宮沢りえ母親の昔がヤバいエピソード7選!男性の価値基準が独特?

宮沢りえ母親の昔がヤバいエピソード7選!男性の価値基準が独特?

映画やドラマで大活躍の大物女優宮沢りえ。

彼女の母親はりえママという愛称で呼ばれるほど有名なのです。

宮沢りえの母親が有名な理由として、昔の様々なエピソードが関係しているんですよ。

一体どんな過去があるのでしょうか?

今回は、そんなヤバいエピソードを7つに絞ってご紹介していきます!

目次

宮沢りえ母親の昔がヤバいエピソード7選!

1つ目:娘がいても恋愛に奔放だった

どんな男性も惚れてしまうような美人だったと当時を知る人が口を揃えて語る程、

宮沢りえさんの母親は美人で有名でした。

とても人気のあるホステスで、多くの男性を魅了していたのです。

そこで出会ったオランダ人の男性と結婚し、宮沢りえさんが産まれました。

結婚生活は長く続かず、離婚後シングルマザーとして

生計を立てるためにまたホステスとして働き始めたのです。

娘を親戚の家に預けていながら、夜は男性と飲み歩く生活をしていました。

生活の為とはいえ娘の事はお構いなしの毎日で、

恋愛に発展することもあり自由奔放な様子が伺えますね。

そしてまた、お客さんとして出会った男性と再婚するのです。

宮沢りえの母親は子供が出来ても関係なく、

1人の女性として自由な人生を歩みたかったのかも知れませんね。

2つ目:事務所を辞めさせる

宮沢りえさんは11歳でデビューし、すぐに大人気アイドルとして注目を集めました。

デビュー当初は大手事務所に所属していましたが、

なんと宮沢りえさんの母親は事務所を退所させてしまうのです。

辞めさせた理由については明記されていませんが、

すぐに個人事務所を立ち上げて母親が社長・マネージャーとして宮沢りえをプロデュースしていきました。

個人事務所のメリットとして、節税や収入アップが挙げられます。

宮沢りえの母親が事務所を退所させた理由の1つである可能性はありますよね。

また、一番娘を理解している母親であるからこその

売り出し方が出来るという考えもあったのではないしょうか?

事務所に縛られずフリーに売れていけるようにサポートしたかったのでしょう。

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3つ目:18歳の娘にふんどしカレンダー・ヌード写真集を出させる

自分の娘にふんどしカレンダーやヌード写真集を出させるなんて驚きです。

しかも母親からの提案ですから、宮沢りえも衝撃だったでしょう。

結果的には、カレンダーも写真集も大ヒットして人気に拍車をかけることとなりました。

宮沢りえさんの母親の発想は想像を超えるものではありますが、

娘をブレイクさせる為の方法としては成功していますね。

凄腕のプロデュース力ですが、理解しがたい内容ではありますね。

4つ目:宮沢りえに内緒で貴乃花との婚約解消をすすめる

人気絶頂の大物カップルが婚約解消を発表した時、世間に衝撃が走りました。

婚約解消の裏には、宮沢りえさんの母親が関わっていると言われています。

力士と結婚することで、芸能活動が制限されたり引退したりする可能性がありますよね。

女将になるのか、芸能活動を続けるのか…。

宮沢りえの母親としては、引退されると困ることが多いですよね。

個人事務所を立ち上げている訳ですから。

そこの不安により、婚約解消を進めていたのではないかと言われています。

母親としての行き過ぎた愛情が、娘の恋愛の自由さえも奪ってしまったのですね。

5つ目:中田英寿・市川海老蔵との交際も反対する

宮沢りえさんは若かりし頃の母親同様に、恋多き女性でした。

数多くの名のある男性と交際してきたのです。

婚約解消となった貴乃花だけではなく、

中田英寿や市川海老蔵との交際にも母親が絡んでいました。

娘の恋愛に口を出し、条件を満たす男性ではないと判断した場合には破局させる…。

娘の結婚相手は相当な大物ではないとダメ!という考えにより、

宮沢りえさんは自由に恋愛することすら出来なかったのです。

過干渉であることから、

一般的な普通の恋愛ができなくなっていました。

6つ目:大物を次々と不倫させ摂食障害や自死未遂に追い込む

宮沢りえさんの母親は、ビートたけしさんや中村勘三郎さん(当時中村勘九郎)などに

不倫や枕営業を強要していたと報じられています。

大物とのスキャンダルにより、

更に注目させることが目的だったのではないかと予想されました。

しかし、そんな行き過ぎた行動により

宮沢りえさんは摂食障害や自殺未遂をするほど追い込まれてしまいました。

話題にはなりますが、その代償として世間からのバッシング・精神的ストレスなどが考えられます。

自分の意思ではないにも関わらず、

無理やり強要させられる恋愛はつらかったのではないでしょうか。

当時の宮沢りえのメンタルはボロボロだったでしょう。

娘を売り出すためならなんでもするという母親の考えが恐ろしくもあります。

7つ目:癌にも無治療で望む

宮沢りえさんの母親は65歳で肝腫瘍で亡くなっています。

本人が無治療を希望し、自宅療養をしていました。

手術や薬物治療をしないとなると相当辛かったと思います。

延命はせず、最期まで自分らしく生きたいという気持ちがあったのかも知れませんね。

色々と思う事はあったでしょうが、最終的には母親の想いや考えが伝わったのではないかと思います。

そうでなければ、母親を付きっ切りで看病することなんて出来ないですよね。

親子の絆は計り知れないほど強いものだと言えます。

宮沢りえさんが付きっ切りで看病し、

息を引き取るその時まで一緒に過ごすことが出来ました。

最愛の娘と最期の時を過ごせて幸せだったでしょう。

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宮沢りえと母親との関係性は?

宮沢りえと母親の関係性は良好だったと言えるでしょう。

年頃の娘をヌードにさせたり、

大物達との枕営業を強要したりと度が過ぎる行動はありましたが、全ては娘の為だったのです。

当時の宮沢りえは精神的に病んでしまうことがありましたが、

そこを乗り越えた結果今があるといっても過言ではありません。

宮沢りえは母親のことを悪く言うことはなかった?

宮沢りえさんは母親を悪くいう事はありませんでした。

むしろ感謝しているようです。

ここまで芸能界で活躍出来る女優になれたのは、母親のおかげでもあるからでしょう。

傍から見たら毒親とも言えるような行動・言動の数々ですが、

大きな愛情を感じていたのではないでしょうか。

お互いのことを大切に想い合っていたのではないでしょうか。

りえママとは一卵性母子といわれるほど共依存状態だった

宮沢りえさんと母親の関係は、一卵性母子と言われることがあります。

この言葉は、母親と娘の共依存関係を表しています。

宮沢親子にぴったりの言葉ですよね。

仕事だけではなく、プライベートまでコントロールしてくるようです。

しかし、宮沢りえさん自身はそれに反抗することなく母親の意思を尊重していたのです。

まさに共依存状態ですよね。

母親の執着に存在価値を見出し、それに答えようとしている感じがします。

自分のことよりも、母親の事を第一に考えていたように思えます。

りえママと宮沢りえの恋愛遍歴は似ている?

宮沢りえさんと母親の恋愛遍歴は似ています。

2人とも恋多き女と言えるでしょう。

りえママはホステスをしており、多くの男性と関係を持っていました。

2度結婚していますが、相手はどちらもホステス時代に出会った男性です。

人気だったとのことですから、相当モテたと思います。

宮沢りえもまた同じように、多くの男性との交際歴があります。

俳優や歌手、スポーツ選手など歴代の彼氏はほとんど有名な人ばかりです。

それでも母親のお眼鏡に叶う男性はおらず、破局を余儀なくされました。

一度母親の反対を押し切って実業家と結婚しましたが、離婚しています。

現在は、元V6の森田剛さんと結婚してようやく落ち着いたという感じがしますね。

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まとめ

宮沢りえさんの母親のヤバいエピソードや、2人の関係性についてまとめていきました。

衝撃のエピソードばかりで驚きましたね。

全て娘の為であるとはいえ、毒親と言われても仕方のない行動が多くありました。

結果的には大成功していて、

今も芸能界で活躍出来ているのは母親のおかげかもしれません。

一卵性母子と言われる程、

お互い依存し合っていたのがエピソードから伝わってきます。

それでも2人の関係性は良好で母親に感謝までしているのは、

過干渉の裏に大きな愛情があったからではないでしょうか?

様々な経験が宮沢りえさんをここまで成長させてくれたのでしょう。

今後の活躍も楽しみです!

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