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滝藤賢一はいつから売れた?10年の下積みを経て31歳で出演のクライマーズ・ハイがきっかけ?半沢でブレイク!

実力派俳優として知られる滝藤賢一さん。

ドラマやCMでよく見かける売れっ子俳優ですが、

いつから売れたのでしょうか。

今回の記事では、

滝藤賢一さんが売れた映画や、

ブレイクしたドラマについてまとめました。

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目次

滝藤賢一はいつから売れた?

31歳で出演した「クライマーズ・ハイ」


https://www.sonypictures.jp/he/902317

滝藤賢一が売れるきっかけとなったのは、

2008年公開の映画「クライマーズ・ハイ」です。

日航機墜落事故を描いた社会派ドラマです。

当時は全くの無名俳優だった滝藤さん。

監督・原田眞人さんはワークショップで滝藤さんが気になっており、

新聞記者・神沢周作役への起用を決めたといいます。

重要な役に抜擢された滝藤さんは、

台本を受け取ってから撮影が始まるまで、

  • あまり食事が取れない
  • まともに眠れない

というほどプレッシャーを感じたそうです。

難役を演じ切る


出典:X

滝藤さんが演じた神沢周作はごく普通の若手新聞記者。

しかし飛行機墜落現場に入り、

あまりの惨劇に人格が豹変します。

飛行機墜落現場の悲惨さを演技で表現するという

難しい役どころでした。


https://motion.nowtice.net/s/wid07663/%E6%BB%9D%E8%97%A4%E8%B3%A2%E4%B8%80/

滝藤さんは「日本映画劇場」のインタビューの中で、

同じ役でも前半に出て来る男は、
どこにでもいる普通の男という事をキチンと見せないと
後半の狂気が活きてこない…
普通に見せるのが一番難しかった。

と語っています。

実力派俳優たちの間で見せた存在感


https://www.sonypictures.jp/he/902317

本作は、

・堤真一
・堺雅人
・遠藤憲一

など実力派俳優の共演が話題となった作品です。

彼らの中でも存在感を放った滝藤さんは、

この作品で一躍注目を浴びることになりました。

この時、滝藤さんは31歳。

遅咲きの俳優さんと言えますね。

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NHKドラマ「外事警察」で初レギュラー


https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009120516_00000

「クライマーズ・ハイ」公開翌年の2009年、

NHK土曜ドラマ「外事警察」で初めてレギュラーで出演します。

警視庁公安部の対国際テロの秘匿部隊「外事4課」を描いた、

極太な人間ドラマです。

クールでインテリな巡査部長・久野秀真を演じ、

本作でも高い評価を得ました。

専門的で長いセリフが多く大変だったという滝藤さん。

絶対に間違えられないような緊張感の中で、

必死に食らいついたといいます。

ようやくアルバイトを辞めた?

「クライマーズ・ハイ」(2008年)で売れた後も、

俳優としての収入だけでは生活ができなかったため、

なんとアルバイトをしていたという滝藤さん。

・レンタルビデオ店
・運送会社
・居酒屋

などで生計を立てていたそうです。

滝藤さんは2009年に授かり婚をされています。

しかし「外事警察」の撮影で俳優業が忙しくなったため、

32歳でアルバイトを辞めることにしたそうです。

脇役として多数のドラマに出演

それ以降は様々な作品で脇役を好演しています。

大河ドラマ「龍馬伝」:小松帯刀役

出典:X

映画「ゴールデンスランバー」:青柳雅春(整形後) 役


https://johnnysroom.blog.fc2.com/blog-entry-1115.html

ドラマ「踊る大捜査線」:中国人刑事役


https://www.oricon.co.jp/news/2016422/full/

NHK連続テレビ「梅ちゃん先生」食堂の亭主役


https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009120517_00000

この後「半沢直樹」で大ブレイクしますが、

この頃からすでに、

日本映画、ドラマに欠かせないバイプレーヤーでした。

滝藤賢一さんが出演すると、

なんか面白い作品になりそう…というワクワク感がありますね。

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「半沢直樹」で大ブレイク!


出典:X

名脇役として知られるようになった滝藤さん。

2013年、TBS日曜劇場「半沢直樹」で大ブレイクします。

本作は経済ドラマというジャンルだったため、

当時制作サイドは高視聴率を期待していなかったそうです。

しかし蓋を開けてみると第1話から19.4%を記録。

最終話は42.2%を記録し

平成の民放テレビドラマ史上第1位という快挙を成し遂げました。

“倍返し”は流行語大賞にも選ばれるなど社会現象になりました。

鬼気迫る演技が絶賛される

https://news.mynavi.jp/article/20140131-takito-kenichi/2

滝藤さんが演じたのは、

堺雅人さん演じる主人公と同期の銀行員・近藤直弼役。

慶応大学出身で同期の中では一番の出世頭だったが、

上司に極度のストレスを与え続けられた結果、

統合失調症を患ってしまい半年間休職することになるという難役。

鬼気迫る滝藤さんの演技は多くの層から絶賛されました。

滝藤さんは当時を振り返り、

僕にオファーしてくれたのが本当に信じられないほど素晴らしい役
原作を読んでいたので一番やりた役だと思っていました。

色々な作品に出させてもらいましたが、
「半沢直樹」の反響は凄かった

と仰っていました。

2013年ブレイク俳優8位に!

「半沢直樹」の大ヒットと共に、

一躍有名になった滝藤賢一さん。

「2013年ブレイク俳優ランキング」(オリコン調べ)では、

8位にランクインしました。

1~10位はこちら。

1位:堺雅人
2位:福士蒼
3位:片岡愛之助
4位:東出昌大
5位:松田龍
6位:福山雅治
7位:玉森裕太
8位:滝藤賢一
9位:マキタスポーツ
10位:菅田将暉

この錚々たる顔ぶれの中で8位とは凄いですね。

そして「半沢直樹」の勢いが感じられる順位ですね。

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滝藤賢一は売れるまで何をしていた?

映画監督を志望していた

小学生の頃から映画が好きで、

テレビの映画番組をよく見ていたという滝藤さん。

ハリウッド映画が大好きだったそうです。

高校時代は、

  • 北野武監督
  • クエンティン・タランティーノ監督

の映画を見て映画監督に憧れるようになり、

高校卒業後は上京し映画の専門学校に入学します。

俳優として演じたい気持ちは全くなかったそうです。

しかしとにかく映画に関わりたい気持ちから、

19歳の時に塚本晋也監督の「バレット・バレエ」に

キャストとして参加。

このとき映画撮影の現場を実際に見た滝藤さんは、

自分に監督は向いていない

と思ったといいます。

さらに俳優として全く上手く演技ができなかったため、

ちゃんと演技の勉強がしたい

と思うようになったそうです。

「無名塾」の塾生になる


https://www.oricon.co.jp/news/2057491/photo/2/

1998年、22歳の時に、

俳優の仲代達矢さんが主宰する俳優養成所「無名塾」に入ります。

レッスン料が無料だったことが決め手だったそうです。

この養成所は演劇界の東大と言われるほど難易度が高く、

およそ1000人の応募者の中から選ばれた合格者は5人。

滝藤さんはその中の一人です。

当時から演技力の高さが認められていたことがわかりますね。

ちなみに「無名塾」出身の俳優に、

役所広司さんがいます。

辛い下積み時代を経験

狭き門を通過して「無名塾」の塾生になれた滝藤さんは、

これで売れる!

と喜んだといいます。

しかしその考えとは裏腹に、

10年もの下積み時代を経験することになります。

  • 朝5時の稽古場掃除から始まり10キロのランニングと発声練習、自主稽古
  • 稽古が終わるのは22時~23時
  • 稽古は月曜~土曜日まで
  • はじめの3年間は恋愛もアルバイトも禁止
  • 収入は舞台の小さな役のギャラのみ

このように厳しい毎日に耐えながらも、

役に恵まれることがないまま10年が過ぎたといいます。

滝藤さんは後に、

「無名塾」で過ごした約10年は、
人生のどん底だった

と仰っていました。

俳優を諦めなかった理由は?


https://www.oricon.co.jp/news/2042314/full/

俳優としてなかなか芽が出ない日々を過ごした滝藤さん。

それでも俳優を諦めなかった理由は2つあったそうです。

両親が協力してくれていたから

俳優やアルバイトの収入だけでは

生活が苦しかった滝藤さんは、

ご両親から仕送りをしてもらっていたそうです。

ご両親は滝藤さんが俳優として成功する日を信じて、

協力し続けてくれていたといいます。

滝藤さんは、

そこまでしてもらった手前、
絶対に途中で逃げ出すわけにはいかなかった

と仰っています。

仲代達矢さんの言葉を信じていたから


https://mumeijuku.net/nakadai/index.html

無名塾を主催する仲代達也さんは、

君は40歳を過ぎたら絶対にチャンスが来るから
それまではしっかりと俳優としての技術を磨きなさい

と言っていたそうです。

当時から滝藤さんの遅咲きを予想していた仲代さん。

さすがですね。

滝藤さんはいつもこの言葉を胸に、

30代で目が出なくても俳優を続けられたといいます。

そして滝藤さんは30代になると、

映画「クライマーズ・ハイ」でブレイク。

無名塾は辞めて映画やドラマに集中することになりました。

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まとめ

今回は滝藤賢一さんが売れたきっかけや、

その前後について見てきました。

いつの間にか人気俳優になっていた感じがしますが、

きっかけの作品は「クライマーズ・ハイ」、

大ブレイクしたのは「半沢直樹」です。

長い下積み時代を経験した

遅咲きの俳優さんだったのですね。

これからのご活躍も期待したいと思います。

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滝藤賢一はいつから売れた?31歳で出演のクライマーズ・ハイがきっかけ?半沢でブレイク!

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