36年前、日航機墜落により43歳という若さで亡くなった坂本九さん。
生きていれば2023年で82歳の坂本さんは、亡くなった際に様々な人が書き残したように
遺書はなかったようです。
また、数ある墜落遺体で発見できた理由は何だったのでしょうか。
坂本九に遺書はなかった?
現在のところ坂本九の遺書は発見できていない

坂本九さんは1986年の8月に日航機123便の墜落によって命を失いました。
事故当時の坂本さんはボストンバッグを所持していましたが、その中に遺書らしきものはなかったようです。

日航機墜落事故の真相とは

運輸安全員会HPによると、坂本九さんが亡くなった日航機事故の真相とは、
事故は後部圧力隔壁の不適切な修理に起因し隔壁が損壊したことにより
胴体後部・垂直尾翼・操縦系統が損壊していたことによるものだそうです。
そのため飛行機の性能の低下と主操縦機能が不安定になったということです。

不適切な修理とは?
ちゃんと修理や整備を行なっているイメージがあるけど・・・
不適切な修理とは1978年の日航機115便しりもち事故の修理によるものだそうです。
このときの修理ミスが日航機墜落事故に繋がったと考えられています。
日航機墜落事故の陰謀説・真相

事故調査委員会の発表を持ってしても、なかなか陰謀論は止まりませんでした。
この日航機墜落事故の陰謀説・真相の代表的なものが以下の2つ。
- 機体構造不良によるフラッタ現象
- 自衛隊が撃墜した説
これは修理ミスなどではなく
2番目の自衛隊説は、事故当時123便の近くに謎のオレンジ色の物体が飛んでいたと言われていたことや
ブラックボックスで「オレンジエア」という言葉が確認できたことからでした。
また、自衛隊のうち航空職員が次々と自死し、
事故後2年の間に90人なくなったことも噂の原因になったようです。
多くの究明家たちは自衛隊の特殊部隊が現場に入り、
生存者にガソリンをかけて生きたまま黒焦げにして証拠隠滅を測ったのではないか?
と憶測されていたことの裏返しとも言われていました。
墜落遺体で発見できた理由は首の太さとネックレス

墜落現場は想像以上に広範囲に黒く焦げており森林は燃え人々の体も炭化するほど黒くこげていたそうです。
坂本九さんの遺体は墜落現場で両手で足首をつかんで、
頭を膝の中に入れる「安全姿勢」を取った状態で発見されました。
そのため即死状態であると言われています。
坂本九さんは首が太く特徴的だったそうです。
坂本九さんは普段から身につけていた笠間稲荷のペンダントが胸に刺さっており、
確認ができたそうです。
こちらの本では、事故の調査や現場にいた警察側からの視点で
遺体野状態やその家族・現場の雰囲気などが描かれています。


