レジェンド&バタフライ歴史との違いまとめ!本能寺の変の違いは明智光秀の行動?

レジェンド&バタフライ歴史との違いまとめ!本能寺の変の違いは明智光秀の行動?

「レジェンド&バタフライ」の描写に歴史との違いはあるのでしょうか。

本能寺の変や合戦、

信長や濃姫の最期など

映画と歴史の違い・同じをまとめました。

目次

「レジェンド&バタフライ」映画と歴史との違いは?

【本能寺の変】の描き方の違い

本能寺の変(1582年)は、
織田信長が羽柴秀吉(豊臣秀吉)を応援のために立ち寄った京都の本能寺で、
家臣の明智光秀に襲撃され自害した事件。

この歴史の内容は映画でも同じように描かれています。

しかし異なる点は明智光秀の動機です。

歴史の上での明智光秀の動機は?

「川角太閤記」という逸話集には

信長から徳川家康の接待役に命じられた明智光秀が、

用意した魚が腐っていたため信長から激怒された

と書かれています。

明智光秀はその接待役を解任され、

中国地方への出陣を命じられたといいます。

・接待役解任は前代未聞であったこと
・中国地方遠征は羽柴秀吉の下で働くことを意味していた

このような侮辱を受けたことがきっかけとなり

謀反を起こしたとされています。

映画での明智光秀の動機は?

冷酷非道な「魔王」である信長に憧れていた明智光秀。

しかし濃姫と復縁したことで丸くなった信長に対し、

このままでは敵から見くびられてしまいます。
家康との食事の時に自分が失敗(腐った魚を出してしまう)をするので、
思い切り激怒し、周りにアピールしてください

と根回しをします。

信長はこれに従い、

家康の前で明智光秀を激怒。

しかし目に涙を浮かべてしまったため

家康に芝居がバレてしまいます。

もうかつての魔王ではない

と見限った明智光秀は謀反を起こしたのでした。

面白い新解釈

家康に腐った魚を出し激怒される

という歴史的事実はそのままに、

その裏では信長と明智光秀の作戦があった

という新解釈。

さらにこの時、

家康が信長の弱さを見抜いた

という描き方も興味深いです。

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【長良川の戦い】の描き方の違い

長良川の戦い(1556年)は、
美濃国(岐阜県)の斎藤道三が息子の斎藤義龍から謀反を起こされた戦い。
斎藤道三が敗北し討ち死にします。

この歴史の内容は映画でも同じように描かれています。

しかし、濃姫の関わり方は新解釈と言えるでしょう。

濃姫の関わり方が新解釈

信長と濃姫は政略結婚でした。

濃姫は敵対していた織田家に

人質として嫁がされていたのです。

そのため父・斎藤道三が死亡したとの知らせを受けると

自分の人質としての役目はなくなった

と自害しようとするのですが、

信長がそれを止め、

夫婦として生きていくことを諭します。

このような描写はフィクションと言えるでしょう。

【桶狭間の戦い】の描き方の違い

桶狭間の戦い(1560年)は、
大軍を率いて尾張に侵攻した今川義元に対し、信長が本陣を奇襲するなどし
今川義元を討ち取った戦いです。

この歴史の内容は映画でも同じように描かれています。

しかしこの戦いに挑むまでの描写は新解釈のようです。

信長を鼓舞したのは濃姫だった

今川氏の侵攻が始まると、

多勢に無勢の状況に弱気の信長。

すると濃姫が信長を鼓舞し奇襲作戦を提案します。

そして、その場にいた侍従の貞家には

この作戦は信長が一人で思いついたことにするように

命じるのでした。

この戦いは信長の明暗を分ける大事な戦いでした。

その戦いの裏に妻のサポートたあったという解釈は

かなり現代的なものですね。

【西美濃侵攻】の描き方の違い

西美濃侵攻(1560年)は、
織田信長はが、濃姫の父・道三を殺した斎藤義龍が所有していた西美濃へ侵攻した事件。
しかし桶狭間の戦いの直後に侵攻をはじめるも、苦戦を強いられてしまい、
その後7年もかけて美濃を平定しました。

この事件に関しては映画でも同じ内容で描かれました。

信長は取り戻した美濃の土地を

濃姫に与えることにするのでした。

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【姉川の戦い】の描き方の違い

姉川の戦い(1570年)は、
「織田信長・徳川家康軍」対「浅井長政・朝倉義景軍」による合戦。
家臣の羽柴秀吉と明智光秀の奮闘もあり、浅井・朝倉軍に勝利しました。

この歴史の内容は映画でも同じように描かれています。

合戦のシーンはありませんが、

激戦の末に多くの犠牲者を出してしまったことが

描かれました。

【比叡山延暦寺焼き討ち】の描き方の違い

比叡山延暦寺焼き討ち(1571年)は、
織田信長は「浅井長政・朝倉義景」に味方していた比叡山延暦寺を焼討ちにします。
僧侶や女子供までも皆殺しにするよう命令しました。

この歴史の内容は映画でも同じように描かれています。

人であることを捨て、

「魔王」になった出来事として描かれていました。

【信長の最期】の描き方の違い

信長の最期は、

本能寺の変で自害したこととされています。

映画でもこのようなラストが描かれました。

しかしその前にちょっとしたファンタジーシーンがありました。

本能寺で逃げ場を失うも

地下道を見つけ脱出した後、

濃姫と再会したというものです。

このシーンに

歴史とは違うラストが描かれえるのは?

と驚いた方は多かったようです。

しかし最終的にこれは信長の夢であり、

史実通りに自害して物語は幕を閉じました。

信長脱出説がある

実は本能寺から信長の遺体が見つかっていません。

本能寺は火薬などが保管されていたため、

それが爆発してしまい遺体がわからなくなった

とも言われていますが、

本当は死んでいなかったのではないか

という説もあります。

本能寺には火薬を貯蔵するための

地下通路があり、

そこから逃げたというのです。

そして「南蛮寺」に潜伏したとされています。

映画の空想シーンでゃ

本能寺から脱出した信長と濃姫は南蛮国へ向かいます。

これは「南蛮寺」潜伏説と関係しているのでしょう。

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【濃姫の最期】の描き方の違い

信長の正妻であるにもかかわらず、

濃姫に関する記録はほんどなく、

いろいろな説が語られてきました。

亡くなった時期についても

いくつかの説があります。

映画では病により寝たきりになり、

信長が本能寺の変で自害した時に、

息を引き取ったという描かれ方でした。

濃姫の死には3つの説がある

①28歳の時にすでに亡くなっていた
②本能寺の変で信長と共に戦い戦死した
③本能寺の変以降も生存していた

映画では信長と同じタイミングで亡くなった

とされていました。

亡くなった理由は違いますが、

②の信長と戦死説を意識したのかもしれません。

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まとめ

今回は「レジェンド&バタフライ」の歴史との違いをまとめてみました。

歴史から大きく逸脱することなく、

しかしフィクションを織り交ぜるという

バランスの良いストーリーが、

本作の面白さと言えるでしょう。

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