薬物から抜け出し俳優へと復帰を果たした高知東生さんですが、
本名の「大崎丈二」という名前で活動できなかった理由があります。
そこには彼の家族や過去が大きく関係していたのです。
高知東生さんの人生を何度も狂わせた、
知られざる家族関係についてまとめてみました。

高知東生の家族関係はとても複雑だった!
物心ついた時から両親はいなかった

高知県で生まれた高知さんは祖母に育てられていました。
両親はいないと祖母から告げられていて、
あんたは犬と一緒に箱に入れられて、鏡川に捨てられていた
かわいそうだから連れて帰ってきたんだよ
と言われ幼い頃はそれを信じていたそうです。
この時住んでいたのは祖母と祖母の長男家族、高知さんからすると伯父家族の暮らす家。
住ませてもらっている遠慮や後ろめたさと疎外感がずっとあったそうです。
着物姿のおばさんが会いにくる

小学4年の時「大切なおばさん」と祖母に紹介されて、
定期的に会いに来るおばさんがいました。
欲しいものをなんでも買ってくれるので、
高知さんはおばさんが来るのが楽しみだったといいます。
黒い車から降りてきた着物姿のおばさんは、黒いスーツ姿の数人の男と現れた。
それを見て初めは怖いと思って祖母の後ろに隠れてしまった。
母は生きていた

小学校5年生の時にそのおばさんが、
実の母であることを高知さんは祖母に突然伝えられました。
親がいない寂しさをずっと感じていたので、
自分にも母親がいた
ということ対して素直に嬉しさがあったようです。
当時はシングルマザーでさえ批判されたような時代だったので、
親なし!
と馬鹿にされ辛い思いをすることがありました。
それにより学校で喧嘩をしてしまい、
捨てるぞ
と伯父さんに怒られたこともあったそうです。
高知さんは伯父さんの家に住ませてもらっていたので、捨てられたら困るという思いで、大人の顔色を伺いながら必死でいい子を演じていました。
そんな自分にお母さんがいたことが、
ただただ嬉しくて未来に希望が見えた瞬間でした。
心残りは自分をいつも守ってくれた祖母のこと。
一人で大丈夫かなと気になりつつも、
伯父さん家族の家を出て高知さんは母と一緒に住むことになります。
母と一緒の新しい生活が始まる

母との生活が嬉しくて喜んだのはつかの間のことでした。
小学生だった高知東生さんにとって、
ここからが本当の地獄の始まりです。
母は思い描いていたような母親ではなかったのです。
母との生活はこのような毎日でした。
- 毎晩酔っぱらって帰ってくる
- 「煙草を買ってこい」と叩き起こされる
- テーブルにお金だけ置いて2~3日帰ってこない
- スーツ姿の男性が迎えに来て大人と食事をして、また家まで送られる
高知さんが思っていた母と2人の生活とは、
遠くかけ離れた現実がそこにありました。
父親は組長、母親は愛人だった
父親の存在を明かされる

そしてある日高級クラブに連れていかれた高知さんは、
母の隣にいる男性の横に座らされます。
横にいる人はあんたのお父さんよ
と母が言ったそうです。
後に知るのですが父と紹介されたその人は、
高知県を代表する暴力団の組長でした。
父と一緒にいるとどこを歩いていても挨拶をされ、
黒いスーツ姿の男性達にいつも囲まれていました。
これは普通ではない
と幼いながらに高知さんは何かを察していたようです。
- 父の存在を明かされても全く嬉しくなかった
- 祖母と伯父の家から違う大人の場所に移動させられただけだった
- 捨てられるのが嫌でまたいい子を演じるしかなかった
- 寂しさや孤独感を持ちながら、いつも大人の顔色を伺っていた
- 母にもうまく馴染めなかった
- やくざについてはまだはっきりわかっていなかった
- 普通の家族と暮らしたかった
母は組長の父の愛人だった

高知さんの母は父と言われた組長の妻ではなく愛人でした。
愛人とはいっても2番手という感じではなく、
こっそりでもなく堂々とした関係であったと言います。
父が家に来たときは母のことも自分のことも、
とても大事にしてくれたそうです。
うちの家族は普通じゃない
でももう捨てられたくない
そんな思いから真実を母に確認したことはありませんでした。
こんなことなら伯父さん家族と一緒に住んでいたほうが、
まだよかったとその頃は思っていたそうです。
脱走も試みたけれど結局うまくいかず、
母や家族に対する高知さんの嫌悪感は、
さらに濃くなっていきました。
親から離れた生活へ
全寮制の中学、高校へ進学

思春期を迎えた高知さんは家庭から逃げ出したい一心で、
野球の強い全寮制の明徳義塾中学校・高等学校に進学をします。
小学生の時から野球をやっていたので母が勧めてきた時、
迷わず行くことを決めたそうです。

家に帰る期間も友達の所に泊まって、
なるべく家には帰らないような生活をしていました。
中学くらいから自分が周りの大人に「ボン」と呼ばれて、
高知さんが街中を歩いていると挨拶をされることで、
父が有名な組長であり母が本妻ではないことも知っていったと言います。
母との絆

高知東生さんが高校生になった頃には、
大事な後継ぎだから怪我をしないように
と周囲に言われるようになり、
将来は父の跡を継ぐのかな
俺の人生はもう決まっているのかな…
と漠然と思っていたそうです。

そんなことを考えていた17歳の頃、
それまで学校行事に一切顔を出さなかった母が、
野球部の保護者の手伝いに突然現れました。
慣れない車を運転してジャージ姿でスッピンで来たそうです。
そこにいつもの着物姿の派手な母の影はありませんでした。

それからは積極的に学校行事に参加をして、
得意ではない料理の手伝いをしている母の姿を見て、
高知さんの気持ちは変化していったといいます。
- 自分のために苦手なことを頑張ってくれている姿を見て嬉しく思う
- 敬語で話していたのに、自然と会話は心地よいタメ後に変わっていった
- ようやく親子、家族という形になっていく
母の死

そんなある日高知さんの元に母が連絡をしてきました。
どうしても今日会って今日中に進路を決めてほしい
消灯前に母が急に会いに来たそうです。
進路と言っても父と同じ道を歩むしかないと思っていた高知さんは、
俺の進路っていうか人生決まってんだろ?
と母に言いました。
すると高知さんの母はその道へ進むことを猛反対したのです。
できたら野球を通じて大学に行ってほしい
そう言ったそうです。
- 実家にあったお金になりそうなものがだんだん消えていっていた。
- 母がお金に困っていたのではないかと想像できる
- 母に聞いたがそれに対して母は答えなかった
母がお金に困っていることに気づいた高知さんは、
地元で就職して仕送りするよ
と母に告げたそうです。
ほんとうにそれでええの?
ええよ
消灯時間になるため部屋に戻ろうとする高知さんに、
ねえ丈二、私綺麗かな?
と母が言ったそうです。

軽くあしらった高知さんが母を見ると、
車の中から泣きながら笑って手を振っていました。
それが高知さんが見た母の最後の姿でした。
その夜高知さんの母は車で突っ込み自死をしました。
- あの時「綺麗やぞ」と返していたら母は死を選ばなかったのか。
- 高知さんは今でも最後のやり取りへの後悔があると言っています。
事故を起こしたと聞いて先生の車で病院に向かう車の中で、
丈二ごめん
と窓にフッと母が現れて言ってきたそうです。
事故を見つけたトラックの運転手が救急車を呼ぼうとしたところ、母がこう言いました。
「このままにしといて。ただお願い一言だけ、息子にごめんねといってほしい」
高知さんが母の遺体と対面した時に、トラックの運転手からその言葉を伝えられたそうです。
遺書はありませんでした。
本当の父ではなかった

母のお葬式の日には父も現れたと言います。
父はなんと皆が止める中で母の遺体を抱きかかえて、
丈二、ドライブ行ってくるわ
と泣きながら母を車に乗せて、
ドライブへ連れて行ったそうです。
その姿を見た時に母は父に捨てられたのではなく、
大切に思われていたんだと感じたそうです。
もちろんそのあたりの本当の事実は、
高知さんにもわかりません。
- 母が入っていた生命保険があと2日で切れるところだった
- 母は親戚中にお金を借りていた
- その後役場に祖母と言ったときに戸籍謄本に父とは違う名前があった
祖母に父の名前が違うことを聞くと、
他に本当のお父さんがいると告げられました。
祖母はすべてを知っていたと言います。

周りの大人や祖母にも裏切られた気持ちがショックで、
高知さんの頭は混乱して一気に心も壊れていったそうです。
なんと本当の父も違う県の組長で、
母は愛人だったということです。
- 高知さんが親分の息子であることは、地元では皆が知っているほどに有名だった
- 実はその親分の息子ではなかったとばれるのがとても怖かった
- それもあって高校卒業後の高知さんは、人を寄せ付けない狂気じみた荒れた生活を送っていた
- 誰にも話せない寂しさと孤独と戦っていた


まとめ
高知東生さんの家族についての話を知ると、
彼が荒れた人生を送ってしまったことも、
やむを得なかったのではないかと思えてきます。
それほどに幼少時代から孤独と付き合ってきて、
壮絶な経験をしたきたと思うと辛いですね。
高知東生さんの人生はきっとこれから、
多くの幸せが待っているのではないでしょうか。
新しい道を頑張って進んでほしいと思います。