乳がんを公表する芸能人が増えてきましたが、
その症状や再発など予後も様々です。
今回は乳がんを公表した芸能人の、
症状や治療法について、
画像と共にまとめてみました。
乳がんを公表した芸能人10人!
1人目:北斗晶
兆候があったが放置していた

北斗晶さんは2015年9月に、
乳がんのため右胸全摘手術を受けています。
- 毎年乳癌検査と婦人科検診は受けていた。
- がんが発覚した時は、既に約直径2㎝大の大きさ。
- うつ伏せになって床に転がった時、右胸にチクッとする痛み。
- 身内にがんの人がおらず、安心していた。
- 婚20周年や次男の小学校卒業を記念した旅行で忙しく、放置していた。
- 旅行で水着に着替える時に、鏡に映った裸をみて、
「乳頭がセンターにない様に見え、引きつってる様な感じ」と違和感。 - よく見て触ってもしこりの感触はなく、年齢によるたるみなんだと思った。
- やがて右胸にチリチリする痛みを感じる気がする。
- 知り合いの医師に診断してもらい、がんが発覚。
ちくっとした痛みを感じた時は冬で、
医師に診断してもらった頃は季節は夏になっていました。
遺伝と聞いていたので、
自分はならないという気持ちがあった。
告知された瞬間は他人事のような感覚だったそうです。
がんは進行していた

がんのことは自分の元気なキャラクターもあり、
公表せずに手術をしようと考えていたようですが、
北斗さんのがんは想像以上に進行していて、
仕事への影響も考えると公表することになりました。

全摘手術を終えてから2016年8月まで、
北斗さんは抗がん剤の治療を続けていました。
そして放射線治療と、
薬で女性ホルモンを抑える治療もしています。

抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けた時には、
坊主頭の姿もブログで公表しました。
芸能人や影響力がある方が、
このような姿を公表してくれることは、
同じがん患者の人に勇気を与えたのではないでしょうか。
昔は太くて硬かった髪が抜けて生え変わったら、
全く違う髪質になってしまったそうです。
がん患者との交流

闘病中には北斗さんは、
患者会にも参加していたといいます。
がん患者同士にしか分かり合えない気持ちを、
みんなで話し合って励まされたそうです。

脇のリンパにも転移してしていたので、
脇の腫瘍も取る手術を受けて、
がん公表から1年2カ月ぶりにテレビ復帰を果たしています。
2人目:生稲晃子
健康診断を受けそびれていた

生稲晃子さんは2011年に乳がんが見つかりました。
この頃は生稲さんは仕事に育児に、
お店の経営もあってとても忙しかったそうです。
- 自治体の無料検診を受けそびれていた。
- 知人の医師の勧めで人間ドックを受ける。
- 再検査の通知を受ける。
- 腫瘍に針を刺す細胞診を受ける。
- 3月末に主治医からがんの告知をされる。
子育てや仕事をしながら、
公表せずに闘病生活を送ることになります。
生稲さんが告知を受けた時の気持ちは、
死んでしまうのでは?
と最悪の状態に近いイメージが浮かんで、
ショックだったと言います。

「ちい散歩」の通信販売のコーナーに、
当時レギュラー出演していたので、
健康番組に出演しているのに、
がんを公表すると内容にそぐわない。
と思ったようです。
2011年5月にしこりを中心に、
周囲の組織を取る温存手術を受けました。
5歳の子どもへ伝えるべきか

公表しないままの手術と治療だったので、
嘘をついて仕事をしている。
という気持ちがあって精神的にきつかったそうです。
また当時生稲さんの娘は5歳でした。
まだ幼い娘にがんのことを話すか考えましたが、
がんが発覚したころの生稲さんは、
この子には言ったほうがいい、理解してくれるかな。
と感じて伝えたそうです。

その娘さんも現在こんなに大きくなりました。
当時を振り返って生稲晃子さんの夫は、
自分も一緒にうろたえたら病気には勝てない。
平常心、平常心と思ってきた。
とあえて特別ではなく普通にいつも通りで
過ごしていたようですね。
繰り返す再発

採取した細胞を詳しく検査したところ、
生稲さんのがんは転移を起こす、
浸潤性のがんであることが判明しました。
手術後は放射線治療をして、
ホルモン剤を飲むことを続けていました。

治療を続けていたある日、
胸にニキビのようなものを発見します。
調べてみたら悪性の腫瘍で再発でした。
2度目の手術は腫瘍も小さいので、
部分麻酔で体への負担は少なく日帰りだったようです。

再びホルモン剤を飲み定期的に検診を続けてましたが、
2013年秋に再再発をします。
この時はさすがにショックも大きかったようです。
ママ、死んじゃうかもしれない。
そんな弱音を娘に吐いたところ、
そういうことは二度と言わないでほしい。
と娘さんが強い言葉をくれました。
そのおかげで前向きな気持ちに、
切り替えることができたようです。

3度目の部分切除をしたあとに悪性であったため、
確実に命を守るために全摘手術を受けました。
再建手術もいれると5回の手術を、
乗り越えてこられたことになります。

3人目:だいたひかる
不妊治療中にがんが発覚

だいたひかるさんは2016年に乳がんになり、
右乳房を全摘したことを公表しています。
- ほんとは胚の移植日だったが不正出血があり、移植が延期に。
- 家に乳がん検診のクーポンが来ているのを思い出して、検診でも行ってみようかと思った。
- 目の前に人生のゴールが見えて、不妊治療している場合じゃなかった。
- 医師から全摘をすすめられて、夫も同意見だったため全摘を決心。
詳しい検査の結果は、
ステージ2Bの乳がんだったそうです。
正直なところ人生終わったなと思いました……。
乳ガンが分かった時に、子供が欲しかったから…
あと10年後にガンになりたかったと、思っていた。
乳がんが判明した時のだいたさんの心境です。
乳がん治療に専念するため、
不妊治療をいったんお休みすることになりました。
がんの再発

しかし2019年3月に、
乳がんが再発してしまいます。
全摘した方の右胸にまたしこりが見つかり切除、
全摘して再発をする人は稀だそうです。

その後も再発防止のために、
定期的に放射線治療を受けていましたが、
夫の幼少期の写真を見る度に、この人の子どもを産みたい、という思いが強まっていった。
2020年10月に放射線治療をストップして、
不妊治療を再開させます。
不妊治療を再開

命をかけてでもやってみたい。
とだいたひかるさんが40歳のときに凍結した、
受精卵を胎内に戻す決意を固めました。
その後だいたさんは念願だった妊娠をして、
男の子を無事に出産しています。
骨頭壊死

さらに2020年には骨頭壊死と診断された事を公表しています。
- 朝起きた時に一歩が踏み出しにくい。
- ハズレないとは思うけれど脚が外れそうな感じ。
- だんだんと痛みを感じるようになった。
レントゲン撮影とMRI検査の結果、
骨頭壊死であることが分かりました。
だいたさんは最初がんが転移したのかと
思ったそうです。
骨頭壊死とは、病気やケガのために骨に血液が十分に流れなくなると、骨の細胞が死に、骨が衰えていく。
骨が衰えていくにつれて、周囲の軟骨が劣化するようになり、痛みやその他の症状が発生。

だいたさんは2029年までがんの治療し続ける予定で、
注射は50歳まで続けることになりそうです。
息子さんがだいたひかるさんに似て、
とってもかわいいですね。
4人目:南果歩
夫の入院の付き添い時に発覚

南果歩さんは2016年に乳がんがわかり手術を受けています。
- 夫で俳優の渡辺謙に人間ドッグを勧めた。
- 夫の渡辺謙さんに早期の胃がんが見つかって手術。
- 夫が入院中、病院で寝泊まりする合間に、南さんも人間ドックを受けた。
- そこでステージ1の乳がんと診断。
- その後手術を受けた。
乳がんが分かった時、
まさか、私が。
とう言う気持ちになった南さん。
手術後は2ヶ月で仕事復帰しましたが、
元気になりたい思いだけが先走ってしまい、
身体は追い付かず悲鳴をあげていたそうです。
転移はなく現在までに再発もしていません。
民間療法へ変えて批判

南さんはある時から抗がん治療をやめています。
薬を飲むホルモン剤治療もストップしています。
標準治療をやめて、
民間治療へ切り替えたということですね。
このことを公表したところ、
南さんは批判されることになってしまいました。

抗がん剤を止めたことについては、
南さんの個人的な決断になります。
別に現代治療を否定しているわけではなく、
お手本にならずとも、一つの見本になったらいい。
という気持ちで公表したそうです。
なぜ民間療法へ?

民間療法にこだわったことで亡くなったのでは?
と言われている小林麻央さんのこともあって、
南果歩さんが抗がん剤治療をやめたことが、
世間でたたかれてしまったようです。

- 100から160まで血圧があがった。
- 循環機能診療を受けて、降圧剤を処方される。
- 薬で上がった血圧を薬で抑えることに疑問を感じる。
- 主治医と話しあい勉強もした。
- セカンドオピニオン、サードオピニオンも受けた。
治療方針は本人が責任を持って決めることなので、
セカンドオピニオンを受けたり時間をかけました。
その結果最終的に南さんが決めたことです。
- 南果歩さんが実行した民間療法は、生活レベルできるもの。
- サプリメントを飲む。
- がん細胞は低体温下で繁殖しやすいので、
代謝を上げて冷え性を治すよう努めている。 - ン細胞が糖質を好むため炭水化物を控えている。
- 放射線治療での変色や乾燥に、エミュー鳥のオイルを使用。
5人目:麻木久仁子
人間ドックで初期乳がん

麻木久仁子さんは2012年に乳がんの手術を受けています。
- 2010年暮れに軽い脳梗塞を発症
- 健康に気をつけていて、50歳を迎えるのを機に人間ドックを受ける。
- 左右両側に乳がんが見つかる。
- 早期発見のため、自覚症状特になし。
ステージ0で早期発見だったこともあり、
部分切除と放射線治療、
ホルモン治療をして落ち着きました。
もしも発見が遅れていたら、
浸潤性乳がんとなっていた可能性もあったそうです。

娘から力をもらう

麻木さんが娘さんに乳がんのことを打ち明けた時、
娘さんの目からは溢れるように涙がこぼれたそうです。
頑張らなくては。この子を無事に社会に出すまで、弱音など吐いてはいられない。
という強い気持ちになったと言います。
娘さんの存在は大きいですね。
薬膳と資格

麻木さんはますます食事に気を付けるようになり、
なかでも「薬膳」に興味を持ったようです。
- 国際薬膳師
- 国際中医師
- 温活指導士
- 登録販売者
このように多くの資格を取得して、
体を温めて免疫力を高めるという考えや食事を、
提案して多方面で活動中です。
薬膳とは、中国の伝統医学の考えに基づいた食事のことです。その日の体調に合わせて食材を取り入れることで、体の不調を整える効果があります。
6人目:矢方美紀(元SKE)
AYA世代の乳がん

元SKEの矢方美紀さんが、
乳がんと診断されたのは2018年の25歳のときでした。
矢方さんのように若いうちにがんになることを、
「AYA(Adolescent and Young Adult)世代のがん」
と言われています。
AYA=思春期および若年成人の世代
AYA世代のがんはそもそも人数が少なくて、
情報やデータも少なめです。

そんなこともあって、
矢方さんも不安に押し潰されそうになったそうです。
だからこそ自分の体験が少しでも誰かの参考になればと、
自分のがんについて積極的に話すようになったようです。
小林麻央の乳がん報道がきっかけ

- 小林麻央さんのがん報道を見て、
自分でがんのセルフチェックをしてみた。 - 指先石のような硬い何かを感じた。
- それがしこりだとわかった。
- 「まさか自分が?」と思った。
- それでも不安になって周りに相談してみた。
- 「病院にいくべき」と言われて決心する。
- 詳しい検査の結果、ステージ3Aと診断された。
初期の乳がんなら治る……がんを手術で取ればいい。
そう思っていたけれど思ったより進行していて、
ステージ3Åとの診断に、
死んじゃうのかな?
と思ったこともあったようです。

ステージ3Aの乳がんでは、
乳房を全摘出することになります。
片方の胸を失っても生きていく上で困ることはないし、
私がこれから挑戦したいことは胸がなくてもできる。
そういう思いから再建はしないと決めたそうです。
治療をしながら夢も追いかける

手術後は抗がん剤治療をして、
ホルモン療法を継続しています。
仕事に迷惑がかからないように、
抗がん剤をうつ日を確認しつつ、
スケジュールをたてていたようです。

乳がんをきっかけに自分の人生を、
力一杯に生きると決心した矢方美紀さん。
その強さが同じように若くしてがんになった人に、
少しでも伝わるといいですね。

7人目:さくらももこ
周りに知らせず仕事をしていた

さくらももこさんは2018年に、
乳がんで53歳の若さで亡くなっています。
突然のことにびっくりしましたが、
闘病は10年近くにもなっていたそうです。
しかしがんで闘病していることは、
近しい人以外に明かしていなかったとのことです。

さくらさんは40代半ばでがんになっていましたが、
治療をしながらも仕事も変わらず続けていて、
穏やかで楽しい「ちびまる子ちゃん」を描き続けました。
がんの病状はずっと膠着状態だったようです。
急に体調が悪化

しかし夏の前に急激に状態が悪化して
自宅から近い病院で治療をしましたが、
8月15日に息を引き取ったということです。
静岡から上京して都内の自宅で、
一緒に暮らしていたご両親と、
成人していた20代の息子さんらと一緒の最期でした。
さくらさんの事務所は長男が社長に継承。
2022年11月からさくらももこ展の開催などもあり、
今もなお皆の中で作品と共に生き続けています。
8人目:山田邦子
公表が当たり前ではない時代

山田邦子さんは2007年に、
乳がんが発覚しています。
病気のことを公表しないでいたのですが、
意図せず報道されてしまいました。
- 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学の収録がきっかけ。
- 組内で医師に教えてもらった自己触診法の指導で気づく。
- 詳しい検査を受けたところ、左乳房に1つ、右乳房に2つの腫瘍。
温存手術を2回した後に、
放射線治療とホルモン治療されています。
ご主人の支えも大きかったようですね。
同じ病の仲間と想いを共有したことが、
治療中の励みになったという話もありました。
乳がん治療を終える

乳がん治療が終了したのは5年後の2012年でした。
がんを公表しない芸能人が多かった時代に、
山田邦子さんは自分のがん体験を話し、
同じように乳がんに悩む女性が救われたと思います。

その後も山田邦子さんはがん撲滅チャリティや、
講演会などの活動を続けています。
堅苦しいものではなく山田邦子さんらしい、
笑いを交えた講演のようですよ。

9人目:小林麻央
診断が遅れた

小林麻央さんが乳がんだとわかったのは、
2014年31歳のころでした。
- 2014年2月海老蔵さんの人間ドックに、付き添い位の気持ちで一緒に受ける。
- その日のうちに出た結果で、「問題は、奥様の方です」と言われる。
- 左乳房に腫瘤があるので、できるだけ早く検査へ行ってくださいと言われた。
- がんである可能性があるのか聞くと五分五分という返事。
- 週に一度、母乳マッサージに通っていたので大丈夫だと思っていた。
- 詳しい検査をしたものの、「がんを疑うようなものではない」との診断。
- 生検の必要もないと言われる。
- 半年後にまた検査をすることで終わった。
- 再検査は8月の予定だったが、気づいたら10月になっていた。
- ふと触れた胸にパチンコ玉のようなしこりを感じる。
- すぐに検査の予約を入れる。
- 超音波検査で脇もしこりが見つかる。
- 生検をして95%乳がんと告知される。
早めに切るべき。
と医師には言われたが、
海老蔵さんと麻央さんは切らない治療法を探したようです。
結果的に病院を3度転院することとなりました。
海老蔵の会見でがん公表

2016年6月に夫である海老蔵さんが会見で、
麻央さんが乳がんで、
かなり深刻な病状であることを公表しました。
本当は隠していたのですがスポーツ紙に撮られ、
会見で話すことになったようです。

この頃にはかなりがんは進んで、
肺や骨に転移していたと思われます。
10月に麻央さんがステージ4であることを公表し、
放射線治療を受けていることも明かしています。

入院から自宅療養へ

入院治療から自宅療養へと切り替えて、
家族との時間を大切過ごすも体調が悪そうな状態が、
麻央さんのブログで綴られていました。

2017年6月に家族に見守られながら、
もう話せなくなっていた麻央さんが、
最後に海老蔵さんに、
愛してる。
と伝えて天国に旅立ちました。

10人目:太田裕美
病院嫌いで検診は受けてこなかった

太田裕美さんは2019年に、
乳がんであることがわかりました。
- 病気と無縁で病院嫌い。
- 検診は今まで受けていなかった。
- 右胸のしこりには前から気づいていた。
- 痛みが出てきたころ、しこりが大きくなっていることに気づく。
- 「まずいかもしれない」と感じた。
- 5月に病院を受診して詳しい検査をする。
- 「間違いない」という医師の言葉で、がんの告知を受ける。
しこりが大きくなっていて、
さすがの太田さんも心配になったようで、
病院へ行きました。
超音波検査で気になるところ見つかり、
細胞を採取して一週間後に、
がんであることが判明したのです。

さらに詳しい検査で、
初期のがんではないことも分かり、
手術が決定しました。
お仕事への影響も考えて、
手術は体への負担が軽い内視鏡でした。
そのため4日で退院することができたそうです。

実は太田裕美さんはお酒が大好きで、
がんがわかるまで浴びるほど飲んでいたようです。
乳がんの発症と飲酒は関係が深いので、これからは控えめにしてください。
と医師から言われて、
お酒を飲まない生活に一変しました。

術後も治療はまだまだ続きます。
太田さんの乳がんは「トリプルネガティブ」でした。
三つの陰性を意味しています。
- エストロゲン受容体とプロゲステロン受容体、
そしてHER2タンパクの3つがいずれも陰性であることを示す。 - 薬の選択肢が少ない。
- 再発率が高い。
- 再発後の急速な進行。
- 予後が不良と言われている。
同じ乳がんでも陽性ならホルモン療法薬や、
分子標的薬という治療法も選べます。
しかしトリプルネガティブだと、
薬物療法は抗がん剤のみとなるのです。
全体の20%と言われるトリプルネガティブは、
再発もしやすいと言われています。
抗がん剤治療へ

術後8月からの抗がん剤治療は、
3週間に1回の「ドセタキセル」から始まりました。
こんな私、今までになかった。
郊外剤治療が始まると家に帰ってもだるくて、
5分と立っていられないくらい辛かったそうです。

それでも仕事を休むことはなく、
抗がん剤治療をしていた時にも、
デビュー45周年の大きなコンサートを行いました。
そのために治療の時期を調整したりしたそうです。
手術の翌年7月に転移や再発がないか、
詳しい検査を受けて治療が終了しました。
その後も3ヵ月に一度は検査をして、
再発していないか確認しているとのことです。
まとめ
乳がんを公表した芸能人10人についてまとめました。
みなさんそれぞれステージも違いますが、
手術や術後の流れと副作用など、
参考になることも多いかと思います。