2022年8月30日に活動復帰の意向を示した中森明菜さん。
そんな中森明菜さんはどんな学歴・経歴なのでしょうか。
生い立ちや家族との関係、
出身校や、芸能界デビューまで調べました。
『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE -情熱-』など数多くのヒット曲で知られる
昭和を代表するアイドルです。

中森明菜の経歴・プロフィール

本名:中森明菜
生年月日:1965年7月13日
年齢:57歳(2022年8月現在)
出身地:東京都大田区
血液型:A型
身長:160cm
趣味:料理 ボクシング観戦
特技:クラシックバレエ
家族:独身
事務所:HZ VILLAGE
東京都大田区大森で生まれ

中森明菜さんは、東京都大田区大森で生まれました。
中森家の家族構成はお父様お母様と6人兄弟・姉妹。
2男4女の5番目、三女が中森明菜さんです。
中森明菜さんが生まれた後、中森家は
「緑が多く環境が良い所で子供たちを育てたい」
と東京都清瀬市に引っ越します。
8人家族の中森家の暮らしは、
経済的に苦しかったそうです。
また体が弱かった中森明菜さんは、
小学校を休んでしまうこともよくあったそうです。

しかし、4歳から始めたバレエ教室は、
14歳まで休まず通い続けました。
子供の頃から歌手を目指していた

そんな中森明菜さん、
子供の頃から歌手になることを夢見ていました。
それはお母様の影響が大きかったといいます。
もともと歌手志望だったというお母様。
お母さんっ子だった中森明菜さんは、
お母さんを喜ばせたい
という一心で歌手を目指したと後に語っています。
実は中森明菜さんは子供が大好きで、
保母さんになりたかったそうです。
中学校は清瀬市立清瀬中学校

中森明菜さんの出身中学校は清瀬市立清瀬中学校です。
体育と音楽の授業が得意だったといいます。
部活動は演劇部に所属。
中学校2年生まではバレエも続けていました。
中森明菜さんは中学時代に、
オーディション番組「スター誕生!」に2度応募しています。
しかし2回とも結果は不合格でした。
高校は大東学園高学に入学

中学校を卒業した中森明菜さんは、
東京にある私立共学校の大東学園高学に入学しました。
学校側が芸能活動を容認していたころもあり、
当時の歌手・モデルが通う高校としても知られていました。
高校1年生の時に、
『スター誕生!』に3度目の応募をした中森明菜さん。
決勝戦で山口百恵さんの「夢先案内人」を歌い、
最高得点の392点を獲得し合格しました。
明治大学付属中野高等学校へ転入、中退

『スター誕生!』に合格し芸能界入りを果たした中森明菜さん。
芸能活動を円滑に行うために、
明治大学付属中野高等学校へ転入します。
芸能活動が認められている高校で、
アクセスの良さもあることから、多くの芸能人が通っていました。
- 西城秀樹
- 野々村真
- 保阪尚希
- 近藤真彦
- 布川敏和
- 本木雅弘
- 薬丸裕英
- 東山紀之
- 三田寛子
- 松居直美
- 観月ありさ
しかし中森明菜さんは、芸能活動が忙しかったためか、
明治大学付属中野高等学校を中退しています。
16歳で『スター誕生!』に合格し芸能界デビュー
『スローモーション』で歌手デビュー

16歳で『スター誕生!』に合格した中森明菜さん。
レコード会社、芸能プロダクション11社からスカウトされます。
その中から研音に所属することを決めます。
研音は当時それほど大きな芸能事務所ではありませんでした。
しかし、中森明菜さんの活躍により大手芸能事務所になったといいます。
「明菜のおかげで研音はビルが立った」
というエピソードもあるほどです。
中森明菜さんは同時に
ワーナー・パイオニアとのレコード契約もしています。
1982年、16歳の時に、
『スローモーション』で歌手デビューをします。
花の82年組

中森明菜さんがデビューした1982年は、
多くのアイドルがデビューした年として有名です。
いわゆる「花の82年組」にはこのような方々がいます。
- 小泉今日子
- 松本伊代
- 三田寛子
- 早見優
- 堀ちえみ
- 石川秀
- シブがき隊
今も芸能界の第一線で活躍している方々です。
他にも大勢のアイドルがデビューした年でした。
中森明菜さんはこの「花の82年組」の中でも、
特に際立つ存在でした。
『少女A』で大ブレイク

デビュー曲に続き、同年にセカンドシングル『少女A』がリリースされます。
中森明菜さん17歳の時です。
この曲はオリコン週間シングルランキング最高位5位を記録。
ブレイクのきっかけとなった曲でした。
デビュー曲の『スローモーション』は、
アイドル路線の「かわいい系」の曲だったのに対し、
『少女A』では不良っぽさを感じる曲。
この不良っぽい雰囲気が大人気となったのです。
さらに中森明菜さんの魅力は、
ただ不良っぽいだけではありません。
バラエティー番組や歌番組のトークの部分では、
とても可愛らしく話す姿もありました。
しかし、歌い始めると一気にクールな表情に。
このギャップが中森明菜さんならではの魅力でした。
松田聖子と人気を二分するアイドルに

中森明菜さんがデビューした頃は、
1980年にデビューした松田聖子さんの絶頂期でもありました。
2年遅れてデビューした中森明菜さんは、
松田聖子さんと人気を二分するアイドルになっていきます。
正統派アイドルの松田聖子さんとは違うタイプというところも、
中森明菜さんが人気を集めた理由でした。
- 『北ウイング』
- 『飾りじゃないのよ涙は』
- 『ミ・アモーレ〔Meu amor e…〕』
- 『DESIRE -情熱-』
など多くのヒット曲を飛ばしていきした。
- 1985年から2年連続で日本レコード大賞を受賞
- NHK紅白歌合戦に8回出場
このような快挙も成し遂げています。
唯一無二の独特の世界観を持つ中森明菜さん。
さらに抜群の歌唱力と魅力的な声質。
アイドルの枠を超えた一流アーティストとしての地位を確立しました。

家族とは絶縁状態

デビューから4年ほどで頂点を極めた中森明菜さん。
年収は数億円とも言われていました。
貧しかった子供時代には考えられなかった膨大なお金を稼ぐようになったのです。
しかしこれが一因となり、
家族との間に亀裂が入ってしまいます。
当時、中森明菜さんのご実家は中華料理店を営んでいました。
そのお店に中森明菜さんの所属事務所が援助を行っていたそうです。
「家族が自分のお金を使いこんでいる」
と疑心暗鬼になったという中森明菜さん。
さらに1995年に最愛のお母様が闘病生活の末に亡くなってしまいます。
中森明菜さんは亡くなる前日に病院を訪れたといいます。
そして、その日を最後に家族とは一切会っていないというのです。
現在も中森家との絶縁状態は続いているそうです。
2010年帯状疱疹で芸能活動を無期限休止

さらに、2010年に帯状疱疹を発症してしまった中森明菜さん。
芸能活動を休止することになります。
2014年には症状がおさまったことから活動を再開。
NHK紅白歌合戦にゲスト出演して話題となりました。
しかし、3年後に再発。
精神的な疲労もあり、
自宅からほとんど出ないような日々が続いたといいます。
2016年と2017年にディナーショーだけは行っていますが、
それ以外に目立った活動はしていません。
中森明菜の現在は?
2022年活動復帰に向けて動き出している

2022年5月1日にデビュー40周年を迎えた中森明菜さん。
7月にNHKで放送された『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』
が高視聴率を叩き出したことが話題となりました。
昭和レトロブームで昭和歌謡曲が注目される中、
中森明菜さんに憧れる若い層が増えているといいます。
そんな中、2022年8月30日、公式Twitterアカウントを開設。
こちらがその公式アカウントです。
「ゆっくり歩き出していきたい」
という意向を表明しています。
再始動の備えて、
- 個人事務所を設立
- 新しい公式サイトの開設
も発表しています。
この中森明菜さんの本格復帰に向けての動きには、
業界も大注目しています。
年末の紅白歌合戦での復帰も期待されているといいます。
まとめ
いかがでしたか?
一世を風靡した唯一無二のアイドルだった中森明菜さん。
待望の再始動ということで大きな話題となっています。
元気な姿と素晴らしい歌声に期待したいと思います。