ジャニーズ事務所設立初期に結成された4人組アイドルグループのフォーリーブス。
そのリーダーを務めていたのが北公次さんです。
アクロバットを得意とし寡黙でクールな魅力で多くのファンを虜にしました。
そんな北公次さんの若い頃がめちゃくちゃイケメンなんですよ!
しかも波瀾万丈な人生を歩んでいたのだとか…。
今回は北公次さんのイケメン画像や波瀾万丈な人生についてまとめましたのでご紹介していきます!
北公次の若い頃のイケメン画像まとめ!

北公次さんは16歳の頃にジャニー喜多川さんと出会っています。
初めはジャニーズタレントとしてではなく
アイドルグループ「ジャニーズ」の付き人としてスカウトされたのです。
付き人をしながら映画出演を果たし芸能界デビューしたんですよ!
その後フォーリーブスが結成され人気アイドルへ上り詰めていきました。
付き人とはいえジャニーさんがスカウトするということは相当イケメンだったということでしょう。
そんな北公次さんの若い頃の写真がこちら!


めちゃくちゃイケメンですよね!
目鼻立ちがはっきりとしていて美男子という印象です。
イケメン過ぎて美しい…。
これはグループ内でも一二を争そう人気だったでしょう!
多くのファンが虜になるのも納得ですよね。
まさにジャニーズ!といったルックスでジャニーさんがスカウトするのも無理ないです。
いずれはデビューさせようと思ってスカウトしたのではないでしょうか?
ジャニーさんは北公次さんがスターになることを確信していたのかも知れませんね!
北公次は波瀾万丈な人生だった?

北公次さんの人生は壮絶なものでした。
まさに波瀾万丈。
北公次さんのプロフィールや経歴に関してはこちらで詳しく紹介していますので是非ご覧下さい!


北公次は自殺未遂をしていた

前述した通り、北公次さんは「ジャニーズ」の付き人をしていました。
ジャニーさんと二人暮らしをしながらジャニーズjr.として生活をしていたのです。
そんな生活が始まって約1年半が経った頃、「ジャニーズ」のダンス留学のためにジャニーさんが渡米しました。
東京に残った北公次さんですが、レッスンをサボるようになります。
他のジャニーズjr.と一緒に夜遊びにハマってしまったからです。
10代後半なんて遊びたい時期ですからね…。
夜遊びにハマる気持ちも少し分かります。
そこで知り合った仲間たちと薬物(大麻・シンナー)に手を染めたり、喧嘩したり…。
相当乱れた生活を送っていた中、北公次さんには自殺願望が芽生えてしまいます。
虚無感からか生きる気力を無くしてしまったのでしょう。
ビルでガス自殺を行ってしまったのです。
しかし、メンバーである江木俊夫さんに助けられ未遂で終わることができました。
発見が遅れていたら…と考えるとゾッとしますよね。
助かって本当に良かったです。
ジャニーさんが帰国してからは元の生活に戻りました。
その後はレコードデビューや紅白出場などフォーリーブス解散までトップアイドルとして大活躍したのです。
北公次には逮捕歴があった!

フォーリーブスは1967年~1978年まで活動していました。
1978年の解散と同時に北公次さんはジャニーズ事務所から退所しています。
退所後はダンスや歌の修行を行う為に渡米しますがすぐに辞め、2か月ほどさすらいの生活を送っていました。
帰国後、なんと北公次さんは逮捕されてしまいます!
理由は覚せい剤取締法違反。
逮捕されたのは1979年ですが、1975年から覚せい剤を使用していのだとか。
1975年から3年間はほぼ毎日覚せい剤を打っていたのだそう。
アイドル活動中も覚せい剤を使用していたのですね…。
しかも覚せい剤の購入金額は3年で約1500万円!
一度薬物に手を出してしまうとやめられないというのは本当なのですね。
新たな所属事務所が決まり芸能活動の準備をしている中での逮捕だったため、
芸能界への復帰が白紙となりました。
釈放された後は地元の和歌山へ戻りアルバイトをしながら生計を立てます。
しかし、5か月ほどたった頃に知り合いの俳優の誘われて上京。
再び芸能界での活動を開始しました。
こうしてみてみると、北公次さんは周りの人に恵まれている感じがしますね。
北公次、パチンコとブロン中毒の日々

北公次さんは芸能界復帰を果たしますが仕事は無いに等しい状況でした。
年に1~2本ほどの仕事数だったとか。
ライブ活動などもしていましたがそれでも生活することは厳しく、
当時付き合っていた女性に金銭面は頼っていたようです。
ヒモのような感じになっていたのですね。
そんな生活が続き、北公次さんはパチンコやブロン中毒の日々を送り始めるのです。
●ブロン中毒とは…
ブロン液という咳止めを大量摂取すること。
多幸感や幻覚作用があると言われている。
理想と現実のギャップが大きく目的が見えなくなってしまったのでしょうか。
現実逃避のためにそういった行動をとってしまったのかもしれませんね。
北公次の結婚とうつ病

北公次さんには結婚歴が3回あります。
1回目の結婚は1983年です。
お相手は客室乗務員として働いていた女性。
授かり婚だったため、1984年に第一子が誕生しています。
しかし、芸能関係の仕事はほとんどなく北公次さんは日雇いのバイトなどを行いながら家族を支えました。
結婚してもパチンコとブロン中毒は治っておらず、家計の負担は圧迫される一方だったのです。
しかもブロン中毒の副作用でうつ病を患ってしまい、入退院を繰り返すようになりました。
1988年にとうとう妻が子供を連れて出ていき離婚。
ショックから酒浸りの生活を送るようになります。
いったんは地元に帰りますが、上京し自身の半生を綴った「光GENJIへ」を出版。
この本が大ヒットし再びメディア露出が増え、1989年に元妻と再会を果たします。
そして再婚し、第二子が誕生するのです。
同じ女性と2度結婚していたのですね!
しかしその女性とは1992年に離婚し、1994年にはスナックのママと3度目の結婚をします。
北公次さんは結婚と離婚を繰り返していたことが分かりました。

まとめ
北公次さんの若い頃の画像や波瀾万丈な人生についてご紹介していきました。
- 自殺未遂
- 覚せい剤取締法違反にて逮捕
- パチンコとブロン中毒
- うつ病
- 3度の結婚
北公次さんの人生で起こったことをまとめるとこんな感じです。
アイドルとして華々しい生活を送っていたと思いきや
裏では思い詰めることが多かったのかも知れませんね。
北公次さんは若い頃とてもイケメンでした!
周りにはたくさんの人が溢れ支えてくれていたのでしょう。
荒れた生活を送りながらも何度も芸能界へ復帰するチャンスがあったのですから。