音楽家として活動している坂本龍一さん。
そんな坂本龍一さんは「教授」と呼ばれることが多く、
その由来には高橋幸宏さんが関わっていたことがわかりました。
高橋幸宏さんが坂本龍一さんの学歴を聞いたことから、
教授と呼ばれるようになったのは本当なのでしょうか。
この記事では坂本龍一さんが、
教授と呼ばれる理由についてまとめています。
坂本龍一はなぜ教授と呼ばれている?

音楽家として活躍している坂本龍一さんですが、
実は「教授」というあだ名で親しまれています。
芸能界の中や友人などの間で広まるのは珍しくないことですが、
このようにファンの人も坂本龍一さん=教授という認識。
坂本龍一さんは音楽家として活躍していますが、
なぜ教授と呼ばれているのでしょうか。
それには高橋幸宏さんと坂本龍一さんの学歴が、
大きく関係していることがわかりました。
坂本龍一は大学教授になると高橋幸宏が思っていたから教授呼びになった!

坂本龍一さんの「教授」という愛称については、
実は高橋幸宏さんが名付けていたことがわかりました。
坂本龍一さんと高橋幸宏さんはYMOとして活躍していましたが、
初めて会ったのは坂本龍一さんが大学院生のときでした。
坂本龍一さんが東京藝術大学に通っている学生であることを知った高橋幸宏さん。
坂本龍一さんに向かって、
「大学教授になるの?」
「音楽に関してはプロフェッサーだから『教授』だね」
と話したことがきっかけとなり「教授」となりました。
のちに詳しくご紹介しますがYMOは3人で活躍。
メンバーの中で大学院を出ていたのは坂本龍一さんのみ。
さらに坂本龍一さんは音楽に関して理論で説明することも多く、
高橋幸宏さんにはまさに教授のように見えたのかもしれませんね。
YMO結成時はすでに高橋幸宏さんは有名なアーティスト。
一方で坂本龍一さんはこれから活躍するという時期で、
メンバーの活躍にも少しだけ差が出ていました。
そのなかで高橋幸宏さんはニュアンスで説明するタイプ。

坂本龍一さんは言葉や音符で説明するタイプと、
同じ音楽家でも少し知識的には差があったようでした。
坂本龍一さんは実際に教授ではなかったものの、
音楽業界のなかでは大学院まで進んでいる高学歴。
そういったことからも高橋幸宏さんは、
「教授」というあだ名をつけたようですね。
坂本龍一と高橋幸宏の関係は?

先ほど少しだけご紹介しましたが、
坂本龍一さんと高橋幸宏さんはYMOのメンバーとして活躍していました。
YMOとはイエロー・マジック・オーケストラ の略。
1978年にこちらの3名で結成されました。
- 細野晴臣(エレクトリックベース・シンセベース・コーラス)
- 高橋幸宏(ドラムス・ボーカル)
- 坂本龍一(キーボード・シンセサイザー・コーラス)
坂本龍一さんは大学卒業後に大学院に進み、
そこでスタジオミュージシャンとして活躍するようになりました。
高橋幸宏さんと知り合ったのは1976年のこと。

当時アルバムを発表した坂本龍一さんは、
りりィさんのバックバンドに所属することとなり、
そこで細野晴臣さんのマネージャーを紹介され、
細野晴臣さんと知り合いソロ活動のサポートメンバーに抜擢。
1978年に発売されたアルバムに参加したとき、
高橋幸宏さんと出会いました。
先に坂本龍一さんと出会ったのは細野晴臣さんの方が先ですが、
「教授」とあだ名をつけたのは高橋幸人さん。
そのあだ名の通り高橋幸宏さんいわく、
坂本龍一さんは奇才であり細野晴臣さんは天才。
奇才と天才を繋ぐような架け橋の存在だったのが、
高橋幸宏さんだったのかもしれませんね。
坂本龍一さんと高橋幸宏さんは同い年であり、
その付き合いは約45年になるので、
友人やライバルというよりかは盟友のような存在なのではないでしょうか。
YMOは音楽でもファッションでも話題に!

YMOの居bb額の特徴はシンセサイザーを駆使しているということ。
当時ドイツやイギリスなどではすでに有名だったものの、
日本ではYMOが先駆者と言われることが多いほど、
早い段階からそういった海外路線を音楽に取り入れていました。
また当時は音楽番組のみではなく積極的に番組に出演することで、
バンドとしての認知度を高めるように。
日本の音楽界にもかなり大きな影響を与えていますが、
なんとファッション面でも話題になることがありました。
特に話題になったのは髪型。
短髪にも見上げの部分を刈るような髪型は、
「テクノカット」という名前で若い人たちから大流行。
YMOのイメージとしても幅広く認知されるようになり、
音楽のみではなくファッション面でもかなり広まるようになりました。

まとめ
坂本龍一さんが教授と呼ばれる理由について、
まとめてみました。
YMOとして一緒に活躍していた、
高橋幸宏さんによってそのあだ名が浸透。
当時は坂本龍一さんの学歴を知って、
教授になりたいように見えたためあだ名を付けましたが、
ファンの間にまで広まるようなあだ名になり、
当たり前のように広まったことがわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。