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【時系列】高知東生の生い立ちと半生!父親・母親と暮らせなかった?若いころからイケメン!

高知東生さんの孤独な生い立ちを調べてみたところ、

その孤独と過酷さに驚きました。

物心ついた時には両親がいなかったという高知東生さんの、

過去の経歴や半生をまとめてみました。

高知さんがどのような流れに芸能界に入ったのか、

薬物に染まっていったのか。

壮絶な経歴をぜひご覧ください。

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目次

高知県で過ごした壮絶な日々

生い立ちの時系列とプロフィール

STEP
両親はおらず祖母と伯父家族と生活
STEP
組長の愛人である母が現れて、一緒に暮らし始める
STEP
明徳義塾中学校・高等学校へ進学
STEP
母の自殺と本当の父の存在を知り荒れた生活
STEP
地元から逃げるように上京
STEP
ホームレス生活からホストへ
STEP
憧れた成り上がりの世界で薬物を知る
STEP
AVプロダクション経営
STEP
スカウトされて俳優人生スタート
STEP
1度目の結婚と離婚
STEP
2度目の結婚
STEP
覚せい剤所持で逮捕、離婚
STEP
更生して新たな人生を歩み始める
高知東生プロフィール
  • 名前:高知 東生(たかち のぼる)
  • 本名:大崎 丈二(おおさき じょうじ)
  • 出身地:高知県高知市
  • 生年月日:1964年12月22日
  • 年齢:57歳
  • 身長:182cm
  • 血液型:B型
  • 出身高校:明徳高校(84年以降は明徳義塾)

祖母と伯父と暮らした幼少時代

高知さんは芸名の由来となった高知県で生まれ育っています。

両親はおらず祖母と伯父の住む家で一緒に暮らしていました。

「親はいない」と言われていたが小学校5年生の時に母がいることを知り、

家を出て母と暮らすことになります。

しかし思い描いていた生活はそこにはありませんでした。 

母は地元では有名な組長の愛人だったのです。

ボンと呼ばれて黒いスーツの大人に守られるように過ごし、

自分の家族が普通ではないことを幼いながらに気づき始めていました。

 

高知さんは小学生時代に高知市街でスカウトされ、
四国電力のCMに出演したことがあるそうです。

 

中学・高校は野球の名門校へ

中学からは野球の名門校である明徳義塾中学校・高等学校へ進学をします。

全寮制の学校で親から離れたい気持ちで選んだ学校だといいます。

小学生時代から野球をしていて中学・高校も野球部に入っていました。

3年生の時に高校が初の甲子園出場を果たすが、

高知さんはベンチ入りはしなかったそうです。

応援団の団長をしていたようですね。

この時からイケメンであるのがわかります。

自分はこのまま親父の跡を継いで同じ道を歩んでいくのかなと

漠然と将来のことを考えていた時期でもありました。

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母との別れ

高校生の頃の高知さんは母との関係が良好になっていた時期でした。

しかしある日突然母はこの世を去りました。

自殺でした。

組長の愛人だった母は借金を抱えており、

遺書はなかったものの事故ではなく自ら命を絶ったのです。

高知さんにとって苦しい孤独がまたやってきました。

 

母の事故現場にいて駆け付けたトラックの運転手に「息子にごめんねと伝えてほしい」と告げたそうです。

戸籍の父の名前

高知さんの父は地元では有名な組長で、

その息子として高知さんは育ってきました。

しかし戸籍謄本の父の欄を見たら、

別の人の名前が載っていることに気づきます。

祖母に聞くと、

本当の父は他にいる

という事実を告げられます。

母が亡くなってから知った事実であり、

周りの皆が自分に嘘をついていたことに強いショックを受けました。

高知さんの心は混乱し大きく乱れました。

皆に「ボン」と呼ばれて組長の息子だと認識されてきたのに、

いまさら違ったなんて誰にもばれたくない

高知さんはそれを恐れて虚勢を張り、

味方も敵も殴るような人格へと変貌していきました。

そして本当の父だと言われた人も県外の組長であり、

怒りをぶつけに会いに行きましたが自分と同じくらいの息子との、

幸せそうな姿を目にして何も言えずに引き返してしまいます。

これ以上ここでは暮らせないと思った高知さんは、

高知県を離れて上京することを決意したのです。  

 

矢沢永吉さんの「成り上がり」に影響されたように周りに思わせて、それを上京の理由とした。
本当はただ地元から逃げたかっただけだった。

  

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上京して第二の人生スタート

6千円を握って上京

 

高知さんは高校卒業後に一応アパレルに就職したものの、

ほとんど仕事もせずお金もないまま6千円をもって東京に出ます。

住む場所もなくお金もなかったためホームレスとなり、

「テント村」と呼ばれるところでうろうろとしていました。

管理人が仕事がなくて困っている高知さんに仕事を紹介してくれて、

テント村の事務所の裏に住ませてもらえることになります。

 

  • 昼はそこで紹介されたTシャツ屋で仕事
  • 夜は高知の友達に紹介されたホストクラブで働く

ホストクラブで人気者に

初めはホストクラブの裏で働いていた高知さんでしたが、

ホールにも出るようになりあっという間に人気者に。

身長も高くてイケメンで話もうまそうなので、

人気者になるのも頷けますね。

交友関係も広がり東京で成功している人たちと、

高知さんは接するようになりました。 

 

高知東生が憧れた世界とは
  • 自分と同じくらいの年齢の人がバリバリ仕事をして稼いでいる
  • いい車に乗り、いい服を着て、いいご飯を食べている
  • 理想の女性を隣に連れている
  • 夜は豪快に遊ぶ
  • 自分もこうなりたい、これこそが成り上がりだと感じる

 

そんな彼らに憧れて一緒に行動をしていくうちに、

ついに高知さんは薬物を知ることになります。

薬物に手を出す

ある日高知さんが憧れるその仲間が、

薬物をおしゃれに回し吸いしている場に出くわせます。

その薬物が高知さんの元にも回ってきました。

仲間になりたい

契りをかわしたい

お金を稼ぐ情報を知れたりするのではないか

高知さんの頭の中をそういう思いが巡りました。

そして高知さんは目の前に回ってきた薬物を、

仲間として認められた気がして喜んで吸ったのです。 

 

薬物を初めて吸った感想
  • 何も感じなかった
  • 拍子抜けの体験
  • 薬物ってもっと変になると思っていた
  • これならいつでもやめれると思った

 

しかしその後女性と一緒に使用したりするうちに、

高知さんは薬物の威力の強さを知っていきます。

元気の前借り

という言葉がピッタリで高知さんは薬物から、

しだいに抜け出せなくなっていきました。

AVプロダクションを経営

仲間との繋がりの中で高知さんは新たな仕事に出会います。

それはAVプロダクションの経営でした。

バブルの時代だったこともあり、

20代ながらに億の稼ぎがあったそうです。 

 

売れている女優さんだと1本2日間の撮影で、1000万円もらえる時代だった

 

車を何台も持ち稼いだお金が残らないくらい使っていたといいます。

しかし裏切りや人間関係のトラブルが多く疲れてしまい、

億の稼ぎのあった仕事をやめることになりました。

そしてそのタイミングで高知さんは、

1度目の結婚をすることになります。

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スカウトから俳優の道へ

28歳で遅咲きの俳優人生スタート

仲良くなったタレントの友人とスポーツクラブに行ったとき、

友人が所属する事務所の社長とたまたま出会います。

後に社長から会いたいとの連絡が来て社長はこう言ったのです。

君、僕に人生預けない?

そして高知さんはこの社長に人生を預ける決意をします。

 

多くの有名人が所属する大手の有名事務所にスカウトされ、

高知東生の俳優人生が始まりました。

芝居のレッスンなどもないまま大きな仕事を任され、

仕事をしながら演技を学んでいく毎日でした。

1度目の結婚と離婚

当時結婚していたあいだももさんとの結婚生活は、

結局6年で終わってしまいます。

離婚の原因は高知さんの浮気でした。

 

  • 妻も大切にして愛人も大切にして豪快に生きる、それが男の甲斐性だと思っていた
  • それはかつて自分が見てきた父と母の姿の影響もあった
  • 愛人で大切にされていた母、父は自分のことも大切に育ててくれた
  • 自分も愛人を持ってもうまくやっていけると思っていた

 

育ってきた環境の影響は大きかったのでしょう。

任侠の世界で当たり前のことは普通の世界では通用しませんでした。

それからほどなくして高知さんはあの大女優と出会うのです。

2度目の結婚は格下婚

高知さんにとっての2度目の結婚の相手は「高島礼子」さんです。

高島礼子さんは色っぽさとさっぱりした性格で、

人気が急上昇している女優さんでした。

その大女優との結婚は「格差婚」と呼ばれ、

高知さんはそれに対して本心はかなり腹を立てていたようです。

自分だってそれなり俳優として稼いでいたのに、

高島礼子のヒモ

と言われることは屈辱でしかなかったと言います。 

 

  • 自分の父は母に財布を預けて、母に支払いを任せるのが普通だった。
  • だから妻にも愛人にも財布を預けて支払いを任せていた。
  • それを撮った記者が「高知東生は女に払わせて奢ってもらっている」と書いた。
  • 世間からもヒモと言われるようになる。
  • 今となればおかしいことだが、それが普通だと思う環境で育っていた。

 

しかし結婚10年超えたあたりから「おしどり夫婦」と呼ばれるようになります。

それでも一部のしつこいマスコミから批判をされ続けることは、

高知さんにとってストレスの1つでありました。

そんな中で女遊びも相変わらず時々あり、

その時には薬物を使用することがあったようです。 

 

  • 薬物依存で一番たちが悪いこと
    薬をやったりやらなかったりということ。
  • 依存まではいかない薬物とのダラダラした付き合いが、よけいに高知さんを苦しめた。

 

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芸能界引退の誤報、そして逮捕

「高知東生が義父の介護のために芸能界を引退」

高知さんが捕まる1年ほど前に、

このようなニュースが流れました。

休業して健康産業に力を入れたい

そう事務所には伝えたのに、

マスコミが勝手に誤報を流して世間に知れ渡ることとなったのです。

否定せずに放っておいたら?

と妻の高島さんにも言われて、

そのままにして健康産業の方の仕事を頑張っていくことにしました。

しかし経営者になると人間関係のトラブルは避けられず、

高知さんはストレスのはけ口として、

愛人に会う頻度が多くなっていきます。

現実逃避の日々の中で「マリファナ」を持ってきた愛人、

二人でホテルで使用して意識朦朧としている中で警察が突入してきました。

動くな!

2016年6月に高知さんは愛人と共に覚醒剤所持で逮捕をされます。

この時高知さんはようやく終われるという安堵感で、

来てくれてありがとうございます

そのように言ったそうです。

留置所の中で離婚成立

保釈前に高知さんと高島礼子さんの離婚はすでに成立していました。

高島さんは別れたくなかったようですが、

事務所や周囲の人のためにも別れを選ぶしかありませんでした。

留置所では妻の高島さんとは一回も会えず、

弁護士とのやりとりでの離婚となったようです。

高知さんの判決は執行猶予4年でした。

一店舗だけ残った経営していた店舗で仕事を続けるものの、

マスコミがスパイで客としてやって来て、

女をナンパしている

色目遣いで…

といったように悪く書かれてしまったり、

お客さんに記者が感想を聞きにいくこともあり、

一年で店を閉めることになりました。

マスコミに書かれることを恐れ動けないこともあり、

執行猶予4年の間はおとなしく反省して送らないといけないという思いもありました。

しかし4年の引きこもり生活はあまりにも長くて孤独で、

高知さんは2年くらいで死を覚悟するくらい追い詰められたと言います。

自業自得なのですがまさに生き地獄だったのです。

そんな時に高知さんは依存症の仲間と出会います。

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更生して新しい道を進む

 

逮捕された時に言った言葉、

「来てくれてありがとうございます」

高知さんのこの言葉は当時世間からバッシングを受けました。

ふざけている

反省していない

擁護の記事もあった

そんな中で見つけた記事には高知さんの発言について、

このようなことが書いてありました。

 

依存症会の仲間の感想
・「本当にこれで終わった」「これでやめられる」という正直な気持ちを言っているだけだと思う。
珍しいことでもない、すごく大切なこと。
この人は正直に言ってることだから、回復に向かっていける

唯一自分に寄り添ってくれた人の名前を高知さんは覚えていました。

ちょうど奥さんとの復縁話がマスコミで流れ、

復縁するのでは?

奥さんが援助しているのでは?

またありもしない噂で世間がざわつき始めました。

このようなことで高島さんに迷惑をかけたくないので、

高知さんは自分のことをTwitterでつぶやくようになります。

 

そしてTwitterを見て高知さんに連絡をしてきてくれたのが、

あの時記事を書いて擁護してくれた田中紀子さんでした。

田中さんとの出会いでどのように更生したらいいのかわからなかったことが、

少しずつクリアになっていったと言います。

 

医療と民間団体に支えられて日々が変化していったそうです。

自助グループを紹介してもらい自分と同じように頑張る人たちと、

誰にも話せなかったことも話しあい共感し、

苦しいのは自分だけじゃないんだ

と気持ちがどんどん楽になっていったと言います。  

 

自助グループとは
同じ問題を抱える人たちが集まり、相互理解や支援をし合うグループのこと

 

仲間と一緒に向き合っていくことで、

自分の心の闇がはっきりとしていきました。

自分の考えは間違っていたと冷静に思えるようになったのです。 

 

12ステップ・プログラムの中身
  • 認知のゆがみを戻していく
  • 自分の人生で間違っていたもの、普通ではなかったことと向き合う
  • すべてをさらけ出す
  • 話すことで周りが救われることにもなる
  • 過去ではなくこれからを大切に生きていく

 

母をよく知る方が後に教えてくれたことは、

母は高知さんを何よりも愛していて高知さんのために働いていたということ

 

いい服を着せていいものを食べさせてあげたい

周りから見ても恥ずかしくないように

といつも言っていたそうです。

母の思いを知り憎んだり思い込みだったことから解き放たれたのです。

周囲の人やファンへの感謝を持ちながら、  

これからも高知東生として頑張っていけたらと話されています。

 

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まとめ

高知東生さんはありのままをさらけ出し隠さなくなったことで、

少し楽になり生きやすくなったように見えます。

表情も優しくなったと今の高知さんを見ていると感じますね。

高知さんの過去の経歴を知りそれを話す姿を見て、

救われた人や高知さんを見る目が変わった人も多くいると思います。

頑張っている高知東生さんのこれからを応援していきたいです。

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