美貌をキープし続け、さまざまな場で活躍されている宮沢りえさん。
壮絶な生い立ちから人気絶頂期、また結婚や離婚、現在の生活まで調べました。
このページでは、宮沢りえさんの経歴やプロフィールをご紹介していきます。
宮沢りえのプロフィール・経歴!

本名:宮沢りえ(みやざわ りえ)
生年月日:1973年4月6日
年齢:49歳(2023年3月現在)
出身地:東京都練馬区
血液型:B型
身長:167cm
趣味:読書
特技:ものまね
事務所:MOSS
オランダ人父と日本人母の長女として東京都練馬区に生まれる

宮沢りえさんはオランダ人の父親と日本人の母親をもつハーフです。
オランダ人船員だった父親と、その船に乗った母親との運命的な恋の末、
2人の長女として産まれます。
しかし、産まれた直後から小学4年生頃まで伯母一家の下で育ちました。
宮沢りえの出身小学校は練馬区立大泉緑小学校

小学生になると、伯母の家がある地域の、練馬区立大泉学園緑小学校に入学します。
幼少期はショートカットで、男の子と間違えられるほど活発だった宮沢りえさん。
母親と離れて暮らした幼少期は暗いものではなく、
伯母一家の中でたくさんの愛情を受け育った、幸せな時代だったといいます。
その後、母親とオランダ人の父親とは離婚。
母親は勤務先のクラブで出会った小沢典仁さん(ピアニスト)と再婚します。
しかしその結婚生活は、母親の男遊びが原因で離婚に至ります。
仕事で忙しい母親と義父との生活は、宮沢りえさんにとって寂しいものでした。
宮沢りえの出身中学校は練馬区立大泉学園中学校

小学校卒業後は、練馬区立大泉学園中学校に進学します。
卒業生には黒田治さん(ナレーター)、梅田智子さん(役者)、玉森裕太さん(歌手)がいます。
宮沢りえは11歳の頃にモデルでデビュー

近所でも評判の美少女だった宮沢りえさんは、
11歳でモデルデビューを果たし、
雑誌『セブンティーン』の表紙を飾ります。
その後、美少女芸能人の登竜門でもある『三井リノハウス』のCMで注目を集め、
トップアイドルの道を歩み始めます。
宮沢りえの若いころは人気過ぎて誰も敵わない!

アイドル全盛期の宮沢りえさんは、とにかくかわいい!敵なしと言っても過言ではありませんでした。
当時のことをご本人は
この時は、心も体も弾けていたなぁ。
と語っています。
人気絶頂の3M(観月ありさ・宮沢りえ・牧瀬里穂)

90年代、3Mといえば人気絶頂の美少女
「観月ありさ」「宮沢りえ」「牧瀬里穂」の3人をしめす言葉でした。
男性でいう御三家(西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫)や、
新御三家(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)の女版のような存在です。
芸能界の仲良しは後藤久美子

宮沢りえさんと後藤久美子さんは1985年にキットカットのCMで共演。
以来、よきライバルであり、理解しあえる関係が続いているそうです。
一緒に旅行をしたこともあるとか。
宮沢りえの母が毒親と呼ばれる理由

宮沢りえさんの母親「宮沢光子」さんは、母親としての自由奔放さに加え、
娘をわが物のようにプロデュース。
ふんどしカレンダーや、ヌード写真集、さらには大物芸能人との枕営業を強要させるなど、
そのワンマンっぷりはエスカレートします。

また、
一流の男性と付き合ってこそ、一流の女になれる
という光子さんの固執が、
宮沢りえさんの恋愛の自由をも奪い、
自死未遂や拒食症にまで追い込んだと言われています。
2014年に母、光子さんは他界されています。
宮沢りえの歴代彼氏・夫
1人目:貴乃花(1992年~1993年)

92年10月、貴乃花との婚約を発表しました。
当時国民的な人気を誇っていた2人の婚約は『世紀のカップル誕生』と話題になります。
しかし、2ヵ月後の93年1月には婚約解消を発表。
「人生最高のパートナーになれなかった」というコメントの背景には、
当人同士だけではない、さまざまな問題や確執があったようです。
2人目:中津ひろゆき(2009年~2016年)

2009年2月、宮沢りえさんは妊娠6ヵ月であることを発表しました。
相手の中津ひろゆきさんは、ハワイ在住の元プロサーファーで実業家です。
宮沢りえさんは母親の反対を押し切り、結婚・出産をします。
2016年3月には協議離婚を終え、離婚。
自分の意思で貫いた結婚もうまくはいきませんでした。
3人目:森田剛(2018年~)

2014年に母、光子さんは他界。
その後2018年3月に、元Ⅴ6の森田剛さんとの再婚を発表しました。
2016年の舞台「ビニールの城」で共演した二人は強く惹かれ合い、
無くてはならない存在となったそうです。
年頃の娘をもつ宮沢りえさんにとって、
結婚の決め手となったのは、娘が「剛くん」から「パパ」と呼ぶようになったことだそうです。
結婚から数年経つ現在も、お二人のラブラブっぷりは有名です。
宮沢りえの現在の活動
女優やナレーションで活躍中

体調が回復した2002年頃からは、女優としての活動を本格化。
さまざまな賞を受賞し、本格派女優として評価されています。
7年ぶりに映画主演した「紙の月」では、
日本人女優として11年ぶりの快挙となった『東京国際映画祭・最優秀女優賞』を受賞しました。
またウィスパーボイスを武器にナレーションの仕事もしています。
宮沢りえは個人事務所の活動もしている

夫である森田剛さんと『MOSS』という新事務所を設立し、
芸能活動をしながら代表取締役を担っています。
これからもお二人で支え合っていかれることでしょう。
まとめ
今回は宮沢りえさんの、壮絶な生い立ちと恋愛歴、そして現在の生活について調査しました。
その奥深い美しさは、人生の歩みでの経験と、現在の幸せな生活から溢れ出ていることが分かりました。
これからも宮沢りえさんのご活躍から目が離せませんね。