1985年に来日し、宗男氏の秘書を務めたムルアカさん。
209cmの長身で、永田町では知らぬ人がいない「名物秘書」でした。
ムルアカさんはザイール(現コンゴ民主共和国)出身で、
タレント出身でマルチに活動されていました。
現在も日本の大学に勤務していました。
ムルアカの経歴・プロフィール!
コンゴ民主共和国出身10人兄弟の長男

氏名:ムウェテ・ムルアカ
生年月日:1961年06月21日(現在62歳)
出身:コンゴ民主共和国(旧ザイール)
ムルアカさんはコンゴ民主共和国(旧ザイール)出身です。
コンゴ民主共和国は、中部アフリカに位置する共和制国家ですね。
コンゴの首都キンサシャ市に10人兄弟の長男として生まれ、
小さい頃から体が大きく5歳から空手を習い、14歳でプロ格闘家としてデビューしたと明かしていた。
ムルアカの学歴

1981年にムルアカさんは国立イナザ・イスタ大学電子通信工学科を卒業されています。
そして、就職はザイール国営放送。
日本でいうNHK的な機関なのでしょうね。
電子通信工学科の出身なので技術職だったのではないでしょうか。
1985年に日本に来日し東京電機大電子工学科へ入学

ムルアカさんは24歳の頃に日本へ来日されています。
学者を目指し1993年、東京電機大電子工学科を卒業後、99年工学博士号を取得されています。
どのような経緯で来日されることになったかは不明ですが、
その後東京医科歯科大で生体工学の研究をされています。
他にもムルアカさんは様々な文化的活動や研究をなさっています。
- 科学技術庁放射線医学総合研究所研究員
- I.S.Cキンシャサ大学客員教授
- 駒沢女子大講師
- 白鴎大講師
- コンゴ民主共和国通商代表機関の代表を経験
- 日本財団アフリカ スペシャルアドバイザー
- 加計学園、岡山理科大、倉敷美術大 参与
- 神奈川工科大学 特任教授
- 千葉科学大学 教授
これだけマルチに活躍されていた外国人は当時日本では珍しかったでしょうね!
現在も日本の大学に勤務しているというのですから驚きです。
タレント時代でボビーと活躍

2006年にはボビー・オロゴンと暴行騒動が発生し、格闘技のリングで決戦かとも騒がれました。
実際のところはボビーを取り押さえたという良いことをしただけだったのですが・・・
なぜか和解会見を開いています。
ボビーとは、アフリカコンビで
アフリカではよくあること
で会見ではボビーの味方にもなり視聴者を笑わせてくれました。
同時に学識者としてもテレビにも国際政治学者として出演されています。
吉本興業に所属しながら鈴木宗男氏の秘書を務める

1985年に来日し、タレントとして活動した後、鈴木氏の私設秘書を務めていました。
田中眞紀子外相のライバルとして鈴木宗男氏が注目されると、その名物秘書としてムルアカさんも有名に。
腰低く宗男氏に尽くす姿が印象に残り、
ムルアカを探せば鈴木宗男氏の場所がわかる
と鈴木氏の周りにも愛されました。
なんとムルアカさんはご自身のお子さんにも「ムネオ」と名付けたようです。
鈴木宗男からも絶大な信頼を得ていた

作家の佐藤優さんは、ムルアカ氏のことをこう語ります。

鈴木先生が大変な時、ムルアカ君自身も外務省から嘘話、デタラメな情報を流され、バッシングに遭いましたが、
鈴木先生を裏切らなかった同志の一人でした
また、同じ北海道で活動をしている松山千春さんもムルアカさんと
仲の良い一人だったといいます。
飛行機の中で急死

2023年の8月30日に
羽田空港からトルコ・イスタンブールに向かうトルコ航空の機内でムルアカさんは亡くなってしまいました。
3日前まで鈴木宗男さんの事務所で皆さん会っていただけにショックを隠せないでいました。
ムルアカさんは搭乗から数時間後に体調が急変し、
同乗していた医師の治療を受けたが心肺停止が確認されたようです。
詳しい死因などは明らかになっていないのですが、
ムルアカさんは心臓の持病のため、ペースメーカーを装着していたため
心筋麻痺になってしまった可能性が高いですね。
まとめ
コンゴ民主共和国から来たムルアカさん。
コンゴで電気技術の大学を卒業され、日本でも知識を極めて客員教授やコメンテーターとして
マルチに活躍されていました。
鈴木宗男さんの秘書として、周りの信用を得ながら従事されていましたが
8月30日の飛行機の中で亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。