼ばれる)
女性には大きな臀部とホッテントットのエプロンと呼ばれる小陰唇伸長が見られます。
ちなみに男性は睾丸の片方を除去しているそうです。
その民族をオランダからの入植者が差別的な呼び方として
「ホッテントット」と呼んだのがはじまりです。
※呼び方の理由は後述
そこから、世界的にお尻が大きい女性をセクシーという意味やセクシャリティな言葉も含め
「ホッテントット」と呼ばれるようになりました。
ちなみに小陰唇俗にいうビラビラと呼ばれる部分です。
ここが、直立すると最大10cmほどぶらさがった状態であるそうです。
ホッテントットの歴史
ホッテントットはコイコイという民族の蔑称

この地図の緑で示している地域にホッテントットと呼ばれる人々は住んでいました。
サン人とともにアフリカの最古の住民であると考えられています。
(※差別的呼称のため以降コイコイと表記)
彼らはアフリカ南部で最初の牧畜民であり、彼ら自身をコイコイと呼びました。
これは、「男性の男性」または「実在の人々」を意味します。
この名前は、彼らの過去と文化に誇りを示すために選ばれました。
コイコイ人は、17世紀半ばにオランダ人入植者と接触した最初の先住民でした。
オランダ人が農場のために土地を引き継いだとき、コイコイ人は処分、絶滅、または奴隷化されました。
彼らの数はどんどん減少していきました。
「ホッテントット」と呼ばれるようになった理由

コイコイ人は、ヨーロッパの入植者から「ホッテントット」と呼ばれていました。
理由は次の通りと言われています。
- 彼らの発音は大きく異なり、多くの単語や音を発音できなかったため
- コイコイ人は踊りながら「ホッテントット」のように聞こえる言葉を使用したため
- 音を真似してアフリカーンス語で「どもる人」の意味で使い始めた(説がある)
入植者はコイコイ人をこの名前で呼びましたが、今日ではこの用語は蔑称と見なされています。
またオランダ人入植者は、
他の先住民であるサン民族を表す「ブッシュマン」という用語を使用しました。
この用語も今日でも蔑称と見なされています。

入植者が「ブッシュマン」と呼んだ人々の多くは、実際にはコイコイ人または元コイコイ人でした。
このため、学者はハンターと遊牧民を一緒に「コイサン」と呼ぶ場合があります。
「ホッテントット」という言葉が有名になった理由
サラ・パートマン
サーキ(サラ)・バートマンは、ホッテントット・ヴィーナスという名前でした。
南アフリカの東ケープでコイコイ人女性として生を受けたサラは、
彼女の突き出た臀部と特異な生殖器に目をつけた医師と農夫にロンドンに連れてこられました。
そして「ホッテントットのヴィーナス」として大々的に喧伝されました。
ピカデリー 22 番地で見世物として展示公開されました。
好奇の目にさらされ、その官能的な体型から、ヨーロッパ、特にイギリスとパリで見世物とされました。
彼女は1815年に26歳で天然痘(梅毒ともいわれる)でこの世を去りました。
サラの身体はその死後もなお展示され、180年以上もホルマリン漬けにされ
生かされ続けることとなりました。
地元の南アフリカでは、2002年になるまで正式に埋葬されなかったといいます。
映画にビヨンセが出る予定だった?

サラを映画化しようという試みがあり、一時的に主役はビヨンセではないか?と
言われていました。
しかし、ビヨンセ側および南アフリカ俳優組合はこれを否定していました。
あくまでも噂だったようです。
ビヨンセや組合からの声明は次の通り。
サラ・バートマンの物語は拷問と、女性、一般的に女性であることへの屈辱であり、そのすべての文化は南部アフリカに元々あるものです。
南アフリカの歴史のひとつのエピソードとして、それは人種差別、性差別と搾取の壊滅的な被害を表しています。
サーキ・バートマンは変人だと見世物にされ、残忍なやりかたで彼女の人間性も奪われてしまいました。
彼女の物語は、語られるべきものです。

彼女をテーマとした、フランス・ベルギー合作で2010年に作られた
アフデラティフ・ケシシュと言うチュニジア人が監督した
「Venus Noire 黒いヴィーナス」 と言う映画があるようです。