レジェンド&バタフライの考察!タイトルの意味やラストシーンの効果とは?

レジェンド&バタフライの考察!タイトルの意味やラストシーンの効果とは?

1月27日に公開された話題作「レジェンド&バタフライ」。

ネット上に溢れている感想をもとに

タイトルの意味やラストのシーンの謎などの考察を

まとめたいと思います。

ネタバレを含みますので本作鑑賞後に記事をご覧ください

目次

「レジェンド&バタフライ」考察7つ

考察1:レジェンド&バタフライのタイトルの意味

織田信長を描いた歴史ものにもかかわず

「レジェンド&バタフライ」という英語のタイトルは

違和感があります。

このタイトルの意味は、

・レジェンド(伝説)=織田信長
・バタフライ(蝶)=帰蝶(濃姫)

を意味するそうです。

信長は伝説的な戦国武将ということで理解できます。

しかし、バタフライ=帰蝶は少しわかりにくいかもしれません。

濃姫は「帰蝶」という名前だった

劇中では綾瀬はるかさん演じる信長の妻は

濃姫(のうひめ)と呼ばれていました。

「美濃」から嫁いできた姫だから濃姫

となったそうです。

もともとは帰蝶(きちょう)という名前だったと言われています。

胡蝶(こちょう)という説もあります。

信長はあまりにも有名な人物ですが、

その妻についての情報は実はあまり残ってないそうです。

濃姫は蝶のような存在

濃姫は別名が帰蝶というだけでなく、

蝶のような女性でした。

・蝶のように優雅で気高く美しい
・蝶のように自由に羽ばたきたいと願っていた

このような理由により、

タイトルに「バタフライ」が使われたのでしょう。

野鳥狩の後に濃姫が海を見下ろすシーンがあります。

故郷に海がないから珍しいと海を眺めながら

海の向こう側の異国に行ってみたい

誰も自分を知らない地で自由に暮らしたい

というセリフが印象的でした。

バタフライエフェクトの意味も込められている?

バタフライエフェクトとは、小さな出来事が最終的に予想外の大きな出来事に繋がるといこと。

蝶の羽ばたきが原因でトルネード(竜巻)が起きた場合、

トルネードは残るが蝶の羽ばたきは消えていく

というところからきています。

この映画は「桶狭間の戦い」などの

歴史的な出来事を描くのではなく、

その裏側で起きたいたこと

を描いた作品です。

脚本家の古沢良太さんは、

「タイトルのバタフライ=バタフライエフェクト」は
完全に後付け

としていますが、

本作の内容を見ると、

とてもピッタリなタイトルであることがわかります。

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考察2:なぜ合戦を描かなかったのか

織田信長の映画ということで、

・桶狭間の戦い
・姉川の戦い
・長篠の戦い

このあたりの合戦をきちんと描いてほしかった

という意見が目立ちました。

本作は東映70周年を記念し、

総製作費20億円をかけて作られた超大作。

もっと歴史上の合戦

大迫力で描いてほしかったところです。

しかし合戦前や合戦後のシーンはあるものの、

合戦のシーンはほとんどありませんでした。

そもそも合戦を描くつもりはなかった

公式サイトのインタビューの中で

脚本家の古沢良太さんは、

誰もが知っている歴史をわざわざ描かくなくて良いと思った

と語っていました。

つまりそもそも歴史上の大戦を描くつもりはなく、

それよりも、

その大戦の裏で起きていた出来事を描きたかったのでしょう。

それ信長を支える濃姫の物語です。

濃姫をメインに描きたかったから?

濃姫については、

「信長公記」に縁組がととのい、道三の娘を尾張に迎えた

という記載があるだけ。

信長の正妻であるにもかかわらず

どんな人物だったのかほとんどわからないそうです。

しかし信長の活躍を裏で支えていたのは妻だったのでは

と言われています。

だからこそ、

この人物に焦点を当てた物語にすることで、

これまで何度も描かれてきた信長の物語を

面白いものにしようと考えたのでしょう。

実際に、

・濃姫の武術に歯が立たない若き日の信長
・濃姫に鼓舞される信長
・濃姫への想いに苦しむ信長

などのシーンは今までの信長像とは違い

興味深いものでした。

合戦を描くと濃姫の存在が薄れてしまう?

桶狭間の戦いや姉川の戦いを描いてしまうと、

その場にいない濃姫の存在は

どうしても薄れてしまいます。

そのため合戦は敢えて描かず、

・合戦へ行くように鼓舞する濃姫
・強敵に勝つ戦略を考える濃姫
・勝利し戻ってきた安堵する濃姫

などの描写をメインにしたのでしょう。

考察3:若き日の信長は必要だったのか

本作では16歳~49歳までの信長が描かれました。

キムタクが16歳を演じるのはキツかった

若い頃の信長のノリに笑ってしまった

など若き日の信長のシーンには

ネガティブな評価も集まっています。

3時間で信長の生涯を描くのは難しい
無駄な若い頃のシーンをカットして
天下布武の活躍を描いてほしかった

という声もあります。

成長過程を描く必要があった

・服装や髪型ばかり気にするチャラさ
・初夜にも関わらず濃姫に力技をかけられる
・鷹狩り勝負をするも、崖から落ちそうになり濃姫に助けられる情けなさ

このような若き日の信長の描写は不要にも思えました。

それならもっとかっこいい信長を描いてほしかった

と思うのも当然です。

しかしこのようなシーンは

信長が成長し魔王となっていく過程を楽しむために

必要なものでした。

服装や髪型を気にするチャラさ
→月日が経つにつれて気品高い服装になる→天下を目指す頃には豪華絢爛な服装に


初夜にも関わらず濃姫に力技をかけられる
→京都の小屋でようやく結ばれ愛し合う二人。初夜とは違い情熱的に求めあう

鷹狩り勝負をするも、崖から落ちそうになり濃姫に助けられる
→本能寺の変では見事な弓さばきを見せる

このような回収シーンに繋げるためにも、

伏線として必要だったと思われます。

魔王になってからが際立った

若き日の信長はシーンは

何をやってもキムタクなシーンが続きました。

しかし魔王になってからの木村拓哉さんの演技は

まさに怪演。

このギャップを感じさせるためにも、

やはり若き日の信長は必要だったのでしょう。

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考察4:血を吸った蝶の描写

https://twitter.com/lb_toei70th/status/1616676970024026112?s=20&t=_g6orsxnQr06mvK9Sw-gqQ

信長一行が戦場を歩くシーンで、

美しい蝶が死体の血を吸う描写があります。

死体のやまが続く怖ろしい場所の中で一際目立つ美しい蝶。

そしてそっと信長の肩にとまるのでした。

この蝶はおそらく濃姫を表現しているのだと思われます。

蝶=濃姫は死体の血を吸うことで

信長が背負う罪を分かち合おうとしたのではないでしょうか。

そして信長に寄り添い助けるために、

肩にとまったのでしょう。

蝶は本当に濃姫だったのかもしれない

このシーンを見た段階では

蝶は濃姫の気持のシンボル的なもの

として描かれたのだと思いました。

しかしラストの異国渡航のファンタジーシーンがあったことから、

この蝶のシーンもファンタジーのようにも感じました。

濃姫は蝶に姿を変えて、

いつも戦場の信長のそばにいたのかもしれません。

考察5:信長の運命を左右したのは濃姫だった

冷酷非道な魔王と恐れられた信長。

そんな信長に対し濃姫は、

普通に暮らす穏やかな夫婦もいる
(私たちもそうなりたかった)

と言います。

しかし信長は

京へ上り天下統一を目指せと行ったのはお前だ

と言い放ちます。

濃姫に出会ってからの信長の運命は

すべて濃姫が握っていたと言えるでしょう。

濃姫のために魔王になった

もともと信長は野心の強い男ではありませんでした。

・濃姫の父が殺され仇を討つように濃姫に言われるも躊躇する
・桶狭間の戦いはもともと負け戦だと諦めていた
・上洛要請を受けるも、これ以上敵を増やしたくないと弱腰

このように、

もともと魔王気質ではありませんでした。

それではどうして冷酷非道な魔王になったのか。

それは濃姫が天下布武を望んだからでした。

信長にとって天下布武のためには

女も子供のような殺すような魔王になる

という選択肢しかなかったのでしょう。

濃姫のために良き夫になった

そんな魔王・信長も、

いつしか人間の心を取り戻します。

その理由もまた濃姫でした。

病に寝込む濃姫を看病する信長には

もうかつての魔王の野心はありません。

しかし魔王になることで地位を保っていた信長。

人に戻った魔王は明智光秀から謀反を起こされ、

本能寺で死すことになるのです。

伝説の男の行動の全ては

一人の女性への想いによるものだった

と解釈できる面白いストーリーでした。

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考察6:現代と変わらない夫婦の形

戦国の世の中で繰り広げられる

信長と濃姫の夫婦の物語。

政略結婚からはじまり、

お互いに暗殺を企てるなど、

異世界の出来事のように思えますが、

実は現代と変わらない夫婦の形も描かれていました。

濃姫は軟弱な信長を鼓舞して天下布武を焚きつけます。

信長は妻の夢を叶えるために京へ上洛するも、

今度は、

戦ばかりで私をほったらかしにしている

と激怒されます。

信長と濃姫に共感できる部分も

これは妻の為に出世しようと頑張る現代の夫たち

にも通ずるものがあるでしょう。

夫に出世してほしいけど家庭も大事にしてほしい

という現代の妻たちにも言えることです。

このような夫婦の普遍的な形が軸にあるため、

信長と濃姫に共感しながら

物語に引き込まれていくのかもしれません。

考察7:ラストのファンタジーの必要性

本能寺にて明智光秀の軍に囲まれた信長。

誰もが知っている信長の最期です。

しかし物語は好転。

床下に隠し扉があることに気付いた信長は脱出に成功。

濃姫のもとに帰還した後、

南蛮へ行ってみたいという濃姫の夢を叶えるのでした。

史実と違うハッピーエンドなの?

実は本能寺で死んでいなかった説?

と思わせながら、

結局は夢というオチ。

この南蛮への渡航シーンは

意外と長いファンタジーシーンでした。

最後はタイタニックみたいになった

信長がジャックスパロウに見えた

などと揶揄する声も見られました。

しかしこのちょっと違和感のある

ファンタジーシーンは不可欠だったと思われます。

現実に一気に引き戻すため

ファンタジーシーンから本能寺の変へ場面が戻り、

濃姫との再会は夢だったことがわかります。

その後、

信長最期の自害シーンへ。

この現実へ戻される衝撃がすごい。

そして刀を首筋にあて自害すると、

そのままエンドロールが流れます。

潔い信長の最期をあらわすかのような

潔い映画の終わり方。

それまでファンタジーシーンを

ダラダラ見せられたため、

ここで終わりなの⁉

という衝撃がさらに大きくなります。

このラストを迎えるためには、

ファンタジーシーンは不可欠だったと思われます。

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まとめ

今回は「バタフライ&レジェンド」の考察をまとめました。

歴史上の人物を描いてはいますが、

新たな解釈を加えている本作。

いろいろな考え方をもって鑑賞すると楽しいですね。

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