小室ブームを巻き起こした小室哲哉さんでしたが、
ブームが去り金銭トラブルで詐欺の容疑で逮捕、
さらには不倫で引退騒動も起こりました。
あんなに華やかで大ヒットをしていた小室ブームの裏で、
いったい何があったのでしょうか?
小室哲哉さんの経歴を振り返ってみたい思います。

小室哲哉の経歴
小室哲哉のプロフィール

名前:小室哲哉(こむろてつや)
生年月日:1958年11月27日
年齢:63歳(2022年8月現在)
出身:東京都府中市
身長:167cm
血液型:O型
生まれは東京都府中市

小室哲哉さんは東京都府中市で生まれて、
兄弟はおらず一人っ子です。
幼少期の3歳の頃から12歳までヴァイオリンのレッスンを受けており、
小さいころから音楽に触れていたのがわかります。
東京芸術大学教授の下で、
ヴァイオリンのクラシック音楽の練習曲を、
ひたすら同じフレーズを弾くレッスンを受けて、
音感の基礎を学んでいた。
小学校は府中市立第五小学校

小学校は府中市立第五小学校に通っていました。
そんな小室さんは小学生の頃からクラシック音楽の、
インストゥルメンタルの楽曲を作っていたそうです。
しかし意外にも鍵盤楽器は習ったことはなく、
「鍵盤楽器を弾く時に手がぺったりついてしまう」
という変な癖がついてしまいました。
平たく弾く癖があったことで、
オクターヴ奏法が楽にこなせる様になった。
そして鍵盤楽器でベースのスラップ奏法が
表現できる様にもなった。

確かに小室さんの弾き方ってすごく独特ですよね。
小学5年生の時に母がエレクトーンを購入し、
それが小室さんと鍵盤楽器との出会いでした。

- 購入した母より先にコードを覚えて、
たった10日で独学で基本操作をマスター。 - ギターは母方の叔父からコードを習う。
- マスターするのが早くて叔父を驚かせた
小室哲哉さんが音楽の天才であったことが、
小さいころの様子からも伝わってきますね。
中学は府中市立府中第四中学校

中学は府中市立府中第四中学校へと進学をします。
中学校では小室さんは放送部でした。
この頃の小室さんはシンセサイザーを無性に買いたくなり、
家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを
家族に内緒で売ってその時代に16万円以上したという
シンセサイザー「ローランドSH1000」を購入したそうです。
シンセサイザーの練習を続けると共に、
オリジナル楽曲の作曲を本格的に始める。
渡辺美里の
「きみに会えて」「BELIEVE」
「嵐ヶ丘」「I wish」
TM NETWORKの
「Here, There & Everywhere (冬の神話)」など
後に提供する楽曲の雛型約20曲を、
その頃に作曲している。
高校は早稲田実業学校高等部

高校は早稲田実業学校高等部商業科へと進学。
小室さんの父親も同じ高校の出身で、
小室さんは推薦で入ったと言われています。
小室の作曲テクニックに
クラスメイトが憧れて、
クラスメイトの半数以上の
「作曲の宿題」を肩代わりさせられた。
大学は早稲田大学

大学は高校からそのまま早稲田大学社会科学部に進学しています。
この頃の小室さんはミュージシャンとしての腕前は
正直まだまだでしたが、
「シンセサイザーを使っている珍しいミュージシャン」
という点で注目され色々な所から、
スカウトや声がかかったそうです。

音楽活動にはまり没頭していた大学時代、
授業料を楽器代に使い廻していたために単位が取れず、
授業料を払う位ならシンセサイザーを買った方がいい
という考えになり5年ほど通って除籍、中退となりました。
真っ当な職に就くべきなのか
いう焦りがありながらも数々のデモテープを応募。
そのデモテープが小坂洋二さん、小林和之さんの目に留まり、
本格的にTM NETWORKデビューへと準備が始まりました。
TM NETWORKとして活動開始
並行して楽曲提供も行っていた

自身の音楽ユニット「TM NETWORK」の活動と並行して、
小室哲哉としての作曲活動も行っていました。
たまには他の人の曲を作るのも勉強になる
という今野敏さんの後押しもあったようです。
- 岡田有希子
- 渡辺美里
- 伊藤かずえ
- 荻野目洋子
- 福永恵規(おニャン子クラブ)
- 堀ちえみ
- 中山美穂
- 松田聖子
- 小泉今日子
- 今井優子
- 宮沢りえ
- 観月ありさ
- 牧瀬里穂
- 中森明菜
有名アイドルの名前が並んでいます。
この曲も小室哲哉の曲だったの?
と後で知ることも結構ありますよね。
このような小室哲哉としての楽曲提供が、
TM NETWORKの宣伝にもなったそうです。

1986年に渡辺美里さんへ楽曲提供した「My Revolution」が、
第28回日本レコード大賞金賞を受賞して大ヒット。
今でも歌番組で渡辺美里さんが歌っている姿見られるほど、
小室作品の中でも名曲と言われています。

ソロデビュー
TM NETWORKとしては1987年のシングル、
「Get Wild」がヒットをして人気バンドとなり
1988年には第39回NHK紅白歌合戦にも出場をしました。
そしてこの頃に「キララとウララ」の
大谷香奈子さんと結婚をしています。

しかし1992年に離婚、長続きはしなかったようです。
小室さんは1988年春から最新の音源に直接触れるために
ロンドンに渡り半年程をアパートで過ごしたと言います。
1989年にはシンガーソングライターとして、
ソロデビューも果たしました。
部屋に置いたCP-80で曲を作り、
製品盤のイメージが見えてきたら、
プライベートスタジオに足を運んでデモテープを作り、
レコーディングスタジオで仕上げる。
現地のミュージシャンと同じスタイルでの
制作活動を繰り返した
1991年頃松浦勝人さんと出会い、
エイベックスから企画を持ち掛けれます。

悩んだものの小室さんはavex traxとライセンス契約を結びました。
そんな小室さんに対してEPIC内では、
他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!
法的には何の問題もないが義理としてはどうか
EPICはロックのレーベルなのに、ダンスなんて軽薄だ
と議論が起こったそうです。
TMのメンバー・ソロミュージシャンとしての契約は
引き続きEPICと結びながら、
音楽プロデューサーとしてはフリーランスであるために、
個人事務所「OPERA GIG」を設立しました。
小室ファミリー
小室ブーム到来

そして小室ファミリーというものが生まれて、
小室ブームがやってきます。
出す曲ほぼヒットしていた印象があります。
観月ありさ
篠原涼子
trf
hitomi
内田有紀
H Jungle with t
dos
globe
華原朋美
安室奈美恵
そして1996年華原朋美さんとの交際発覚で、
小室哲哉さんはさらに大きな注目を浴びます。

この頃華原朋美さんとのことでの注目から仕事も増え、
仕事量の膨大さと対処も含めて限界を超えてしまいます。
そのためマネジメント業務をエイベックス子会社の
「TKルーム」に任せることにしました。
- globe、安室奈美恵、華原朋美の、
シングル、アルバムが軒並み大ヒット - この年だけでプロデュース曲の、
総売上枚数は1,500万枚以上を記録 - 1996年4月15日オリコンシングルチャートで、
プロデュース曲がトップ5を独占 - 1996年から2年連続で、
高額納税者番付において全国4位を記録 - 1997年の納税額は11億7000万円、
推定所得は約23億円
チーム体制での新しいマネジメントシステムを始めて、
小室さんはロサンゼルスへと拠点を移しました。

まさに小室ファミリーが全盛期の頃です。
大衆に迎合しすぎる
売ることばかりを考えている
このような批判も聞こえてきました。
1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、
100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWSを設立
小室ブームの波が去る

1997年前半まで小室ファミリーは、
ミリオンセラーを連発していましたが、
だんだんとその勢いはなくなっていきます。
- 小室ファミリー向け楽曲の曲調が、
ポップテイストからエレクトロへ変化 - 小室哲哉とエイベックスの関係性が急速に悪化
- その影響でglobeが一時活動停滞
- 1998年にはTRF・hitomiらのプロデュースが無くなる
- 安室奈美恵が出産のため休業
- 華原朋美との恋愛関係も終わり離脱
小室ブームが去ると共に注目されるミュージシャンが現れて、
世代交代を感じるようにもなってきました。

- MISIA
- GLAY
- L'Arc〜en〜Ciel
- SPEED
- Every Little Thingなど
そしてエイベックスと絶縁した小室哲哉さんは、
ソニーと専属プロデューサー契約を結びマネジメントも委託します。
1998年にはtohko・鈴木あみ・未来玲可をプロデュース、
しかし全盛期のような勢いは戻ってこなかった。

1999年以降は明確なサビを持たせた楽曲展開をやめ、
トランスなどを日本のJ-POPに導入しようしたが、
時代の先取りだったのか世間にはうけなかった。
またこの頃には新たなブームとなるアーティストも出てきました。
- 宇多田ヒカル
- 浜崎あゆみ
- モーニング娘
カリスマ的な存在のアーティストが出てきて、
小室哲哉の活動はglobeに絞られてしまった。
今とは違った形のプロデューサーにならなければ。
作りたいときに作れて、
鍵盤を弾けるときに弾ける作曲家に戻りたい。
と将来への不安と自分の立ち位置にも、
悩み始めたといいます。

売れなくてもいい。
売れるに越したことはないけど、
この時代にどれだけ人の心に
届くかを重視している。
2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの
専属プロデューサー契約を解除して、
前受金のうち未消化であった18億円を返還したといいます。
- 稼ぎ頭であった鈴木あみが芸能活動休止に追い込まれる。
- 安室奈美恵が小室プロデュースから離脱。
歯車が狂い始める
結婚そして借金

様々な理由で稼ぎ頭がどんどんいなくなって、
次第に追い込まれていく小室哲哉さん。
2001年5月にASAMIさんと再婚して子供が1人できますが、
2002年3月にわずか10か月で2度目の離婚しています。
その後マネジメント契約を吉本興業所属に移して、
バラエティ番組にも積極的に出演。
しかしプロデュース業の方は、
以前のようにはうまくいきませんでした。
- 富士銀行が日本の銀行として初めて、
本人所有の著作権を担保に10億円の融資を行った。 - エイベックスからもglobeの活動再開を条件に、
印税の前受金として10億円を受け取っていた。 - これらの融資金は専属プロデューサー契約解約による
前受金返還に充てていた。
この頃からエイベックスおよび富士銀行への、
借金返済に追われるようになったと思われます。

そんな中でも2002年11月には、
globeで共に活動していたKEIKOさんと3度目の結婚をします。
TBSでは豪華な結婚披露宴が特別番組で生中継され、
世間は小室さんが借金に追われているなど知りもしませんでした。
金銭トラブル
資産売却に追い込まれる

KEIKOさんと再婚をした小室さんでしたが、
前妻ASAMIさんに慰謝料を支払うことになっていました。
その約7億円の慰謝料を分割でも支払うことができず、
2004年8月頃には滞るようになったそうです。

- 所有していた別荘、株券、高級車、クルーザーなどの資産売却
- 2004年にRojam Entertainmentの全株式を5億円で売却し出資
- 経営から撤退したが、約70億円の株式評価損が生じた
- 2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納
2007年には吉本との契約が終了となります。
そして詐欺グループが中心となって
新たに設立した「イーミュージック」と契約。
夫婦で田邊昭知さんのもとを訪れ、
何でもするのでテレビに出させてほしい
と懇願したそうです。

詐欺事件

そして小室哲哉さんの金銭トラブルは、
ついに詐欺事件へと発展します。
- 2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に、
自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を、
10億円で譲渡する仮契約を関西地方在住の個人投資家男性と締結。 - 前妻のASAMIが著作権使用料を差押さえているとして、
その解除費用として5億円の先払いを要求し、
8月29日までに5億円を受け取った。 - しかし実際には仮契約段階で既に著作権の一部は、
エイベックス・エンタテインメントなどの
音楽出版社に譲渡されており小室には著作権がなかった。
この件で小室さんが返金に応じなかったため、
男性は2008年2月に小室さんに対し逸失利益を含めた、
6億円の損害賠償を求め提訴をしました。

小室さんが全額を支払うことで和解が成立したのですが、
期日であった9月末までに小室さんは支払いをせず、
地方検察庁に刑事告訴をされてしまったのです。
詐欺容疑で逮捕

検察側は小室さんが受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく、
借金返済に使っていたことを把握しており、
当初から金を詐取する目的だったと判断。

小室さんは11月21日に起訴されましたが、
同日に保釈金3000万円を支払い保釈されました。
- 保釈保証金はレコード会社のエイベックスと、
妻のKEIKOが支払った。 - 第2回公判直前の3月10日解決金を含めて6億5000万円を、
松浦勝人がポケットマネーで立て替えて被害者に完済。
2009年5月11日大阪地方裁判所より懲役3年、
執行猶予5年の有罪判決が言い渡されました。
- SNSのmixiでは2008年11月から
「小室哲哉氏の復活を願う会」
というコミュニティが457人を集めた。 - mixiのサポートを受けての
紙ベースの署名活動も行われていた。 - 小室の減刑を望む動きは、
音楽業界や音楽業界関係者からもあり、
実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた。
小室哲哉の再出発について

2010年5月、小室哲哉さんは音楽界に復帰をします。
復帰第一作としてAAAの楽曲、
「逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜」をプロデュース。
その後もレコード会社を問わずに、
超新星、SMAP、北乃きい、浜崎あゆみらへ楽曲を提供。
2011年6月13日にストリーミング配信ライヴを行った際には、
瞬間最大視聴者は2万7000人を超え、
合計視聴者数は14万4000人を記録しました。
才能ある小室さんの復帰を待っていた人が、
たくさんいたということです。
TM NETWORK4年ぶりに活動

さらには2012年3月20日、
約4年ぶりにTM NETWORKの活動を再開しました。
デビュー30周年を迎える年である2014年には、
ツアーやテレビ出演など意欲的に活動をします。
3度目の離婚、引退へ

復帰後は順調に活動をしていると思われていましたが、
2018年1月19日不倫疑惑の報道を受け記者会を開きます。
そして音楽活動からの引退を表明しました。
- 小室は会見で女性との不倫関係を否定
- 2011年にくも膜下出血で倒れた妻の
介護をする中で自身の精神の疲労 - C型肝炎や左耳の突発性難聴といった病を患って
左耳がほとんど聞こえなくなり身体的な能力が低下 - 自身の創作能力の限界を感じていた
そしてその後妻のKEIKOさんと、
離婚調停に入っていることが報じられました。
名前を出さずに制作活動再開

引退を発表した小室さんでしたが、
2019年より自身の名前を出さずに、
ミュージシャンとしての制作活動を再開しました。

2020年2月26日にはKEIKOさんとの離婚が成立、
3度目の離婚をしています。
小室哲哉は現在も音楽活動をしている

現在の小室哲哉さんはというと、
マイペースにミュージシャンと、
制作活動を続けているようです。
- ファンコミュニティー「TETSUYA KOMURO STUDIO」を開設
- アルバム「JAZZY TOKEN」をvinylで限定リリース
- ビルボードワンマンライブを開催
- TM NETWORKは6年ぶりの再起動となる、
無観客ライブ作品「How Do You Crash It?」を3回に分けて配信 - 国立研究開発法人「理化学研究所」の客員主管研究員に就任

外見がおねえっぽくなった
おじさんではなくおばさんみたい
などと最近その見た目でも話題になっていますが、
落ち着いて活動されているようですね。
ファンの方もホッとしているのではないでしょうか。
まとめ
才能ある幼少時代から、
音楽界へ大きな波を起こす人へと成長し、
そして波乱万丈な人生を送ってきた小室哲哉さん。
才能があることは世間も音楽業界も認めているので、
これからもいろんな場面で小室さんは必要とされて、
活躍されていくことでしょう。