15歳で衝撃的なデビューして以来、
国民的歌姫として第一線で活躍されている宇多田ヒカルさん。
若くして大スターになった彼女は、
どんな幼少期だったのでしょうか。
宇多田ヒカルさんの幼少期エピソードをまとめていきます。





宇多田ヒカルの幼少期エピソード9選
1つ目:音楽中心の生活だった

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/08/24/kiji/K20130824006475970.html
アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの宇多田ヒカルさん。
父:音楽プロデューサーの宇多田照實(うただてるざね)
母:有名演歌歌手の藤圭子
というご両親に間に生まれたことは有名ですよね。
幼少時代の宇多田ヒカルさんは、
ご両親の音楽の仕事が中心の生活を送っていたそうです。
・東京とニューヨークを頻繁に行き来する生活
・スタジオでご飯を食べる
・スタジオで宿題をする
・スタジオのソファーで寝る
このような生活だったといいます。
宇多田さんは人気歌手の母親や、
その周りにあるお金や人間関係のトラブルも見ていて、

有名であることは嫌なことにしか思えなかった
と後に語られていました。
2つ目:10歳の時に歌手デビューしていた
音楽関係者のご両親を持つ宇多田ヒカルさん。
9歳の頃からご両親と共に音楽活動をされています。
宇多田さんが7歳の時に家族3人でユニット「U³」を結成。
10歳の頃には宇多田さんがボーカルを務め、
スタジオ・アルバムもリリースしています。
15歳の時に「Automatic」で歌手デビューした宇多田さんですが、
実は10歳の時にすでに歌手デビューしていたのですね。
3つ目:過酷な家庭環境だった
「SONGSスペシャル『宇多田ヒカル』」で、
又吉直樹さんと対談した宇多田さん。
子供の頃の家庭環境の話題になりました。

何が起こるか全くわからないという家庭環境だった。
今世界がこうだって思っても、
次の瞬間に全てひっくり返されることも。
母が思いっきり常識に全くとらわれない予測のつかない人だった。
このようなことを語られていました。
学校から帰ったら急に
明日からニューヨークに引っ越すわよ
と母親に言われてたり、
反対に突然、
明日東京に帰るわよ
と言われたこともあったといいます。

安心したいと思っても、
安心したらまた裏切られるから、
何も信じないようにしよう。
と思っていたそうです。
過酷な幼少時代だったことが伺えますね。
4つ目:母親が精神的に不安定だった

https://www.pinterest.jp/pin/772015561101746778/
宇多田ヒカルさんの母・藤圭子さんは、
2013年に死去されました。
以下は宇多田さんが
オフィシャルサイトでコメントされた内容の一部です。
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
このような言葉を綴られていました。

https://www.jprime.jp/list/tag/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E7%94%B0%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AB/photo/5
宇多田さんが5歳くらいの時から、
母・圭子さんは感情の変化が著しくなり、
娘に対して攻撃的な発言や行動も
見られるようになったといいます。
宇多田さんはそれでも、
母の娘であることを誇りに思います。
彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
と綴られています。
デビューした時の宇多田さんが
15歳とは思えない大人のような雰囲気だったのは
このような幼少期を経験されたから
だったのかもしれませんね。
5つ目:読書記録は8ヶ月で167冊!

https://www.instagram.com/p/CrGqd8ysR5k/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA==
2023年5月25日、
宇多田ヒカルさんは、
ニューヨークの実家の荷物整理をするなかで見つけた
あるものをInstagramで紹介しています。
それは、
小学校2年生の時につけていたリーディングジャーナル(読書記録)
表紙には、
英語で「8ヶ月半で167冊読破した!」。とあります。

http://xn--https-u53d//news.allabout.co.jp/articles/o/61531/
そして中には、
きれいな筆記体で読書記録がびっしり書かれています。
コメント欄には、
子供用の小説を毎日読んでいる時期もあると
書かれています。
これだけの数の小説を読んでいることもすごいですが、
それに対してこの量の感想が書けることにも驚きますね。
宇多田さんの魅力は、
深みのある独特な歌詞ですが、
幼少期からその才能を発揮されていたのですね。
6つ目:小説家を目指していた

「SONGSスペシャル『宇多田ヒカル』」に出演された宇多田さんは、

子供の頃に憧れていた職業は漫画家や小説家だった
と仰っていました。
日本とアメリカを行き来していた幼少期には、
日本語で見るものは、
・小説
・漫画
だったといいます。
- 少女漫画雑誌「りぼん」に応募したことがある
- 12、3歳まで小説家になりたくて短編を書いていた
このようなエピソードがあり、
本気で漫画化、小説家を目指していたことがわかります。
7つ目:10歳から歌詞の才能を発揮

宇多田さんは「Automatic」でデビューすると、
歌唱力の高さが絶賛されました。
そしてその後、
・まだ15歳という若さであること
・自分で作詞作曲を手掛けていること
ということが、
さらに話題となりました。
15歳とは思えない完成度の高さは、
多くの音楽関係者に衝撃を与えたと言われています。
そんな宇多田さんは、
10歳の時にすでに
作詞作曲をされていたそうです。
作家を本気で目指していたこともあり、
歌詞のクオリティは、
すでに高いものだったといいます。
8つ目:友達にゴシップ情報流された?

宇多田ヒカル初のオフィシャルブック「点-ten-」には、
若い頃の苦い思い出が綴られています。
高校1年生の時に歌手デビューし、
一躍大スターとなった宇多田さん。
週刊誌は宇多田さんの素顔を撮ろうと、
必死だったようです。
そんな中、
・友達が宇多田さんの写真を撮って週刊誌に売る
・週刊誌にデタラメな内容を書かれた
・仲の良い友達が記者からお金を渡されて、
宇多田さんにインタビューさせるために記者を校内に案内した
このような経験をした宇多田さんは、
ストレスや重圧を感じたといいます。
週刊誌に追われることも辛いですが、
親しい友達の裏切り行為は
もっときつかったでしょうね。
9つ目:5歳の夢は歌手だった

https://www.j-cast.com/2019/01/27348943.html
宇多田さんは、
2019年1月27日にInstagramにて、
とんでもないものを発見してしまった
というコメントと
昔住んでいた家の荷物整理をしていたときに見つけた
絵日記の写真を投稿しています。
そこには、
わたしは、大きくなたら、かしゅになりたいです
という言葉と、
ドレスを着て歌を歌う女性歌手の
可愛らしいイラストが描かれていました。
宇多田さんがtwitterにコメントしたところによると、
これは5歳の時の絵日記とのこと。
小説家や漫画家を目指した時期もあったようですが、
やはり歌手になりたい
という夢もお持ちだったのですね。
まとめ
今回は、
宇多田ヒカルさんの幼少期のエピソードをまとめました。
幼い頃から才能豊かだったこと、
そして過酷な環境で生きてきたことなど、
興味深い内容が多々ありました。
今後の宇多田さんのご活躍にも、
注目していきたいと思います。