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坂井泉水と長戸大幸・織田哲郎の関係は信頼できる仕事仲間?ナチュラルスタイルをプロデュースしていただけ?    

ZARDの坂井泉水さんは生涯独身を貫きましたが、

音楽業界の大物たちと噂になったことがありました。

今回は長戸大幸さんとの関係や、

織田哲郎さんとの関係について調べてみました。

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目次

坂井泉水と長戸大幸の関係は?

長戸大幸は坂井泉水を見出した


https://gojyodohri.com/nagato-daiko-family-survey/

音楽プロデューサーであり、

ビーイング創業者の長戸大幸さんは、

坂井泉水さんを見出した人物です。

ビーイングとは1978年、長戸大幸が、長戸個人と海老名俊則と阿久悠の出資により、
月光恵亮、織田哲郎、亜蘭知子らと設立した音楽制作会社。
1990年代前半には、B’z ZARD WANDS 大黒摩季がオリコンチャートの上位を独占し、
「ビーイングブーム」が巻き起こりました。

歌手志望だった坂井泉水さんは、

芸能事務所大手のスターダストプロモーションにスカウトされ、

レースクイーンなどの活動をしていました。

しかし1980年の8月、

スターダストの当時の社長だった細野義朗さんが、

ビーイング創業者の長戸大幸さんに坂井さんを紹介。

Amazonより

坂井さんは、

「おどるポンポコリン」で有名のB.B.クィーンズの

コーラスのオーディションを受けることになります。

アン・ルイスやテレサ・テンを熱唱し、

高く評価された坂井さんでしたが、

結局オーディションに受かったのは

宇徳敬子さんでした。

長戸大幸はZARDプロジェクトを立ち上げる


Amazonより

オーディションには落ちてしまった

坂井泉水さんですが、

長戸大幸さんによって

ZARDのプロジェクトを立ち上げられました。

坂井泉水さんをメインボーカルにしたZARDは、

1991年2月10日「Good-bye My Loneliness」でデビューします。

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長戸大幸は坂井泉水をプロデュースした


https://wezard.net/discography/discography-568/

長戸大幸さんがプロデュースしたのは、

ZARDの音楽だけではありません。

坂井泉水さんのナチュラルスタイルを

徹底的にプロデュースしたのです。

長戸大幸さんが坂井泉水さんに求めたイメージは、

平成に生きる昭和の女性

だったそうです。

愛する男性の夢のために身を引くような

女性のイメージだったといいます。

具体的には、

・基本的にメイクはしない
・眉毛は整えない
・イヤリングはしない
・髪型を変えない

このようなナチュラルスタイルを確立したのです。

結果的に流行を追わない坂井さんのビジュアルは、

女性にも男性からも支持されて、

多くのヒット曲に繋がったと言われています。

そして流行に捕らわれないビジュアルだったから、

今でも時代を越えて

愛され続けているのかもしれませんね。

長戸大幸さんの

プロデュース力には脱帽です。

デニムスタイルは坂井さんの趣味?


https://www.wezard.net/20th/livegoods.html

ちなみに坂井泉水さんは、

服装もナチュラルなものが多かったですよね。

デニムパンツにTシャツのイメージがあるでしょう。

これは、

坂井さん自身がいつも好んで着ていた

ファッションだったようです。

ステージの上でも無理に着飾らず、

いつも通りの自然体な服装でいるところが、

坂井さんのこだわりだったのでしょうね。

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ビーイング商法で売り出した


Amazonより

1990年代にビーイングブームを巻き起こした

長戸大幸さん。

その背景には、

ビーイング商法と呼ばれた

ビーイング独自の売り出し方法があったそうです。

それは、

アーティストをあまりメディアに出演させずに、

神秘性を持たせるというもの。

  • BOØWY
  • B'z
  • WANDS
  • DEEN
  • 大黒摩季
  • 倉木麻衣

このようなビーイングのアーティストたちは、

当時は音楽番組などに出演しないことで知られていました。

そしてZARDはその中でも

特に公の場の登場することがなく、

「坂井泉水は本当は実在していない」

という都市伝説もあったほど。

この神秘的な存在ということが、

ZARDの魅力をさらに加速させました。

この戦略を裏でプロデュースしていたのも、

長戸大幸さんだったのですね。

坂井泉水の体調を優先したものでもあった

https://wezard.net/zardlive/

ZARDがメディアに出演しなかった理由は、

ビーイング商法だけではなかったといいます。

坂井泉水は人前で歌うのがとても苦手だったというのです。

長戸大幸さんはそんな彼女の体調を気遣い、

露出を極端に少なくしていたといいます。


https://news.yahoo.co.jp/feature/1335/

またデビュー当時から

レコーディングの際には、

録音ブースをカーテンで隠すなど、

坂井さんがリラックスして歌える環境を

作ってあげていたそうです。

単なる戦略的なものだけでなく、

長戸大幸さんの人間的な優しさが、

結果的に「神秘的な坂井泉水」を作り上げたのかもしれませんね。

坂井泉水と長戸大幸は熱愛の噂があった

イラスト

坂井泉水さんを

トータルプロデュースしてきた

長戸大幸さん。

二人の関係は、

アーティストと

音楽プロデューサー以上のものだったことが伺えますね。

そのためか、

二人は恋人同士という噂も囁かれていたそうです。

破局によって精神的に不安定になった?

週刊新潮によると、

2002年頃から関係が悪くなったという

坂井さんと長戸さん。

長門さんに新しい愛人ができたことで

破局に至ったといいます。

これにより坂井さんは、

長戸さん、なんでいないの!

などとヒステリックな電話をするようになり、

精神的に不安定になったというのです。

ちなみにこの時、

痩せてしまった坂井さんに心配した精神科の医師が、

人間ドックをすすめたところ、

子宮頸がんが見つかったとも言われています。

これにより、

坂井さんは闘病生活を送ることになったというのは

有名な話なんだそうです。

ただし、坂井さんと長門さんの恋愛関係については、

確かな証拠はありません。

信頼できる理解者の一人だったのかもしれませんね。

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坂井泉水と織田哲郎の関係は?

織田哲郎はZARDの作曲を担当していた


https://www.sonymusic.co.jp/artist/TetsuroOda/

1990年代にヒット曲を量産してきた

作曲家の織田哲郎さん。

ミュージシャン、音楽プロデューサーとしても

多彩な才能を発揮されてきた方です。

そんな織田哲郎さんは、

ZARDの楽曲の作曲も

多数手がけてきました。

「負けないで」
「揺れる想い」

などの大ヒット曲も

織田哲郎さんが作曲を担当されています。

実は織田哲郎さんと坂井さんは

実際に会ったのは2回だけだといいます。

2019年11月4日の「zak zak by夕刊フジ」のインタビューでは、

坂井泉水さんとは
多くの作品を一緒に作ってきたのに、
2回しか会ったことがないという珍しい関係だった。
でも共作者としての相性がすごく良かったと思います。

このように語られていました。

2回しか会ったことがないにもかかわらず、

多くの名曲を残してこれたということは、

何か通じ合うものがあったのでしょうね。

坂井泉水と織田哲郎は熱愛の噂があった

Amazonより

坂井さんと織田哲郎さんは、

1993年〜1996年頃に、

不倫関係にあることが

週刊誌で報じられました。

ZARDが1993年にリリースした

「もう少しあと少し…」という楽曲が、

不倫をテーマにした内容だったため、

このような不倫の噂が加速したとも言われています。

Amazonより

しかし実際には噂にすぎなかったようです。

後に織田哲郎が明かしているように、

2回しか会ったことがない関係で、

不倫していたという事実は、

無理があるように思いますね。

お二人が作り出す音楽が素晴らしいため、

特別な感情があるのでは…

と思ってしまったファンが多かったのかもしれませんね。

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まとめ

今回は、

坂井泉水さんと長戸大幸さんとの関係や、

織田哲郎さんとの関係について調べてみました。

坂井さんは、

お二人と特別な関係にあったことは事実でしょう。

しかしそれは

恋愛関係ではなくビジネス的なものだった可能性が高いことがわかりました。

生涯独身を貫いた坂井さん。

一番愛していたものは、

音楽だったのかもしれませんね。

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坂井泉水と長戸大幸・織田哲郎の関係は信頼できる仕事仲間ナチュラルスタイルをプロデュースしていただけ    

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