生涯現役を宣言し、
現在も日本の音楽業界を盛り上げている北島三郎さん。
これまで数多くの伝説を残してきた方でもあります。
今回は北島三郎さんの経歴・プロフィールをご紹介します。

北島三郎の経歴・プロフィール!
芸名:北島三郎
出生名:大野穣(おおのみのる)
生年月日:1936年10月4日
年齢:87歳(2023年11月現在)
出身地:北海道上磯郡知内村
漁師の家に生まれる

手前右が北島三郎さん
5男2女の7人きょうだいの長男として生まれた北島さん。
父親は漁師でニシン漁を営んでいました。
北島さんが父親の仕事を手伝うこともあったそうです。
当時ニシンは漁獲量が多かったため裕福な暮らしだったといいます。
しかしその後ニシンの水揚げ量が激減。
ニシン漁の衰退により大野家の暮らしは困窮します。
漁業を辞めて農業に切り替え、
海辺から内陸へ引っ越したそうです。
地元で有名な不良に

https://arty-matome.com/I0003261
生活が苦しかった大野家。
北島さんは成績優秀だったにもかかわらず、
一時は高校を諦めますが、
父親の説得で北海道函館西高等学校に進学します。
ラグビー部に入り、
朝4時起床、片道3時間の汽車通学の生活だったそうです。
しかし高校時代にグレてしまった北島さんは、
地元では有名な不良に。
学校をサボりリサイタルに行くこともあったといいます。
海で溺れていた小学生を助ける

http://norabako8.blog93.fc2.com/blog-entry-1692.html
北島さんは高校2年生の時に、
海で溺れていた小学生を救助し、
新聞にも掲載されました。
「函館新聞」に掲載された記事は、
北島三郎記念館に飾られているそうです。
少し画像は荒いですが、
高校時代の北島さん(本名:大野穣さん)の
素敵な笑顔が確認できます。
NHKのど自慢に主演

子供の頃から歌が好きで、
青年団の演芸会などで歌を披露していた北島さん。
高校2年生の時に、
歌手になるきっかけとなる出来事がありました。
函館で開催された「NHKのど自慢」に出場したのです。
鐘は2つで合格ではありませんでした。
しかしこの時司会の宮田輝さんが優しく、
良い声して学生さんですか?
お上手でしたのにねえ…
と言った一言が北島さんの心を動かしたそうです。
NHKラジオ「アナウンサー百年百話」に出演された北島さんは、
当時を振り返りこのように語られています。

鐘が2つ鳴ろうと3つ鳴ろうと関係ない。
あの宮田さんの言葉が残っとる。
この人がこういうこと言うんだから
本気になって歌手を目指してみようかなと思ったんです。

宮田輝さんの言葉がなかったら、
もしかしたら漁師で終わったかな
とも仰っていました。
北島さんは父親も祖父も漁師なので、
子供の頃は漁師になろうと思っていたそうです。
宮田輝は初出場の紅白でも司会だった

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010630
その後プロの歌手になった北島さんは、
1963年に紅白初出場を果たしますが、
その時の司会者が宮田輝さんでした。
北島さんは「アナウンサー百年百話」の中で、

何か偶然っていうか
あの人は俺が歌手なるためにいたような感じ
縁みたいなものを感じます。
と仰っていました。
歌手を目指し18歳で上京

本格的に歌手を目指すことにした北島さんは、
1954年、17歳で高校を中退。
歌手になって両親を楽にさせたい
という想いがあったといいます。
18歳で上京し東京声専音楽学校に入学します。
しかし歌の基礎を学ぶよりも歌謡曲志望だった北島さんは、
渋谷で流しの仕事をしながらプロを目指しました。
作曲家・船村徹との出会い

2017年、船村徹さんと北島三郎さん
7年という長く辛い下積み時代が続き、
北海道に帰りたい
と思うこともあったという北島さん。
ついに、1960年、24歳の時に転機が訪れます。
北島さんの評判を聞いたレコード会社の芸能部長の仲介で、
作曲家の船村徹さんと出会います。
船村徹さんのもとで歌のレッスンを受けることになった北島さん。
しかし当時はロカビリー全盛期ということもあり、
北島さんのような正統派の演歌を歌う新人は需要が無く、
なかなかデビューすることができませんでした。
船村徹さんはそんな北島さんに度胸をつけさせるために、
他の弟子とコンビを組ませて前座芸人をさせたこともあったそうです。
ついにデビューするも放送禁止に
1962年、26歳の時についに北島三郎として歌手デビュー。
北海道(北の島)生まれの三郎ということで、
北島三郎という芸名になったそうです。
デビュー曲は「ブンガチャ節」。
ところがこの曲は卑猥な歌として1週間で放送禁止になる
という不運に見舞われます。
・繁華街で歌われていた猥曲の歌詞を変えたものだった
・キュッキュキュ〜という歌詞がベッドのきしむ音を連想させた
などの理由があったようです。
セカンドシングル「なみだ船」でついに大ブレイク!

一曲目で出鼻をくじかれてしまった北島さんですが、
セカンドシングル「なみだ船」が大ヒット。
北島さんの出世作となります。
その後は、
- 「兄弟仁義」
- 「帰ろかな」
- 「与作」
- 「まつり」
などヒット曲にめぐまれ、
演歌界の大スターとなりました。
紅白引退の真相は?

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/12/05/kiji/K20131205007139850.html
NHK紅白歌合戦では、
- 史上最多50回出場
- 13回目のトリを務める
という伝説を打ち立てた北島さん。
2013年に50回出場の快挙を達成した後は勇退を表明しました。
その理由について北島さんは、
2016年「ダウンタウンなう」で

紅白に少しずつ変わって欲しかった。
誰かが幕を開けたら、誰かが引かないと
この辺で一本線を引いてみようと思った。
俺が引くことで新たなものが出てくる。
このように語られていました。
自分が引退することで、
後輩たちに道を譲りたいという気持ちが強かったのですね。
北島さんの去り際の美学は多方面から称賛されました。
北島三郎の伝説とは?
お年玉は50万!

芸能界で先輩が後輩に渡すというお年玉は、
有名な話ですよね。
特に演歌界は金額が高いことで知られていますが、
その中でも断トツなのが北島三郎さんです。
毎年お正月には豪華な新年会が行われ、
・後輩歌手
・テレビ関係者
・音楽関係者
などが大勢招待されるそうです。
そこで事務所の歌手たちに渡されるのが、
なんと50万円のお年玉!
豪快すぎるお年玉ですね。
ちなみにこの新年会には、
毎年1,000万円以上の費用がかかるそうです。
ファンサがすごい!

http://www.kitajima-music.co.jp/sabu/
ファンを大事にすることで知られる北島三郎さん。
芸道60周年を迎えた2022年には、
「北島三郎芸道60周年~ファンと歩んだ永遠の輝き~」が
リリースされました。
さらにファンを歓喜させたのが、
北島三郎サブスク解禁。
配信曲の総数はなんと747曲!(カラオケトラック含む)
北島さんはサブスク解禁に際し、

芸道60年の集大成として、
新しい形で皆さまに楽曲をお届けできることをうれしく思うとともに、
これからも日本の心を大切に魂のある歌を歌って参ります。
と語られています。
馬主としても大成功!

https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/18/0010826520.shtml
演歌界のレジェンドである北島さんですが、
実は馬主としても大成功を収めています。
演歌歌手の春日八郎さんの紹介がきっかけで、
1963年からJRA(日本中央競馬会)の馬主となった北島さん。
もっとも有名な持ち馬キタサンブラックは、
・「菊花賞」「天皇賞」「ジャパンカップ」「有馬記念」などG1レースで7勝
・2016年、2017年に年度代表馬に選出される
・生涯獲得賞金額は18億7684万3000円
・事務所の大野商事には約15億が入る見込み
・種馬として更に数億円の収入が見込める
このような偉業を成し遂げています。
実は赤字だった?

https://dot.asahi.com/articles/-/204849?page=1
超名馬のキタサンブラックの活躍により、
馬主として大儲けをしているように思われる北島さんですが、
実は赤字なのではという噂もあります。
馬主になるためには、
・馬を購入する費用(数百万円~高額は2億円以上も)
・馬の維持費(1頭あたり毎月60万円ほど)
このような費用がかかるそうです。
しかも馬は2歳まではレースに出れないため、
はじめの2年は維持費を払い続けるだけで収入は見込めません。
北島さんは200頭近くの持ち馬がいたと言われており、
その費用は莫大です。
さらに北島さんはG1を初めて勝つまでに52年もかかっています。
キタサンブラックの成功だけでは、
それまでの費用は賄えなそうですね。
それでも馬主を続け、
馬主であることを楽しむ北島さんの姿にはロマンを感じますね。
自宅豪邸は観光名所に!

https://keiko52.exblog.jp/1544634/
北島さんのご自宅は東京の八王子にあります。
・総工費は20億円と言われている
・部屋の数は北島三郎に合わせて36部屋
・庭にはテニスコートがある
・八王寺が見渡せる一等地
このように、
豪快な北島三郎さんらしいご自宅とのこと。
しかも驚くのが表札です。
北島さんの本名は大野穣なのですが「北島」となっています。
実は北島さんご自身が、
みなさんにわかるように敢えて表札を芸名にしたとのこと。
自宅を公表しない芸能人が多い中、
親切に表札を芸名にしている北島さん。
懐の深さを感じますね。
この北島さんの配慮により、
北島さんの豪邸は観光名所となっており、
観光バスのルートにも入っているそうですよ。
まとめ
今回は北島三郎さんの経歴・プロフィール、
さらに数々の伝説について調べてみました。
長い下積み時代から、
豪快なエピソードまで
興味深いものが多くありました。
今後のご活躍にも期待したいと思います。